ラノベ作家になりたい女子高生と29歳社会人(独身男)が出会った話

@lostinthought

第1話

ふざけるな、無能上司め。


クリーニング屋から帰る道すがら、俺は胸中そう吐き捨てた。

旧態依然としているウチの会社がついに重い腰を上げて、ようやく新型ウイルスの対策でリモートワークを導入したのはいいものの、あの年寄りども、ろくにzoomさえ使いこなせていない。

一体ウチの業種をなんだと思っているのだろう?

これでも一応IT企業だ。

なのにあいつらと来たら、年功序列で出世したから知らないが、ろくにパソコンすら使えない。

それもふつうのWindowsだ。今どき中高生でもブラウザゲームとか、人によっちゃ歌ってみたの録音とかで平気で使いこなしている。


今朝もリモート会議をしていたら、谷山部長、突然「あっ・・・ おおーん?」と格闘ゲームでKOされたキャラみたいな妙な呻き声を残して画面がフリーズ、そのまま画面が落ちて音信不通になった。

きっとどこか変なところを触ったのだろう。よく分からないキーは絶対に触るなという意味の事を、丁寧な言葉で、部長の機嫌を損ねないよう細心の注意を払いつつ10回は教えてやったのに。


でもまあ今さら驚きはしない。谷山部長はそれがデフォだ。リモート会議の2回に1回は勝手に途中退場している。

思わず「チッ」と舌打ちしそうになったが、今日は別の部所の人間も混ざっていたので必死に抑えた。

zoomを終えたあと、「くそ!はげ!」と手直にあったクッションを思い切り殴ってしまったのは言うまでもない。


日本の会社では仕事の出来る人間にしわ寄せが来る。上が楽をする分だけ下の人間が苦しむのだ。

これは俺が大人になって経験で学んだ、揺るがしがたい社会の法則である。そういえば福沢諭吉も「学問のすゝめ」の冒頭で同じようなことを言っていたっけ。

この事実こそ、今この世の春を謳歌する順風満帆な現役の学生達が一番知っておくべき社会の闇だろう。いま可愛い彼女がいてウハウハな彼らも、数年後は確実に体験することになるのだから。


今日も昼過ぎになってようやくzoomに戻ってきた谷山部長は、悪びれもせず突然、

「あ、そうだ浅井君、今度の曜日、各チームのリーダー集めた会議あるから出社よろしく」

そう、のたまった。

今日は金曜日。月曜日といったら、今日スーツをクリーニングに出してもギリギリだ。

おかげで俺は仕事を終えるなり、慌てて近所のクリーニング屋に駆け込む羽目になった。それもこれも谷山部長のせいだ。


まじでアホじゃないのかあのハゲ。


またそう毒づいて俺はすぐ「いかん」と首を振った。

最近頭の中でグチばっかり言っている。

あんまりストレスを抱えると俺までハゲになってしまう。まだ29なのに。

いや、もう29か・・・?

今年の10月15日でついに30だ。高校生や大学生の頃は自分が30になるなんて思ってもいなかった。

いつか俺もあの部長みたいに無駄に歳を重ね、そして見事に禿げるのだろうか。そう思った瞬間、背筋がゾッとした。


大学を卒業してからの年数=恋人いない歴の俺だ。もしそのうえさらに禿げの要素が加わったら、よっぽど運がないともう彼女はできないだろう。

頭皮への負担を減らすためにも、真剣にストレス対策を講じる時かもしれない・・・。

若い頃はこんなこと微塵も考えなかった。自分が歳をとっているという事実は、案外こういうところから気付くものなのかもしれない。


賃貸している自宅へ続く緩やかな傾斜の坂道をのぼりながら、とりあえず今は無能の部長のことは忘れようと決めた。

ウイルスへの防備でマスクを付けているから、付けていない時より坂を登る息が上がる。ダウンジャケットの下のパーカーの下のロンTの脇の辺りに汗がじんわり滲むのがわかる。

