第20話 ようやく会えたんだ

「で、すごすごと惨めに戻っていらしたの」


 アイリーンの盛大な溜息に迎えられ、カーティスはみんなの元へ帰ってきた。

 正直どうやって切り上げてきたかもあまり覚えていない。

 命からがら逃げてきた感覚に近いのだ。


 なんだあれは。

 彼女は本当に、あの、にこりと笑って自己紹介してくれたマリー本人なのか、とカーティスは困惑するばかりだ。


「そんなこと言われても……」


 あまりの出来事だった。

 マリーの態度もそうだが、ダンスを断られたこともそうだ。

 今まで断られた経験はなかった。だからいっそう、どうすればいいのかわからなかったのだ。


「いやあ、確かに見た目は可愛いな、さすが公爵家のご令嬢。噂どおりだ。良かったじゃん、幼い日の美しいイメージが壊れなくて」

「っ、いや……だいぶイメージとは」


 違うからこんなにダメージを負っている。

 明らかに青くなっているだろうカーティスの顔を見て、クラウスは首を捻る。


「え? そうか? 噂どおりだと思ったけどなー。まあ思っていたより可愛くて驚いたけど。氷姫こおりひめ、その名の通りの対応だったじゃないか」

「そうね。一切の遠慮もなくばっさりでしたわ。愛想笑いの一つもしないそうだというお話は聞いておりましたけれど、本当に表情一つ変わりませんでしたわね。……クラウスは先程から絶賛ですけれど、ああいう女性が好みのタイプでした?」

「あー、俺はもう少し気軽に話せるほうが好きだけどな。でも徐々に親しくなっていつか俺だけに笑いかけてくれるようになったら最高だとは思うし、カーティスの好みを否定するわけじゃないぞ」

「まあ。そもそもご令嬢がクラウスを相手にされるとは思いませんけれど」

「はあー。例え話だろ。ほんっとお前は可愛げないな」

「うふふ、クラウスに可愛らしく思っていただく必要はございませんわ」


 目の前で繰り広げられる婚約者同士のやりとりなど、聞きたくもない。

 遮るようにカーティスはそろそろと小さく片手を挙げた。


「…………君たちは驚かないんだな?」


 マリーの姿にも、あの冷たい態度にも、カーティスが惨敗したこともだ。

 二人揃って頷く。


「ええ。むしろどうしてカーティス様がそのような様子なのかさっぱりわかりませんわ。ダンスを踊れず気落ちしているのはわかりますけれど、予想はされていたでしょう?」

「願っていた再会だろ? もうちょっと喜ぶもんかと思ってたけどな」

「………………氷姫って、なんだ」


 絞り出されたカーティスの疑問に、婚約者同士の二人はあんぐりと口を開けた。

 アイリーンはすぐさま扇子で口元を覆う。


「はあ? お前、それ本気で言ってんのか? 有名だろう、公爵令嬢の噂なんて。見目麗しく天使のよう、しかしその表情は彫刻のように冷たく動かない、だっけか」


 一緒にいるミアは話を聞いているだけだが、アイリーンはこくこくと頷いている。周知のことだということだ。


 なんだそれは。

 それがマリーの噂だと言うのか。


 実はカーティスはその噂は聞いたことがあった。

 けれどそれがマリーのことを指しているとは全く思っていなかったのだ。

 だって、あのマリーに冷たいという言葉はあまりにも似合わないだろう。


「そうよ。それで、氷姫と言われるようになったのよ。まさか、少しもお調べになりませんでしたの。このくらいのこと調べようと思わなくとも耳に入るでしょうに」

「…………っ」


 全くその通りで、耳が痛い。

 が、噂とマリーが結び付かなかったのだから仕方ない。


「……ミアのことはすぐに調べてたくせに。お前は彼女のことになるとてんで駄目だなあ」

「ぐ……」


 カーティスの口から詰まったうめき声が出た。

 返す言葉もないとはこのことだ。

 ミアの薬師起用については辺境伯の息子として、仕事として対応した。

 が、マリーの件は領とは関係なく、カーティス個人の話だ。

 本当に自分一人のことになると途端に頭が回らなくなる。


「いや、いいんだぞ、俺は。無能なカーティスの姿を見るのは面白くて仕方ないからな。んー、そうなってくると俄然ラインフェルト嬢のこと好きになりそうだな。俺を楽しませてくれる」


