???

 夜の繁華街。

そこは、煌びやかなネオンが目に眩しく映る大人の世界。


 愛情、劣情、欲望、嫉妬。

そのすべてが渦巻くそこは胡蝶の夢。


 夢に溺れて身を落とす者もいる。

夢を諦めきれず身をやつす者もいる。


 そんな世界とのうまい付き合い方はきっと、遠くから見下ろす傍観者。

夢に触れてしまえば、それに溺れてしまえば、抜け出すことのできない底なし沼。


 喧騒から離れた裏路地は、衆人環視の目が届かない場所。

そこはどんな悪事にも秘め事にも、口を出すのは一切のタブー。


 俗世から隠れるがごとく密やかに建つ隠れ家的バーは、そんな陰謀渦巻く裏路地にあった。


「いらっしゃいませ」


 多くを語らぬバーテンダー。

今宵初の客となる、二人組を招き入れる。


「一応案内はしたけどよ、本当にいいのか?」


 席に着くや否や、男はそんなことを言い出す。

対するは女。

彼女の美貌は、ネオンの光を受け、そのままの色を映してしまうほど純白な肌色から来ていた。


「いいわ。覚悟は決めて来たんだから」


 バーテンダーは何も言わない。

ここでは己に話しかけられない限り、プライベートな会話に口を出すことはタブーとなる。


「ご注文は?」


 定型句を口に出せば、男からは「ミリオンダラー」と名前が飛ぶ。


「ギムレット」


 女が口に出したその名前を聞いて、男が慌てて止めていた。


「ちょっと待てって。さすがのオレも未成年に酒は飲ませられないぞ」


 チッ。

女の口から勢いよく舌打ちがはじけ飛ぶ。


「……じゃあ、ギムレット風のノンアルコール」

「かしこまりました」


 心底安心したように胸を撫で下ろす男と、どこか不満そうな女の取り合わせ。

未成年、と先ほど言っただろうか。

そうは見えないほどに大人びている彼女のための、ギムレット風ドリンクをバーテンダーは手早く仕上げる。


「こちら、ノンアルコールギムレットです」

「ありがとう」


 彼女はグラスの中身を揺らす。

そして、グラスの縁に挟んでいる飾り切りにしたライムをその指で取った。


「ギムレット知ってたんだな」

「最近、カクテルを調べているの」


 男はミリオンダラーの入ったグラスを傾け、味わっているのかもわからない程、一気に飲み干す。

ピンク色とも、オレンジ色とも取れるカクテルは、見る見るうちに空になった。

男は飾ってあったパイナップルを咀嚼する。


「アンタに栄光って、似合わないわね」

「そう言うお前も、似合わないことしているじゃないか」

「こっちはいいのよ」

「まぁずいぶんと。そんなに女々しいカクテル飲んでおきながら、よく言うよ」


 女はその言葉に気を悪くすることもなく、くっと、ノンアルコールギムレットを傾ける。


「……甘くないわね」

「そりゃそうさ」

「アンタのは甘そうね」

「正直言ってオレ好み」


 女は飲み干したグラスの縁を指でなぞる。

男はもう一杯、ミリオンダラーをバーテンダーに頼む。


「長い別れでも予感しているのか」

「……」


 女は何も言わない。

ただ、そっと微笑むだけ。


 二杯目のミリオンダラーを飲み干した男は肩を竦め、立ち上がる。

当然のように、パイナップルを口に含んで。


「オレはもう行く」

「そう」

「しばらくしたら来るって話だ」

「ねえ」


 女は出て行こうとする男の背に、視線も向けないで平坦に言い放つ。


「ありがとうね」


 男は一度、女に視線を向ける。

一瞥すらしない女に、彼はもう一度肩を竦め、そのまま出て行った。


 空になったグラス。

それを指ではじいて、高い音を響かせる女。


「あれから五年、か」


 彼女はぽつりと呟いた。

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