ここに越してした時はまだ今のマスク文化は無かったのだから、三年はあっという間だ。


あ、今のオッサンの台詞っぽいかも。


ふとした拍子に飛び出すオッサンぽさに苦笑する。そのついでと言ったら変だが、無理せず坂道の途中で休憩した。

坂道に交差する道路があり、そこで坂が一度途切れて傾斜がなくなるのだ。

歩道で息を整える。三年前はたとえインフル対策などでマスクをしていてもここで休むことなどなかったのだから、自分の加齢を素直に認めた方がいいのかもしれない。

俺は再び坂を登る前に、近くの自販機で、いつもよく買う紅茶を購入した。人気があるのか、売り切れていることも珍しくない。

両手が空いているので贅沢に2本買う。一缶がちょっと小ぶりなのだ。


ホットのロイヤルミルクティーの缶で凍えた両手を温めながらようやく坂を登りきると、目と鼻の先に俺の賃貸している二階建ての一軒家が見えた。

見た目は昭和のオンボロ家屋だが、リノベされたものを借りているので、じつは内装はかなり現代的だ。とても外観からは想像がつかない。俺自身、不動産屋に紹介された時はびっくりした。全部屋フローリングで床暖房まで完備してる。


夕日に赤く照らされた俺の家に入ろうとして、車道を挟んだ斜め向かいの家の玄関先に、長い黒髪の少女が膝を抱えて座っているのが見えた。

(まだ居る)

そう思った。

高校の制服、ブレザーのうえに紺のコートを着て地面から一段高い玄関先に、体を軽く丸めて体操座りをしている。顔はフィットタイプの黒いマスクで下半分が見えない。

少女、と言っても見知らぬ高校生ではなかった。

その家の子供で、朝や夕方にすれ違うと笑顔であいさつをしてくれる、とても感じのいい子だ。

たしか、あの立派な二階建ての家は津島さんだった。

少し斜めに俯いて座っている少女の顔に、ふいに、ハラリと長い髪の細い束がかかった。

こちらに気づいてないのか、彼女は顔も上げないまま、その髪を左手の中指でゆっくり後ろに流す。それをそっと左耳に掛けた。気だるそうな雰囲気だ。


さっき俺がクリーニング屋に行くために家を出ると、今と同じように静かに座っていた。

その時は、どちらからともなく目が合うなり、先に彼女のほうから「あ、こんにちは。今日も寒いですね」

と29のオッサン目前の俺にはもったいない程の笑顔で声をかけてくれた。


そして帰ってきても、まだこの1月の夕暮れの寒空の下、あのまま座っている。

どうしたのだろう。

まさかお母さんに怒られて家に入れてもらえない、なんてことはないだろう。小学生じゃあるまいし。

というか、親に怒られるようなことをする子には見えない。俺が高3の時同じクラスにいた、ソフトテニス部のエースで、現役で旧帝大に合格した優等生の女子も、ちょうどあんな雰囲気だった。


玄関に隣接するガレージが空いていて、いつもある軽自動車がないことに今さら気づく。

推理するまでもない。

きっと家の鍵を忘れて、その車(たぶん母親が乗って行った)が帰ってくるのを待っているのだ。駅前のサイゼかマックにでも行けばいいのに、と思ったが、たぶん財布も家に忘れたのだろう。

