73話 気の持ちよう
「殿、あまり大きな声では言えませぬが、その、戦の最中であるのになぜ、斯様にゆるゆると」
「帰路の予定に変更はない。なにせ俺は休養が必要な体だと、張仲景は何度も言ってくるからな。あ、それと、濮陽に寄っていくぞ」
「荀彧殿からの早馬が届いたと聞きます。寄り道などせず、なぜ遠回りを」
「陳宮を弔ってやらないといけない」
馬車に揺られながら、俺はゆるゆると兗州までの道を目指す。
既に小沛を経由し、兗州までは目前だ。徐州のことも心配ではあるが、陳珪さんが補佐についているし、これ以上の心配は不要だろう。
「戦を予めお伝えしなかった我らに、腹を立てておいでですか」
「それもある。だが、それはもういい。済んだことだ」
「ではなぜ」
確かに「俺を頼らなかったのだから、全てお前らの手で問題を済ませておけ」という怒りに似た気持ちもある。
だがここで俺が都に戻って、果たして何が出来る。病を再発し士気を下げるようなことがあれば、それこそお荷物だ。
信頼を裏切られた。それでも俺は、変わらず命を荀彧と夏侯惇に預け続けよう。
下手に意地を張って大局を見誤る気などさらさらない。
「董昭、お前の見立てで果たして張繍は許昌を落とせると思うか?」
「戦はあまり詳しくはありませぬが、正攻法では無理でしょう。それこそ陛下と内通でもしていれば分かりませんが」
「張繍は背後に劉表を抱え、攻撃を加えてきた。故に許昌まで兵站は伸ばせない。略奪目的の侵攻であるのは明らか」
「されど戦線は押し込まれています。殿が都に帰還し、群臣の不安を取り除くべきかと愚考いたします」
「どうせ曹仁が戦線に加われば、敵は退く。今更、曹仁は追い越せない。だから俺がやることは別にないの」
「いや、まぁ、それはそうですが、うーむ……」
こちらの喉元にまで敵の刃が迫っている。それなのにどうして平然とできるのか。
そして、どうしてこれほどまで、敵であり逆賊である敵の墓にわざわざ出向こうとするのか。
恐らくだけど、董昭が懸念しているのはそこらへんだろうな。
俺だって別に陳宮に思い入れがあるわけじゃない。むしろ嫌いな部類だ。それでもやらないといけないと、思っている。
「今回の戦は、勝ちはしたが、兗州の者達は決して満足していない。俺は略奪を一切許さず、厳しく取り締まったからな」
「聞き及んでおります。おかげで徐州の民は大いに喜び、あちこちで殿の兵を喜んで迎え入れていると」
「加えて今回の戦で大功があったのは青州兵だ。不其、青州兵が求める対価は何だ」
「はい。食料と農地、爵位の昇進などなど。きっちりと支給してくださいませ」
「どうだ董昭。面白くないでしょ」
俺の隣で静かに揺れる不其は、ホクホクとした笑みをこぼしていた。
対する董昭は眉をひそめて、面倒なことになったとの態度をあからさまに感じる。
信賞必罰の徹底は、軍の運用を考えると絶対に妥協できない部分だ。この乱世では、特にな。
しかし勿論、これに不満を覚える者も出てくる。今回はそれが兗州の者達だった。
必死に戦ったのにも関わらず略奪を許されず、しかも憎むべき青州兵が大いに表彰される。
于禁だって兗州に常駐できるわけではないし、不満を抑え続ければいつか反乱を起こす。
だからこそ陳宮の扱いには細心の注意を払うべきなのだ。
例え死んでしまったとしても。
「未だに陳宮を慕う人も多い。例え俺に組しなかったとしても、例え俺に刃を向けていたとしても、俺は誠意を込めて弔わないといけないんだ。曹昂は兗州の民を決して蔑ろにはしないと、態度で示さないといけない」
「兗州をそのように考えていただけると、私も嬉しい限り。されどやはり、戦は気がかりです」
「郭嘉が大丈夫だといったんだろ? じゃあ、たぶん大丈夫だ。あれは天下の誰よりも未来が見えている」
「心配するだけ、無駄に精神をすり減らすと?」
「うん。自分じゃどうにもできないことに気を病んでいては身が持たない」
テレビでニュースを見てるとあれこれ不安を搔き立てる情報が目に入ってきて、知らないうちに疲れちゃうしな。
でもある日からテレビだったり過激なネットニュースを見なくなると、すっかり疲れなくなったことがある。
自分じゃどうしようもないことを考えてもしょうがないんだ。
まずは自分の身の回りのことだけを見てればいい。すると頭もすっきりしてくる。
今回の件だってそうだ。もはやなるようにしかならない。それが世の常だ。
自分が出来ることを一つずつ積み重ねることしか、人間は結局できないんだから。
「人の上に立つとやはり、物の考え方も変わってくるのでしょうな。霧が晴れていくような気分がいたします」
「俺も焦っている。本当は怖い。だからこそ逆に、わざと落ち着いて、自分を騙してるだけだ」
「では私もそのように振舞いましょう」
「それでいい。上が狼狽えていると、皆も不安になってしまうだろうしね」
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