第22話 僕の事を、覚えている?
もうすっかり、いつものになってしまったマリーへの挨拶のため、いつもの場所に向かう。
授業が終わり、日が落ちてきているこのタイミングが、一番マリーと出会う確率が高い。
今日もまた無事にマリーと会え、挨拶を交わすことに成功した。
「今日もこうしてお会いできて嬉しいです。お元気ですか? マリー嬢」
いつぞやにどさくさに紛れて名前を呼ぶ許可をもらい──正確には拒否されなかっただけだ──、最近はマリーと呼んでいる。
相変わらず険しい目つきだが、声は聞かせてくれる。
「ええ。……貴方は?」
「! っ、ああ! もちろん元気だよ。貴女に会えているんだからね」
初めてのマリーからの問いかけだ。
少しは興味を持ってもらえているんだろうか。
公爵様から何も言われないから、嫌がられてはいないと思いたいが。
「……マリー嬢は、僕の事を、覚えている?」
気が緩み思わず問いかけて、カーティスは口をつぐんだ。
幼い頃のことなど忘れていても構わないと思っていたはずなのに。
彼女が問いに答えることはないだろうと、ふっと息を吐いていつものとおりに微笑んだ。
そのまま別れようと片足を引く。
そのときマリーが初めて、真っ直ぐこちらを見て、挨拶以外の言葉を口にした。
「いつのことを仰っていますか?」
驚いた。
驚いたが、きちんと答えなければならない予感がした。
「…………昔。子供の頃の話だ。一度僕の家へ来たことがあったでしょう?」
「ええ。覚えています」
そう言いながら一層険しくなるマリーの瞳に、首を傾げた。
覚えていてくれたことには内心喜んだが、それより疑問を覚える。
何かおかしなことを聞いただろうか、とカーティスが口を開こうとした時、よく聞き馴染んだ声が響く。
「……
ミアの声だ。
声のした方向を見やると、ミアはこちらに向けて声を発していて、カーティスは戸惑った。
「
ミアの問いかけは続く。
カーティスが少し動くもミアの視線は動かない。明らかにマリーに向かって話していた。
マリーはと見ると、目を微かに見開き、口を押さえている。
小さく「……ミア」と呟いたのはカーティスにしか聞こえなかったようだ。
「あのパーティーのときからずっと気になっていたの。アリィが、ラインフェルト公爵令嬢なの?」
恐る恐る近寄ってくるミアに、マリーの対応は素早かった。
す、と姿勢を正し、カーティスに向き直った。
スカートの裾を摘まんで軽く礼をすると、ミアがいる方向とは逆方向に歩き出した。
必死なミアの制止の言葉には足を止めることも振り向くこともなかった。
残されたカーティスは、ミアに聞くしかない。
「……ミア? これは、どういう?」
戸惑うカーティスに、ミアはいつもの力強い瞳ではなく弱々しく潤んだ瞳でぽつりと言った。
「アリィは、たぶん公爵令嬢なんです」
「え?」
頭が回っていないのか、ミアにしては珍しく何を言っているのかわからない。
落ち着かせるのが先かと手を引いて、ベンチのあるところまで誘導し座らせた。
ミアの隣に座って背中をさすってやる。
しばらくして、ミアは話し始めた。
「お話の途中でしたのに、邪魔してしまいました。すみません」
「いや、いいんだ。大丈夫」
本当は、覚えていると教えてくれたマリーの話にも興味があったが、今はミアのことに集中することにした。
頷いて続きを促す。
「……アリィというのは、私の友人です。今は寮生活なので会えていませんが、入学前はよく遊んだり話したりしていて」
「うん」
「入学試験のときにも、アリィにはたくさん本を貸してもらって。この学校に入れたのも、入学を目指すようになったのもすべて彼女のおかげなんです」
アリィはミアにとって恩人のようだ。
母親の病気のことを思うなら王都の学校へ入学すればいい。薬の勉強もできるし、援助も受けられるから、と教えてくれたのだという。
ミアが入学できるように本を貸し与え、試験勉強の手助けもしてくれた。
だから、か。
入学当初から成績が良かったのも頷ける。
一度読めば覚えるミアが本を読みこんでいれば、他の貴族にも引けを取らない。
「で、そのアリィが、マリー嬢だと?」
疑うわけでなく、単なる問いに、ミアはこくんと頷いた。
「アリィが貴族だというのは聞いていましたので。……家名までは聞いていませんでしたが、私には必要のないことだったので。貴重な本をたくさん貸してくれましたし、私たち平民とは少し纏う空気が違いましたし、貴族ということを疑ったことはありませんでした。ですが、貴族だと言うアリィはとても話しやすく、アリィと話している時間は本当に楽しくて」
徐々に明るくなっていく声色は、容易にその時間を想像できた。
ミアは今、これまで見てきた中で、一番輝いている。
少し妬けるほどに。
「ああ。もしかして、カミラ嬢に叩かれそうになったあのパーティーにあんなに出たがったのは、アリィに会うため?」
よく知りもしないカーティスにドレスをお願いするほど、あのときのミアは必死になっていた。
貴族の令嬢に出席するなと言われ、建物の陰に連れて行かれ、手を上げられそうになったにも関わらず。
建国記念パーティーへの出席を押し通した。
まあ、そのおかげで、僕はミアを気に入ったんだけど。
ミアはまた静かに頷く。
「貴族が出席するパーティーなら、アリィに会えるかもしれないと思って。……まだ入学試験に合格できたことすら話せていないんです。全部アリィのおかげなのに」
「そうなの?」
「……試験を受けた後から、アリィとは会えなくなってしまったので。だから、会えたら合格できたことと感謝を伝えたいと、パーティー会場で探してはいたんですが、」
小さくなっていく言葉尻に、カーティスは苦笑した。
見つからず、壁に張り付いていたことは目撃しているから知っている。
「そうか。じゃあ、今再会できて良かった」
「……そう、なんですけど」
嬉しくなさそうに下を向くのは、アリィと思われるマリーに会話もできず逃げられたからだろう。
落ち込むミアを元気づけようと明るい声を心掛けた。
「でも、マリー嬢は、ミアのこと気づいているようだったよ」
「え?!」
「ミアの名前を漏らしていたから。本人は無意識にだと思うけどね」
ミアはぱっと顔を上げたが、すぐに曇らせた。
「……だったら、どうして」
問いかけに答えることもせずに立ち去ってしまったのか。
独り言のような小さな声に、カーティスは何も言えない。
二人のこれまでの距離感や親密さをカーティスは知らないのだ。
「私は一番の、というよりも唯一の友達だと思っていましたが……そう思っていたのは私だけだったのかもしれません。もちろん、何か理由があるのかもしれないですが」
空の雲はもう紫に染まり、夜が近づいてきている。
ミアは、マリーが去って行った方向をじっと眺めていた。
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