7話 不意に始まる

 ドアを開けるとすでにどこかで一杯やってきたのか、顔を赤らめたエコーがいた。


「タリアさん、もう飲んでるじゃないですか」

「ジュースだよ」

「顔が恋の色だぜ。アルコールとのキスの後だ。それでどこに行くんだ」

「うざったいことを言うんじゃないよ。それに、どこでもなにも、ここだ。ほら」


 エコーの足もとには紙袋がいくつもあった。酒瓶の頭が三つ飛び出ている。他は全部缶詰だ。


煉瓦亭れんがていでもル・メールでもいいじゃないですか。なんならシノッズでも」

「バス代がかかるだろ。シィ、お前が出すか?」

「……是非うちで」

「まあいいじゃねえか、早いとこ飯にしよう。パンがあるだろ、シィ、焼いてくれ」

「お前の好きなニシンの缶詰もあるぞ」

「はいはい。パンを焼くのも好きだし、ニシンも好きなシィ・ホープセルですよーだ」


 そうして少数ながら騒がしい夜が始まる。タリアは日頃のストレスを毒煙でも吐くかのように愚痴を垂れ、シィは適当に聞き流す。煙は途切れることなくアルコールの臭気とかき混ぜられ、エコーズ・ギフターズの唯一の欠点ともいえるたちの悪い宴会となった。


「なーにが勲章でもやろうか、だ! どうせお前らの政治的授与だろうが! そんなもん犬にでもくっつけておけ!」

「そうですねー欲しい気がしないでもないですけどねー」

「いつの話してんだよ。それってタリアさんの軍属のときでしょ」

「おうとも。私は無論断った。だがどうしてもというのでなぁ、うっく、貰ってやったんだ。それがこれだ!」


 胸ポケットから取り出すメダル。金色だったはずだがくすんでいて、しかも半分に欠けている。


「これは一等戦功勲章といってだなぁ、輝かしい戦果を挙げた者だけが貰えるものだ。もう一度言う、私はあくまでも固辞し、やつらが私に受け取ってくれと言ったのだ」

「すごいですねーただの小さいメダルですけどねー」

「あ、シィ、それ私のサバだぞ。皇国の缶詰は一個ずつだって言っただろ」


 皇国は極東の島国で漁業が盛んである。加工品も非常に有名であり、かつ輸送も手間なので輸入されたものは高価だった。


「あー、はいはいそうだったわね。おっと、タリアさぁん、お酒なくなりましたよー」

「ん、そうか」


 もうじき夜明けである。エコーはふらつきながらベッドに倒れた。


「片付けは後でいい。解散」


 もう寝息が聞こえてくる。こうなると滅多なことでは目を覚まさない。


「私たちの部屋なのに」

「いつものことだろ。私たちも寝ようぜ」

「私、ソファ使っていい? 椅子で寝ると腰が痛いのよね」

「そうかな。私は好きだぜ」

「愛煙家はそうなのかしら」

「関係ないって」


 こうした日常はあっという間に過ぎ去ってしまう。作戦を密にするための会議や、成功報酬の確認、移動経路の修正、情報収集などに時間をとられ、ユニット駆動テストとまた物資の確認をするともう作戦前日となっていた。


「全部積んだか」


 エコーの愛車であるウェール社の四駆、その後背部にあるトランクは半開きで、ロープを使って固定してある。四人乗りの後部座席まで一杯に荷物があった。


「狭い……」


 膝に小箱を乗せたシィは荷物の倒壊を防ぐため両手を広げて押さえている。


「後ろは大丈夫。いつでも行けるよ」


 少女は助手席の足場にまである荷物を踏みながらシートに滑り込んだ。


「車変えなよ。トラックの方がいいって」

「そうですよ。それなりに人がいるんですから」

「検討する」


 こう言っていつも口だけなエコーだった。

 クルトー、先日訪れたヨーディ村は荒れていた面影を残さず、立派な陣地になっていた。簡易的に仕上げた土壁をコンクリートで固め、石で地面も舗装されている。矢倉が建ち、周囲をコンクリートの塀と堀が二重になり、想像よりもずっと立派だった。

 この場所の噂を聞き付けた商人が露店を開き、いずれは発展していくだろうという気配すらあった。


「ここが出発地点か」


 少女は周囲に漂う火薬の匂いにくしゃみをした。


「報告では十キロ地点にもう一つ中継地点が出来上がってるそうだ。そこで荷を下ろし、翌日から戦闘に入る予定だ」

「多分もうリーシアも哨戒からの情報がはいってる。夜、来るかもね」

「日のあるうちに覚悟だけはしておけ」


 その時になったら遅い。突然に決まる覚悟というのは死の寸前にだけ現れるという。


「わかってます。なんならアパートを出た時にはしてましたから」

「私なんか日頃からしてるもんね」

「ずるい! それなら私だってしてるわよ」


 エコーの微笑みには気がつかない二人。中継地点はヨーディほどではないが、それなりに防衛が施されていた。コンクリート、矢倉、それらは比ではないほどちゃちなものだったが、道路の石畳においては勝っていた。輸送の経由地点であるだけにそこは綺麗に仕上がり抜かりがない。


