第3話



 そして数分後。

「ぎゃーっ、前言撤回!やっぱ帰るー!」

 うなりをあげて飛来する矢の雨の中、俺たちは悲鳴をあげて逃げ回っていた。

 城に入った途端、城門がひとりでに閉まったかと思うと、色んな方向から矢が雨あられと降り注いできたのだ。「魔女の手下だ!」と金子は叫んだが、そいつらの姿はどこにも見えず、剣一本じゃ次々と飛んでくる矢をどうすることもできず、俺たちはこうして逃げ回っているというわけだった。

「おい、金子!この矢どうにかしろよ!なんのための魔法使いだお前!!」

 広い広間を駆け抜けながら怒鳴ると、金子ははっと思い出したように杖を取り出し、背後から飛んできた矢の軍勢に向かって何語かわからない呪文を唱えた。矢がキラキラとした靄に包まれ、少しだけ速度が遅くなる。

「よし、いいぞ!」

 ぐっとガッツポーズをした俺は、しかし間髪いれず顔面を襲った衝撃に絶句した。殻が粉々になり、中から白と黄色のぬるぬるしたものが顔中に飛び散る。次いで体のいたる部分に同じものが炸裂した。

 ふるふると震える手で顔をぬぐい、俺は思いっきり金子を怒鳴りつける。

「矢を生卵に変えるとかどんな魔法だよどこで使うんだよ!?ってか、矢を消すとかできないわけ!?」

「ご、ごめんなさい、自分この魔法しか使えなくて…」

「使えねー!役立たずー!!」

 と、がむしゃらに走り回っていた俺たちの前に、城の中で一番高いと思われる塔が見えてきた。入り口もなく、ただてっぺんのほうに窓が二つついているだけのその塔を見た途端、金子が「あ!」と声をあげた。

「あれ!あれですよ、眠り姫が囚われている塔は!」

「なに!?」

 俺は塔を見上げて舌打ちをした。どう考えてもその塔に入るのは不可能だった。外側から登っていければ、あの窓から入ることもできるかもしれないが…。

 その時、背後で金子が絶望的な悲鳴をあげた。塔のまわりを回って秘密の扉がないか調べていた俺は、顔をあげないまま「どうした!?」と尋ねた。しかし無言のままの金子を訝しげに見やり、彼の視線の先――頭上にゆっくりと顔を向ける。

「なっ」

 そしておれも、金子と同様絶句してしまった。これは夢だとわかっていても、信じたくない存在が、俺たちの頭上でばっさばっさとコウモリのような羽をはためかせていたのだ。

――そういえば、眠りの森の美女っていったら、こいつも忘れちゃいけないよな。

 黒々とした鱗をもつからだ、グロテスクにねじれた長い角、絵とかでしか見たことのない空想上の怪物が、ゆっくりと俺たちの目の前に降りて来た。

鋭い歯が綺麗に並んだ大口をがばりとあけて、空気を振動させるほどの咆哮を轟かせる。

「…ドラゴン、ね」

 俺はもう苦笑するしかなかった。隣では、杖をにぎりしめた金子が今にも気絶しそうな顔をしている。そりゃぁ、奴の魔法じゃ太刀打ちできる相手じゃないだろ。

 これまでか…GAMEOVER的な心境であきらめかけた俺だったが、ふと、ドラゴンの首に巻かれている首輪と、首輪から長く垂れ下がっているロープに気づいて目をきらめかせた。次の瞬間には、金子が止めるのも聞かずにドラゴンに向かって駆け出していた。

「王子!そんなヤケッパチに突っ込んでもやられちゃうだけですよ!」

 金子がうしろで悲鳴をあげている。違うっつーの、と口の端で笑いながら、俺はすらりと剣を抜いて、ドラゴンの吐く炎を避けながら迷わず切り込んだ。

 そして切り落とされて地面に落ちたのはドラゴンの尻尾…ではなく、奴の首輪から垂れ下がっているロープだった。

「は?」

 呆気にとられている金子を尻目に、俺は素早くロープの先をわっかに結んで、懇親の力をこめてロープを投げ上げた。ロープはしゅるしゅると面白いほど高く飛んでいき、漫画のようにできすぎた感じで、わっかにした部分が塔の先端にひっかかった。

