Episode 1-4
どうしよう。
躊躇する久芳に、名月が唇を動かした。出ろよ。
鼻を小さく鳴らして、通話ボタンを押し、耳に押し当てる。
少し間があって、沈んだ声色の、けれどどこか艶のある女の声が聞こえてくる。
「……久芳?」 確かめるような、名前の呼び方だった。
「覚えてる?お母さんよ。」
「…………」
ぞ、と、背筋が泡立ち、震える。確かにこの声は、——母のアンナのものだ。
一度聞いたら忘れられない、優しいけれど、水を打ったように凪いで、どこか……泥のように形の無い、声。
「電話に出てくれてありがとう。どう、今お話できる?」
「…………何?」
その一言を、地雷原の上を歩くように絞り出した。
異常が起きている。
伝え聞く自分の言動に身に覚えはなく、名月の様子はおかしいし、極めつけは十年ぶりに連絡してきた母親。
身構えないわけがなかった。
聞きたいことが山のようにある。なぜ自分は、この町を出たがっているのか。どうして母は行方知れずになったのか。
どうして何も事情を知らない名月が、長年行方知れずの母を探し出せたのか。
母自身が何を考えているのか。
「あなた、言っていたらしいじゃない。この町から出たいって。
だから、お母さんが連れ出してあげる。お友達も一緒よ」
ナツキに目配せした。「東院アンナか?」と唇の動きで名月が確認する。
頷き、母と名乗る女の声に、問いかける。
「連れ出してあげるって、どうやって……」
「この町は天啓の腕団が手中に収めた土地よ。貴方は彼等に目をつけられているわ。
へたに外に出ようとすればすぐにバレて、連れ戻されてしまう。
お母さんが、西澤さんにかけあって、貴方は外に出してもらえるよう、こっそり手引きしてあげる」
唐突すぎる展開だった。目をつけられている。自分が?
新興宗教団体にあまり良い印象はないが、それ以前に、目をつけられるような問題行動はした覚えなどない。……はずだ。
思えば、祖父母が死んだときから、やけに手際が良いとは思っていた。
葬儀の手伝い、引っ越しの手続き、入院していた弟の転院まで、全て慈善団体がこなしてくれた。
やることといえば、少ない手荷物を抱えて、引っ越しの為に車に乗ったくらいだ。
もしすべてが計算ずくだとしたら、一体どの段階から目をつけられていたのだろう?
そもそも、何が目的で自分をこの町に閉じ込めているのだろう。
思考を許される間もなく、母の言葉が続く。
「ただし、脱出のためには、二人にも協力してもらわないといけないのだけど」「……協力って、何を?」
少し躊躇うような素振りを、電話の奥で感じ取る。
東院アンナは早口気味に、しかししっかりと言葉を紡ぐ。
「西澤さんはね、天啓の腕団のやりかたや教義に以前から疑問を持っていたみたいなの。
そも、この町は天啓の腕団と、彼等をサポートする慈善団体が実質、支配しているかのような異様な場所よ。まるで監獄ね。
西澤さんはね、この町の秘密の根幹を世間に公開したいの。
そこで必要なのが、貴方達よ。
貴方達には、この町の秘密を外に持ち出して、世間にばらまいてもらうの。どんな形でもいいから。
そうすれば、他の子達だって自由に……」
は、とアンナが小さく息を飲む音がした。
「あまり時間がないわ。ここで一旦切るわね。
明日、講堂で行われるミサにおいでなさい。西澤さんに事情を話せば協力してくれるはず。
信じてるからね。愛してるわ、久芳」
ぶつん、と慌ただしく、電話が切れる。
向こうで何かがあったのだろうか、しかし推測することも出来ない。
母は何を知っているのだろう。この町は何なのだろう。天啓の腕団とやらは、何を画策しているのだろう。
今となっては、この小さなファミレスですら、悪党たちの巣窟であるかのように思え、寒々しさに背筋がゆっくり冷えていく。
「…………」
「お袋さん、なんて?」
「俺らを街から出してやるって」
「本当か!」 名月が驚きに目を見開く。
「ただ、出してやるからここの秘密を公表しろって」
「ヒミツだあ?なんで自分でやらねえんだろ」
「さあな。……母さん、之茂のことは何も言わなかったな」
「……おい待てよ、秘密ってそれは……」
名月が何か閃いたように、ガタン、と立ち上がる。
……直後。彼の動きが突如としてフリーズし、ぐるんっと彼は白目を剝いてバタン!と倒れこむ。
「え、おい、ナツキ!?」
「——」
周囲は一瞬驚きの表情で二人を見る。
……だが、すぐに従業員は作業を再開し、客は食事や会話にいそしむ。
名月が倒れたことなど、まるでコップでも落ちたかのような些事も同然といった振る舞い。
どころか、従業員や行きかう客は、通路に倒れた名月を跨いで、無関心そのものを貫いている。
──見えていないのか?それともこいつ等が異常なのか?