「予報では三日間は雪が降らない。それまでは天幕を借りることになった」

「降ったらどうするんですか。寝袋しかないですけど」

「車内泊だ」

「別に土の上でもいいけど」

「がさつね、ホント」


 夜。月は雲に隠れた。夜警のミール軍曹は闇をじっと見つめている。灯りはない。敵に発見されることを嫌った。

 夜目を鍛える訓練を受けているとはいえ、先のないような暗闇は耐え難く、この番は非常に不人気だった。ミールは交代の時間がくるのを、朝を望むより強く願っていた。腕時計の針は進まない。反対に動いていると錯覚するほどに狂いゆく感覚に恐ろしくなり落ち着けと自らに言い聞かせ、小銃に触れた。

 夜襲の可能性がある。そう聞かされ、灯りもなく、数十メートルごとに仲間がいるとしても、銃に触っていないと気が保てないほどこの日の闇は深かった。

 遠くで犬が吠えるだけでも背筋が凍る、そんな夜だった。


 しかし少女はそんな夜にさえ、別なことで頭が一杯だった。


「煙草吸うのにも一苦労だ」


 点灯禁止の命令が出ているため、煙草をどうやって吸うかが問題だった。煙草ほど小さな灯でも過敏になるくらい緊張感が全員にあった。

 まずは天幕の内側に毛布の類いを張った。隙間なく、何度か外に出て確認もしたが、動作に付随する衣擦れですら、神経質になっている夜警を刺激していたことを彼女は知らない。

 砂っぽい地面、天幕の端で布団を被って一口吸い、指で天幕を押し上げて隙間をつくり、外に向かって煙を吐く。凄まじい労力だった。


「早く、朝に、なれっての……!」


 しかし疲れるので吸うのを早々に止めた。荷の入っていた箱を繋げた寝台で煙草をくわえた。火はつけなかった。


 この晩、予想されたリーシアからの襲撃はなく、代わりに翌朝未明から降ってきた雪が全軍を悩ませた。幸い小降りのため支障はないと判断されたが、兵の気分は落ち込んだ。


 世界中央陸軍第一陸戦歩兵連隊はバーナー中佐を指揮官に置き、その指揮下のエコーズ・ギフターズを含めて二百人程度。非戦闘員は五十人で、輸送や整備、医者などが加わっている。

 ウエクへの途中、小高い丘があり、そこでの戦闘が予想されていた。

 エコーを中継地点に残し、二人は徒歩での行軍をする。他の部隊よりも先行して進む、斥候だった。ギフターは普通の人間よりも身体的に優れ、力も強く足も速いし、怪我の回復速度も、個人差はあるが、どんなものでもすぐ治るといって過言ではない。だからこそ不死身だと軽率に扱われるが、痛みはもちろん、死ぬこともある。エコーの嫌う軍人、ひいては軍というものの体質的伝統がそうだった。


 ユニットを装着し、二人は一路ウエクを目指す。武骨な手足の少女に比べ、シィはかなりスマートだった。

 白い手甲はほとんど生身に近く、動きを一切阻害させないデザインだ。背中にある羽を模したブースターが飛行を可能にし、低空を跳ねるように移動する。対比すれば、ややどんくさくガリガリと砂を削りながら車輪を回す好は退屈そうに煙草の煙を吐いた。シールドは透過性であり、視界を遮らない。吐いた煙が顔にあたった。


「ただいま二十キロ地点。敵視認できず」


 インカムから返事が届く。了解、進め。ロレックの声だった。


「あーあ、やだね威張っちゃって」

「やめなって。聞こえるわよ」

「聞こえないって。試すか? おいロレックのケチ野郎、歯みがき粉くらい経費で落とせ」

『検討する』


 ぶつりと切れた。紛れもない本人の声に少女の頬がひきつる。


「……ほらな」

「お馬鹿」


 戦闘予想地点にさしかかるころ、二人は同時にそれを発見した。丘の上、一人の武装した兵士がいる。手甲脚甲、身長ほどのライフル銃。ギフターだ。

気づきは同時、敵はひらりと後退した。


「こちらエコーズ小隊大砲カノン、五キロ前方に敵発見。戦闘予測地点とほぼ合致。ギフター、一人、哨戒の可能性大」

「他には」


 シィの報告への質問だったが、それには好が応えた。声が震えている。


「不明。いや、いる。なんだあの数」


 横一列に並び丘をかけ降りる武装兵士を、先陣を切る六名のギフターを、後方に控えているだろう大砲の群れを。五感が震え、その震えを熱さに変え、戦闘が始まる。


「こちらカノン、回避不能、交戦します! 」

『退け! 後方部隊と連携しろ!』


 エコーのそれは悲鳴に近い。だが、二人の感覚はもうこの場所が、覚悟を決めるには遅すぎる場所だと理解していた。すでにしておいて良かったと、むしろ安堵したほどだった。


「よう、こちらエコーズ小隊騎兵キャバルリー、ギフターが六、他はどう見積もっても五百はある。それに大砲の射程内だ。背中を撃たれちゃあたまらねえよ」

『な、二百だと!』


 ロレックの金切声に、少女は危うくインカムを外しかけた。そして、ニコニコしながらシィの隣にすり寄って、指差しで指示を出す。


「私はギフターを。カノン、一般どもを八つ裂きにしろ」

「了解。でもそれがギフターのセリフ? 奇跡の配達人があきれるわね」


 少女は低く笑った。リーシアに突撃の号令がかかる。ギフターが迫る。大砲の声がする。兵士は静かに行進する。

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