 何度かロープを引っ張ってちゃんとひっかかってることを確認し、俺はよし!と喝采をあげる。そしてぽかんと成り行きを見守っている金子に、笑顔で手をふった。

「じゃ、金子、あとはよろしく頼んだぞ!」

「…え、ええぇぇ!?ど、ドラゴンと戦わずに姫んとこ行くんですか!?」

 王子のやることじゃない!といわんばかりの金子に、俺は「うん」とあっさり首肯した。

「だいたいさー俺いっつもおもうんだけど、あそこでドラゴンと戦うのってすっげー無駄だと思うんだよね~。逃げて姫を助けてドラゴンなんか放って城出ちゃえば、全て丸く収まるとおもわね?死んだら元も子もないし」

「は、はぁ…いやまぁ、それはそうですけど――」

「ってなわけで、俺の変わりに頑張ってくれ!」

 朗らかに笑ってロープを登り始めた俺の背中に、金子の「人でなし~!」という悲痛な声が追いすがった。そんな金子を嘲笑うかのように、ドラゴンの耳障りな咆哮が辺り一帯に響き渡る。

「ま、大丈夫。これ夢だもん。死にはしないよ…きっとね」

 無責任に呟いて、俺はすいすいと順調にロープを登り続けた。

やっとの思いで目的の窓に辿り着いた俺は、しかし、ロープにぶらさがった状況で窓を開けられるはずもなく、自分の無計画性を呪った。

「ったく、こうなりゃヤケだ!」

 だりゃぁ!とやけっぱちな怒鳴り声と共に、俺は勢いよく窓を蹴破った。ガラスが割れる派手な音が響き、破片を撒き散らしながら部屋に転がり込む。もちろん、王子である俺は、ケガ一つせずに涼しい顔で立ち上がり、部屋を見渡した。

 石造りの部屋はどこかひんやりとしていて、神秘的なほどに静かだ。

 そして、もう一つの窓から差し込む月光が、やわらかく降り注ぐ天蓋つきベッドを見つけたとき、俺は我知れず息を呑んだ。

 ぎゅっと唇を引き結び、一歩一歩、確かめるように足を踏み出す。天蓋から垂れ下がるシルクのカーテンに手をかけ、息を潜めながら中を覗き込んだ。

「あ」

 思わず声をあげていた。やっと…やっと念願の眠り姫を、見つけた。

 ビロードのクッションに柔らかい茶色の髪を波立たせ、こじんまりとした白い横顔は、なんだか少しえらそうにつんととりすましている。イメージとは結構違うが、確かになんて綺麗な人だろうと、俺は息を詰めてその寝顔をながめた。

 ぎゅっと引き結んだ唇は、ふっくらとしていて自然な桜色を帯びている。鼻は少し低いが、鼻梁がすっと通っていて可愛らしい。きっと美しいのであろうその瞳は、今は硬く閉じられていた。微塵も揺らがない長い睫毛が、健康的な色の頬に影を落としている。

 すっげー綺麗だけど…なんか、誰かに似てる気が…。

 俺は彼女の寝顔に見惚れながら首をひねった。

 誰だっけ?しかもなんか見慣れた顔のような気がするのは気のせいか?大学の奴…かな?なつこ、りか、加藤さん、藤田さ…んでもないよな。うーん、誰だ!?もしかして美沙とか?はっはっは、いやまさか!確かにちょぉっと目の辺りが似てるかもしれないけどーそれ以外は全然…いや…それ以外もちょっと似てる、けど…いやいや鼻だけだろ。

 だってまさか――。

 そこまで考えて、俺は突如凍りついた。一気にマイナス零度まで頭の中が冷え切った。

 固まった首を無理やりぐぐぐっとひねって、改めて眠り姫を見下ろす。

「…おい…ウソだって言ってくれよ」

 そして、俺はへなへなとその場に崩れ落ちてしまった。

「似てるもなにも、美沙そのもんじゃねーかよ!」

 見慣れた、っていうか見飽きた女の姿が、そこにあった。

 豪奢なベッドで俺の迎えを待っていたのは、今一番見たくないはずの女だった。

「なにが眠り姫だーッ!!ふざけやがってあの馬鹿!エセ妖精!詐欺もいいとこだぞこんちくしょう!!」

 一瞬でも美沙を美しいとか思ってしまった自分が悔しくて、俺は本気で地団太を踏んだ。

「どこが絶世の美女だグラマーだぁ!?一度だってこいつを美人だなんて思ったことないし、こいつのくびれとか俺は未だに発見できてないっつの!土管並みの寸胴だっての!あぁぁーッなんだったんだよ、今までの俺の苦労はー!」