「ナツキ、しっかりしろ!起きろってば!」
倒れた名月に駆け寄り、その様子を診る。
気絶した、というよりも、まるでパソコンがシャットダウンしたかのような、異様な意識の喪失だ。
病気なのか?そう思い、うなじを見て、凍りついた。
「No-GR-72」という番号が刻まれている。
まるで商品のバーコードのような模様が、番号のすぐ下に彫られている。ぞ、と薄ら寒さが背筋を駆ける。
こんなものが名月の首にあったとして、何度もそのうなじを見る機会はあったはずだ。
なのになぜ、こんなものですら今まで気づかず接していたのか。いつからあったものなのか。疑問の風船が次々に浮かぶのに、答えが出ず、
「……なんなんだよ、どいつもこいつも……!」
ころり、とナツキのポケットから、薬のパッケージが転がり出て来た。
久芳が持っている頭痛薬と、パッケージが同じだ。用途は心臓疾患用のようだが。
名月は健康体のはずだ。病気を患っているのか?
放心していると、はっと名月が目を覚ます。無機質なガラスめいた目玉が、久芳を見る。
「……。お、俺、いま寝てた?」
「……いや、寝てたっつーか……」
答えに窮した。倒れた事を自覚していないのだろうか?
名月は目を白黒させて、こめかみをぐりぐりと親指でマッサージする。
手を差し出し、顔、首、体のラインを掌で撫でるように探る。不自然な溝や凹凸があるわけでもなし、手触りも普通の人間そのもの。
ついでに脇をくすぐってみる。
「うわっちょ、やめ、くすぐった、こら!?ちょ、おまマジやめ」
「(反応も普通だなあ)」
「やめろや童貞!!!」
飛んでくる右ストレート。嫌な音がした。痛い。
「痛ってぇ!!!!公衆の面前で童貞言うなや!!!」
「テメーも大声で言ってんじゃねえか!!やーい右曲がり!!!」
「うっせー短小!!!」
喧嘩を見て、少々ざわつく周囲の客たち。
さりとて誰か注意するわけでもなく、ウェイトレスたちも喧嘩する二人を諫めるわけでもない。
どころか、やはり先と同じように、障害物でも避けるようにするりと脇を抜けていく。ルンバのような、障害物を避けて通る機能を搭載された人型ロボットみたいな無機質さに、やはり異質なものを覚えた。
「……ナツキくん大丈夫、立てるわけ?」
「あ?ヘーキだけどよ……」
いたたまれなさが勝ち、二人は支払いをしてレストランを出る。
外は変わらず、土砂降りの雨。この分だと、明日も降るのだろう。
しばらく二人して、あてもなく町を彷徨い歩く。言葉を交わすこともなく、水たまりを蹴飛ばして、スニーカーに水がじわじわと染みこんでいく夜。
遊ぶ場所があるわけでもないが、たまにこうして何も言葉を交わすこともなく、ただ歩く時間を過ごすのが、少しだけ心地いい。
やがて歩き疲れる頃、名月が「ウチ来る?」と誘い、久芳は首を一度だけ縦に振った。
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