08 二番目はけしからん尻忍


 目が覚めた。

 テントの中は暗く、入り口の隙間から見える外も暗い。

 自然とバイザーが展開して顔を覆い、暗視機能が発動する。

 腕に絡みつくようにして女が眠っている。

 女……いやまだ少女だった。アルラと年齢はそう変わらないのではないだろうか。

 手を出さなかったことにほっとし、そして手を出す方法がわからなかったことを思い出して、苦い気分になる。

 絡みつく少女の腕から抜け出し、音を殺してテントから出る。


 静まり返った夜の中、【生体探知】はすぐ側に立つ存在を見つけ出している。

 無音の攻撃を腕で受けた。

 かすかに響く硬い音。相手は鼻から上を黒い布で覆い顔を隠している。

 あれで見えているのか?

 口元はこちらが攻撃を防いだことに驚いている。

 短い赤い髪。細く、髭のない顎。

 女か。

 視線をその下に移動させて、驚いた。

 この世界の基準で言えば特殊な裁縫技術で作られたであろうことは確実な衣装。

 露出面が非常に多い。

 水着の上からパーツを付け足しているかのような格好だ。


 受付嬢の言葉を思い出した。


「くノ一……忍者か?」

「っ!」


 俺の言葉で驚きを示していた唇が引き結ばれた。

 女の手にはナイフというには厚い刃が握られている。クナイかもしれない。

 片方は俺の腕が受け止めている。

 もう片方の手にもクナイが握られていて、それが俺の首を狙って突き上げられる。

 挙動はすでに見えていた。即座に腕を押さえ、そして投げる。

 そのまま関節を極めて取り押さえるつもりだったが、向こうもやられたままとはいかない。

 投げられたときに自ら飛び、自由な手の方でクナイを投げつけて来た。

 避けるだけもできたが、それよりも驚きが勝って手を放してしまった。

 その装束から想像ができたといえば、そうかもしれない。

 だが、そんなものがゲームの中以外にも想像するという事実は驚きに値する。

 その衣装の下半身……明確に言えばヒップだ。

 臀部。

 尻。

 丸出しだった。

 紐のようなものが局部を隠してはいたものの、その見事な桃は隠されていない。


『出たな尻忍どもめ! けしからん、けしからんぞおおおおおおお!』


 プレイヤーの魂の叫びが脳内で再生される。

 それは歓喜の咆哮だ。


 プレイヤーはキャラメイクの時コタロウを女にするか男にするか非常に悩んだという。

『バニシングギア』は一人称視点と三人称視点を自由に変更できるが、三人称視点では常にキャラクターの背中を見ることになる。

 ゲームではよくあることだが、そのためにプレイヤーはこの手のゲームではキャラクターに女性を選ぶことが多いそうだ。

 理由は、どうせ見続けるなら女の背中がいいというもの。

 より正確には尻だ。

 だが、『バニシングギア』ではコタロウを創った。

 その理由は普通のNPCにセクシーなキャラクターが多いからというものだ。

 そういうキャラクターたちを覗き見るならば、男キャラの方がいいとプレイヤーは主張する。


 わかるようなわからないような……なんともいえない。

 だがここで、宙を舞う尻を見た時に、俺は確かにプレイヤーの叫びを脳に感じ、そして魂に衝撃を受けた。


 なるほど、これがけしからん尻忍というものか。


 空中で身を捻って着地した尻忍はこちらを睨む。

 黒い布で顔の半分が隠されているというのに、不思議なもので視線を感じる。

 向こう側からは見える作りなのか、あるいはなにか細工があるのか。


「っ!」


 尻忍がなにかを短く叫ぶ。

 すると彼女の周りで黒い霧が発生し、肌色を隠す。

 霧は即座に消え失せ、そして尻忍の姿も見当たらない。

【生体探知】を使えば、一気に離れていく存在を一つ探知する。

 だが、追いかけはしなかった。


「いまは……な」


 次は逃がさん。

 どうしてその気持ちが強くなるのか……すでにプレイヤーの支配下にはなく俺自身に尻忍への執着はないはずなのにと思いつつ、苦笑を浮かべた。

 ふと気づくと、テントの側になにか袋がある。

 掌に簡単に収まる程度の袋。

 それを拾って感じたのはチャラりとしたコインの重みだった。


 朝、その袋を起きて来た少女に渡すと、彼女は表情を明るくしてそれを受け取った。


「それはなんだ?」

「知らないんですか?」


 早朝の空気で見る彼女は薄汚れていた。

 だが、汚れを拭えばきれいになりそうな予感のする少女でもあった。

 とはいえ、買うという気分はすでに失せてしまっている。


「これは義賊様からの贈り物です」

「義賊?」

「はい。困っている私たちを助けてくれる義賊様です」


 少女はレンという名前だった。

 レンの語るところによると、義賊はここに流れ着いた難民たちにこうして少額のお金を配っているのだそうだ。

 その正体は不明。

 その金がどこからやって来ているのかも不明。

 全てが謎故に義賊なのだという。

 しかし、それなら何故、俺は襲われたのか?

 気配に気づいたからか?

 なにか理不尽な気配を感じる。コインももらえていないしな。


 そこかしこのテントで義賊の贈り物に気付いた声が上がる。

 感謝の声だけならまだしも、祈りを捧げているような声も聞こえて来た。

 だが、聞こえてくるのは歓喜の声だけではない。


「ちょっと、それはあたしんだよ!」

「うるせぇ! よこせ!」


 騒ぎに気付いてそちらを見れば男が老女から贈り物の小袋を奪っている。


「他にも持ってる奴は大人しく寄こせ! デリー一家に睨まれたくなかったらな!」


 そんなことを叫んでいる。

 見れば同じようなことがそこかしこで起こっているようだ。

 ほとんどが小袋を抱えて逃げているが、中には捕まって奪われている。


「善意を完遂するのは難しいな」


 それをまざまざと見せつけられた気分だ。


「おい、お前!」


 そんなことを考えていると老女から小袋奪った男がこちらにやって来た。


「じろじろ見てんじゃねぇよ!」

「堂々とした小悪党なんて珍しいからな。見てしまうさ」

「なに⁉」

「いや、こんな環境だからな。ドブネズミは勝手に増えるか」

「てめぇ!」


 腹を立てたらしい男が殴りかかって来る。

 遅い。

 小パンチを顔面に見舞う。

 男は「はぐっ」と声を上げて動きを止めた。

 すぐにその鼻から血が滴る。


「お、前……」


 そのすぐ後に、男は白目を剝いて倒れた。

 男が倒れると老女や複数の人々が走り寄って奪われた小袋を取り返し、そのまま散っていく。

 なかなか素早い。


「おい!」


 俺も去るかと歩き出すと、仲間と思わしき連中が俺を囲んだ。




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