その事に思い至った俺は、自分がオッサン目前であることも忘れて、体が先に動いていた。

車一台分の幅の道路を渡り、立ち止まるより先に少女に声をかけた。

「寒いでしょ? これ、よかったら」

怪しい大人と思われないよう、自然体をを意識して、寒そうに座る少女にすっと紅茶の缶を差し出す。

「え?」

いきなりのことにブレザーの少女はきょとんとして俺を見上げた。マスク越しに吐く息が塗ったように白い。寒さを感じてるのは間違いない。

俺は少女を怖がらせないよう、内心ハラハラしながら、適切な距離感を踏み外さないよう注意した。


コミュニケーションは現代社会のハードプロブレムだ。友達同士のコミュニケーションに気遣いは水臭い。会社でのコミュニケーションはほぼマニュアルだ。

本当に難しいのは、こういう微妙なラインの相手とのやり取りだ。

コミュ力に特別自信があるわけじゃない俺は、だから、言葉遣いは知り合いっぽく、態度は取引先相手へのそれを選んで実行した。


「いや、でも・・・」

手を出しかけた少女の動きが止まる。

じっと見たことは今まで無かったけど、マスクをしてはいるが、たぶん美形だった。寒さで通った鼻筋まで薄く赤らんでいるが、それがなぜかかえって透明感を感じさせた。

彼女は明らかに戸惑った、ぎこちない愛想笑いのような目付きで俺を見ている。

吐く息だけが、冬の大気の中に、言葉の代わりに白く出続けている。


やっちまったか・・・・・・俺。


俺は自分が彼女の目に社会的にマズイ奴に映っている可能性が大であること悟り、咄嗟に慌てて弁解した。

「違う、勘違いするなよ、俺はただ君が鍵を忘れて家に入れないんじゃないかと思って、しかも寒そうだから、それで」

しどろもどろとは今の俺の状態を言うための語だろう。

逆に余計に怪しくなったことが自分でも分かった。

ひょっとして俺、無事社会的に終了か?


ほとんどただの自爆行為で頭が真っ白になっていると、

「あっ、もしかして」

少女が何かに気付いたらしい声で言った。透明感のある、綺麗な声だった。

「その紅茶って、私のために買ってくれたんですか?」

言われて初めて、自分が両手に同じロイヤルミルクティーの缶を持っていたことを思い出す。

ひょっとしてさっきの戸惑った表情は、俺から紅茶を貰うことを遠慮してただけなのか。いや、今の様子から見て多分そうだ。

本当は自分用に2本買ったのだが、俺は自分が九死に一生を得た気がして、そのまま話を合わせた。

「さっきそこから」俺は右手側を振り返り、商店街の方へ降りる坂を指さした。「まだここで座ってるのが見えたから」

咳払いしてから俺は、改めて右手の紅茶の缶を差し出した。

「あ、なんかすみません、わざわざ」

少女は座ったまま両手を伸ばし、紅茶を受け取る。少女の手が紅茶の缶を支えると、ふと、缶の重さがが消えたように軽くなった。

「これ、わたしも好きでよく買うんです。でもよく売り切れてて」

俺を見上げて、不意に人懐っこい笑みを目に浮かべる。

今どき、マスク越しでも分かるこんな純粋な笑顔をする子がいることに、俺はなぜかちょっと感動していた。俺の心は社会の荒波という名の不条理のせいで荒み切っているのかもしれない。

「ぬるいかもだけど」

俺もつられて笑顔になりながら言った。

「いえ、全然温かいです」

また少女が笑う。

自分の心の汚れが洗われる、そんな気さえさせる素敵な笑顔だった。

「いただきます」

缶を開けると、そう言ってマスクの下の先端を右手の親指と人差し指で摘んで、ちょっと上に引っ張る。綺麗な細い顎と、薄い、自分の吐く息で濡れた唇が見えた。

マスクを引っ張った状態でひと口、少女は紅茶を飲んだ。

やっぱりここでずっと座っていたのは本当に寒かったのだろう。

両手にぎゅっと温かい缶を包むようにして、美味しそうに目を細める。

俺は「じゃあ」と言って斜め向かいの自分の家に帰ろうとした。

その時。

「あっ、あの・・・」

と少女が呼び止める。

「え?」

俺は彼女を振り返った。

もう濃紺と言っていい夕闇の中に、右半身を街灯に白く照らされた少女がこちらを見上げている。

何だろう、と思ってその顔を見つめていると、

「その、ごちそうさまでした」

ちょっとぎこちない微笑を目に浮かべてそう言った。

何か言おうとして辞めたのだと分かる。

だけど、突っ込んで聞くのもどうかと考え、俺は結局、

「全然」

そう笑ってまた家に帰ろうとした。


すると、俺のスマホが鳴った。

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