 頭をがしがしとかきむしりながら言いたい放題叫んで、俺は美沙に背を向けた。しばらくは腹の虫がおさまらなくてぶつぶつと不平不満を呟いていたが、やがて俺は背後の沈黙に耐えかねて振り返った。

 いつもなら、こんなこと言ったら百倍とか千倍ものお返しが雨あられと降り注ぐのに。

覗き込む美沙の寝顔は少しも変わりがなくて。なんだか、寝顔というより死に顔のように思えてきた。おいおい、冗談じゃねーよ。

「ったく…いつまで寝てんだよ。おい美沙、起きろ」

 腹の上で綺麗に重ねられた手を掴み、少し荒々しくゆさぶる。しかし彼女は一向にめざめる様子もなく、瞼すらぴくりとも動かない。むくりと、俺の中で不安が顔をもたげた。

「美沙!みーさ!」

 バンバンと耳元でクッションを叩く。肩を掴んで揺さぶる。鼻をつまむ、ほっぺをつねる、くすぐる。

 普段やってたら殺されるような俺の怒涛の攻撃も、今の彼女には全く効かなかった。自分でも知らないうちに、不安に駆られた声が零れ出ていた。

「ど、どうして起きないんだよ…」

「そりゃぁ、千年も眠り続けてるんですから、ちょっとやそっとのことじゃ起きませんよ」

 突然背後で甲高い声が聞こえ、俺は「わぁっ」と情けない声をあげて飛び退った。いつの間に現れたのか、金子妖精が例の空気のぬけかけた風船見たいな笑顔を浮かべて、俺のすぐそばに立っていた。手にはあのクソ役に立たない棒切れを握ったままだ。

「あ、あぁ無事だったのか…っていうかお前だましやがったな!?こいつのどこが眠り姫だよ!俺はこんな女のためにあんな大変な思いしたくなかったっつの!」

「眠り姫を目覚めさせる方法はただ一つ」

「人の話を聞けー!」

 俺の叫びを完璧に無視して、金子妖精は芝居がかった仕草で両手を胸にあてる。

「心から自分を愛してくれる男の口付けで、姫の呪いはとけるのであります…!」

「なーにが“とけるのであります”だ、馬鹿馬鹿しい。勝手にやってろ。俺は帰る!」

 鼻息荒く踵をかえし、窓に歩み寄った俺は、しかし金子妖精の冷ややかな声に足を止めた。

「じゃぁ本当に、彼女が目覚めなくてもいいんですね?」

「いいんじゃね?もう俺には関係ねぇし」

 振り返って、金子の糸くずみたいな目を真っ向から睨み返す。

「つかお前関係ないじゃん。いちいち俺と美沙のことに首突っ込むなよ」

「…お前って奴は、ほんとに馬鹿だな」

 突然、金子の口調が変わった。驚いて目を見開く俺をじっと見つめて、諭すように話し続ける。

「馬鹿っていうか、ある意味可愛そうだよ。そうやって、自分の気持ちと逆の方向に突き進んでて楽しいか?大切なもの、わかってて見失って楽しいか?そうやって自分を誤魔化し続けて…その先には何があるんだよ」

 俺は金子の言葉に言い返そうと口を開きかけたが、はっと息を呑んで口をつぐんだ。

 金子の体が、ゆっくりと光に包まれ、透け始めたのだ。きらきらとした粒子になって消えていく金子の姿に、俺は言葉を失って立ちすくんでいた。

 完全に消えてしまう直前、金子が残していった言葉は、以前もどこかで聞いたものだった。


「三谷、本当に…それでいいのか?」


 光に照らされたほこりのような煌きを残して、金子は姿を消した。

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