59話 進歩
激しい痛みと共に目が覚める。だが、体は動かない。
特に左腕に関しては一切の感覚が無く、深く息を吸うことすら出来ない。
矢傷を受けたのは、左の鎖骨付近か。
どうやら俺が意識を失っている間に、肉を割いて摘出してくれてるらしい。
宛城の戦いで、俺が曹昂として目が覚めたあの時も、似たような感じだった。
だがあの時とは違い、頭の中に靄は無い。今何をすべきか、それはハッキリと分かっていた。
「誰か……」
「曹昂様、あまり動かないでください。傷が広がります」
「不其か」
「はい。快癒の祈祷を行っておりました。ご気分はいかがですか」
「悪くない。荀攸を呼んでくれ。俺はどれだけ眠ってた」
「ほんの数刻です。荀攸様はまもなくいらっしゃいますよ」
幕舎にドタドタと、荀攸が駆け込んでくる。
いつものほほんとしているだけに、青ざめた表情が新鮮にも思えた。
状況を見る限り、軍は崩壊には至っていないみたいだ。
それだけが唯一の救いだと言ってもいいのかもしれないな。
「良かった、目を覚まされたのですね」
「状況を教えてくれ。呂布軍はどうなってる、城の包囲は」
「呂布の襲撃は一瞬であり、虎士の奮戦や、侯成将軍の指揮の下で兵の壊走は免れました。しかし呂布の行方は分かりません」
「許チョは、どこだ」
「……将軍は今、治療中です。殿を守るべく自ら呂布に立ち向かい、右腕を失う重傷を。虎士はほぼ壊滅といって良いでしょう」
まさか、あの許チョが。どうしてこうも、俺は失敗ばかりが続くのだろうか。
我が身に傷を負うよりも、自分のために大切な人が傷ついてしまうことに、どうしようもなく腹が立つ。
「包囲はまだ、崩れていない。そうだな」
「は、はい」
「荀攸、俺を北門に連れていけ。その後は南門に。臧覇、陳登将軍と会わなければ」
「なりません! 殿に刺さった矢には毒が塗られており、動くと毒が回ってしまいます。何卒、今は安静に」
「高祖、劉邦を見習うんだ。俺が兵の前に顔を出すことが、大事だろう。このままでは負けるぞ」
ただでさえ呂布の急襲で事態が混乱しているんだ。しかも呂布の動向も掴めないまま。
こんな状況で再び、呂布が急襲を仕掛けてきたらどうなる。城内の高順も打って出るだろう。
その為には何が何でも、俺が無事であることを敵味方に知らせる必要がある。
まだ城攻めは、始まったばかりだろうが。
激しい痛みを訴える身体に鞭を打ち、俺はそのまま起き上がろうとする。
その時だった。傍らで座っていた不其が急に立ち上がり、俺の体を足で押さえつけたのだ。
「き、貴様、殿に何たることを!?」
「曹昂様、動かないで。死んだら元も子もないでしょ」
「だが」
「貴方が寝込んでるくらいで、この軍は崩壊するほど弱くはない。ですよね、荀攸様」
「そ、そうです。事前の作戦通り、全軍の陣立ては迅速に進み、今なら呂布の急襲にもいくらか対応可能です。兵の士気も、殿が事前に軍規を引き締めた為、そこまで失墜してはおりません」
「まぁ、うーん……」
「殿に変わり、西門の指揮は曹仁将軍が務めますので、戦況でも大きな問題は御座いません。どうか安静になさってください。殿に何かあれば、目を覚ました許チョ将軍が自害しかねません」
「それは、嫌だな……分かった。任せても、良いんだな」
「ここに来るまで、殿が色々と施した準備が活きております。どうかご安心ください」
宛城の戦いの時とも、定陶での戦いの時とも違う。
確かに不測の事態を招き、大きな犠牲も出したが、小さく前には進み続けている。
「堤防の建設を、急げ。良いな」
「はい」
◆
上手くいったのは、最初の襲撃だけだったように思う。
やはりあの時確実に曹昂の首を刎ねておけばと、焚火を眺める呂布は溜息を吐く。
「張遼、残る兵は」
「半数ほどです。一旦、城から離れて再起を図った方が」
「この天下に俺の居場所はない。ここで勝つしかないんだ。それに高順を見捨てられるものか」
高順は城をよく守っていた。何倍もの兵力を擁する曹昂軍が、攻めあぐねているのだ。
だからこそ自分が何とか包囲を崩すしかない。分かってはいるつもりだった。
だが、曹昂軍は病的なまでに馬を阻むことに注力しているのだ。
柵を立て、拒馬槍を構え、兵車を巡らせ、弩兵や弓兵も充実している。
呂布軍を阻むというよりは、自分一人だけを封じ込めるような陣立てに思えた。
なるほど。曹操亡き後もなぜ滅びなかったのかが、分かったような気がした。
「話に聞けば、曹昂は負傷で伏せっているとか。敵もまた苦しいのだ、好機はある」
「次は如何にして、攻めますか」
「俺の勘に任せる。城内も俺によく呼応してくれているし、何も打つ手が無いわけではない」
「やはり、どこかの城門の大将を討たねば好転しません」
「その通りだ。だが、そんなことは相手も分かっていることだ」
呂布は呑気に寝息を立て始めた。こんな苦しい戦況で、よく眠れるものだ。
張遼も、周囲の兵士達も、そんな大将に半ば呆れつつ、そして頼もしさを感じながら眠りについた。
まだ終わっていない。
皆がその闘志を、胸に抱きながら。
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