 にやにやと顔を歪ませるクラウスを睨む。

 そんな変な好奇心で、マリーのことを見てほしくない。


 彼女は。

 彼女は、僕の行動を、生き方を変えてくれた人で。

 腐らずに今のカーティスがあるのは彼女のおかげと言ってもいい。


 ただそれはカーティスの一方的な思いでしかない。

 彼女の笑顔はカーティスに行動を変えるきっかけになったが、それは彼女にとって全く知らないことだ。

 ただ一度挨拶を交わしただけ。今の対応を見る限り、覚えられていない可能性の方が高い。


「どうしますの。……彼女、カーティス様が思っていた方ではなかったのでしょう?」


 扇子で口元を覆ったまま、アイリーンは問う。

 少し考えてからカーティスは答えた。


「……とりあえず会話をしたい。ようやく会えたんだ、こんなに簡単には諦められない。……彼女は嫌がるかもしれないけどね」


 ふっと口の端を上げた。

 また冷たい視線を浴びせられるかもしれない。嫌な思いをさせてしまうかもしれない。

 けど、まだ声すら聴いていない。

 こんな状態で諦められるわけないだろう。


 ぱちん、とアイリーンは扇子を閉じる。

 見えた唇は笑っていた。


「ふふ、そうこなくては。そんなカーティス様はとても魅力的ですわよ」

「ははは、ありがとう。アイリーン嬢にそう言ってもらえると少し自信が持てるよ」

「……この場は諦めますの?」

「そうだね。今日は名乗れただけでも良しと思おう。しつこくして嫌われるのは困るからね」


 ちらりとマリーの方を見ると、無表情のまま立ち尽くしていた。

 周りには変わらず空間ができている。誰も近づこうとしない。

 なんだ?


 クラウスもマリーを見て頭を掻く。


「それにしても、ラインフェルト嬢は何考えてんのか。どう見てもさっきの対応はしくじってる。まあ、氷姫らしいっちゃあ、そうなんだけど」

「カーティス様を一蹴でしたものね」

「ああ、あれを見たらなかなか近づけないな。女性も、男もな」


 カーティスはなかなかに優良物件で、女性の憧れの的だ。

 自らダンスを誘わないから、ミアのときも面倒なことになった。

 他の令嬢が欲しくて仕方ないカーティスの誘いを、無下に断るマリーは女生徒の反感を買っただろう。

 意識すれば、ひそひそと扇子に隠れた不満げな声が聞こえてくる。


 男からすれば、容姿端麗の辺境伯家の長男にすら冷たく接する令嬢に、近づく度胸は無い。

 孤立するマリーにクラウスはしきりに首を傾げるのだ。


「僕が安易に声を掛けてしまったから。悪いことをした」

「でもお前がこの場で助けられることはないからな」

「……それくらいは、わかる」

「は、そうか。それなら安心だ。お前がこの場で何かすれば恐らく悪化するぞ。彼女が変わらないかぎり」


 小さく頷いて、この場はこのまま過ごすことにした。

 もう退出したいほどだったが、すぐに出てしまってはマリーに迷惑を掛けることになりそうだ。

 一度ミアと踊って、一杯の飲み物を飲み干して。

 それから最後にマリーの姿を目に焼き付けて、退出のためにドアへ向かった。

 エスコートを受けるミアも退出する間際、カーティス同様マリーの方を見て目を細める。一度首を捻って一緒に退出した。


 その後ろ姿を、マリーが冷たい表情のまま見送っていたことにカーティスは気づくことはなかった。

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