魔法使いのダークチェリー 17
洒落た白い壁に張られた窓の、穏やかな日差しが、夏の暑さに照り返されて眩しく感じる。
新品と言われても納得してしまうほどに磨き上げられたシンク。
一度も使われていないように見える、剥げたところのない黒塗りのガスコンロ。
白味がかった灰色のマーブル模様を描く台は、大理石の作業台。
今回講習会場に選ばれたのは、オシャレな都会風のキッチンスタジオ。
……いや、たしかに講習会の内容がシロップ作りだから、会場の選択には納得しかないけれど。
もうちょっと、なんかこう……。
「調合師の講習とは思えない」
私が感じていた、言語化できない複雑な気持ちを代弁する声。
「だろ?」
「ネア、もう来てたんだ」
ネアは私では到底持ち上げられないであろう大きな木箱を三箱、講師用の正面キッチンの裏へ置く。
「カナタは?」
「今協会の人と打ち合わせしてる。多分そろそろ戻ってくると思うけど……」
入口を窺うと、タイミングよくドアが開く。
「お待たせー。あら、ネア。早かったわね?」
今日は講師の補助をしてもらうだけの予定だったのに。
付け足した姉に、ネアは乾いた笑いを漏らす。
「ふたりであの量を持ってこれると?」
指さした木箱。
あれが、他にもまだあるとネアは言う。
「そんなの、協会の人間を使うに決まっているじゃない。元々向こうの都合なんだし」
通常運転の姉に、ネアは肩をすくめる。
「なんにせよ、早めに来てよかったよ」
ネアはそう言いながら、材料を取りに戻っていく。
そんな彼の後ろ姿を見送り、私は姉に問いかける。
「何時から?」
「あと一時間もないわ。既に待ってる人もいたの」
「えっ、早」
「とはいえ、わたしたちができることは材料を用意してお鍋を出して……。あ、包丁も確認しておかないと」
姉に言われるままに、私は備品が揃っているかの確認に、各テーブルを回る。
うん、ちゃんとある。
「……あ」
「どうしたの?」
「おねえちゃん、三角コーナーの網がないよ」
「あら、大変。注文し忘れたかしら」
にわかに慌て始める姉、つられて焦りを感じる私。
「それなら、こっちゃどうやけ?」
……二人しかいなかったはずの室内に、突如響く方言。
「?!」
単に気を抜いていたからかもしれないけれど、気配を感じられなかった。
急な乱入者に、私は思わず構えを取る。
「かんに! おどかすつもりはなかったが!」
振り向いた先には、そばかすが印象的な女の子。
女の子と言うには、姉と同年代な気もする背の高めの彼女は、手を挙げろ! のポーズで固まっている。
「今日の受講者さんですか? すいません、まだ準備が終わっていないんですよ」
姉がやんわりと外へ出そうとする。
彼女は慌てたように、「ちょっこし待って!」と叫ぶ。
(ちょっこし……?)
「入る気はなかったがやちゃ。ただ、気になってちょっこし覗いたら、困っとったみたいやさかい。三角コーナーの網が無いんやって?」
自身の肩から下がる鞄の中を漁る彼女。
私は姉の近くで、内緒話をする。
「……なんて言ってたか分かった?」
「なんとなくね。意味が分からない単語も多かったけど」
そんなことを言い合っていると、お目当てのものを見付けたようで、彼女は某未来型ロボットのように高々とそれを掲げる。
「じゃーん。ボクが開発した、植物由来の濾過袋やちゃー」
枯草色と言うのだろうか。
パラフィンシートくらいの薄さの茶色の袋を取り出し、彼女は三角コーナーに設置する。
「こっちゃ吸水性が高いんや。おむつと同じくらいの吸水性。生ごみの水分を吸うてくれて、そのまま固まるが。植物由来やさかい、燃えるゴミで出せるっていうスグレモノやちゃ!」
あと、臭いが漏れない!
そう熱弁した彼女は、私たちの訝し気な表情に気が付いたのだろう。
「ほんとやち!」
必死にアピールしていた。
「……まあ、商品アピールはどうあれ、無いものはしょうがないし……。おねえちゃん、使ってみる?」
「……ええ、そうね。すいませんがそれ、いくらになりますか?」
「試供品でいいちゃ。譲るちゃ。その代わり、あとで使用感とか聞かせてほしいちゃ。今後の参考にするさかい」
そう言ってごそっと鷲掴みして、その袋を目の前に差し出してくる。
「ああ、ええっと……。ありがとう?」
「どういたしまして」
「名前を聞いてもいいかしら?」
「ボクちゃ
丁寧に頭を下げる彼女に、ふと、富山の薬師で、最近出会った人がいたなぁ。なんて思い出す。
「薬師戸……。歌麿さん?」
「歌麿のこと知っとるが? ボクの弟やちゃ!」
身内の話題が出たからなのか、嬉しそうな表情を浮かべる彼女に、私は首を傾げる。
(あれ? でも彼、破門されたって……)
「だちかん、時間取らせたね。それじゃあ、外で待っとるちゃ。よければ、講習の後にでも弟のこと教えてちゃー」
ひらひらと手を振りながら外へ出て行く彼女は中々のフリーダム。
もしかすると、歌麿さんと負けず劣らずの奔放さかもしれない。
「ううん、嵐みたいな人だったわね」
「そうだね。……あ、私、この袋三角コーナーに張ってくる!」
「お願いね。わたしのほうも準備しておくわ」
木箱へと向かう姉を見送り、私はごっそりと置いて行かれた濾過袋とやらを、三角コーナーに張っていったのだった。
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