インターネット【が】自殺「オンライン世界で織り成す人間ドラマ、感動の物語!『指先殺人者』に立ち向かう社会の闘いとは?」
水原麻以
事件の発端
脅迫文書が届いた。
『指先殺人者はいい加減な感覚でカジュアルに炎上させる。俺の再生回数は俺の物、他人の動画も俺の物、ネットは全てタダが常識。それこそが自由だ。しかしアナーキストを気取っていると自分達が世に放たれた無法者に認定される。人間は社会秩序の一員なのでネット規制がどんどん厳しくなって無味乾燥でつまらないサイトだらけになる。ネットは人を制約から解放するために発明されたがネットに呪縛されている。
最初のメールにはこんなことを書きました。
"I'm not against you, I'm against the internet. "(敵は貴方でなくネット)と。
』
死活監視のアラートが届いたのはタクシーチケットを手渡した時だった。息子の誕生日を一緒に祝えないことをLINEに投稿し運転手にUターンを頼む。
セコムの解除をイライラして待つ間、リモート接続で出来る限りの防戦をした。だが受注サーバーは既に汚染されていた。
流行りのインタラクティブ型ランサムウェアだ。手口はどんどん巧妙化する。騙された振り作戦や架空債権のニセ訴状が通用する牧歌的な時代が妬ましい。
今や交渉の相手はAIチャットだ。高い授業料を振り込んでからがゲームだ。なぜなら敵の目的は金でも企業の経営難でもなく人命だからだ。金品ならまだ諦めもつく。そこで彼らは保険をかけた。かけがえのないもの。人の命だ。
交渉に失敗すれば間接的に誰かが死ぬ。匿名性を逆手に取った遠隔人質だ。
指先が誰かの生死を決める。近頃のAIは人を追い込む文章などお手の物だ。
万が一、犠牲者が出れば会社が潰れるどころでは済まないだろう。十字架を背負い続ける気力は無かった。
カウントダウンが容赦なく続く。
私の返事は…
"I'm not against you, I'm against the internet.
そっくりそのままのオウム返しだ。お前は敵じゃない、私はネットに抗う。
そう、打ち返した。
肝を冷やしながら待つかと思いきや(それも愉快犯の娯楽だ)即答が来た。
第一段階は合格だ、と。
チャット主は驚いていた。九割の人間は恥も外聞もなく金を差し出す。
交渉条件を一方的に破棄し、頼むからこの金額を受け取ってくれと泣く。
なぜ気づいたのかと問われ真摯に返答した。
なぜなら、インターネットがインターネットを殺しているからです。
すると、相手はこう言った。
『私は社会学者でもなく、物理学者でもなく、経済学者でもなく、政治コンサルタントでもなく、歴史家でもなく、弁護士でもないので、どう説明していいのかわかりません。しかし、これまで多くのことを学びました。そして、私は真実をお伝えしています。私はネットに殺されている人々の声です。何が起きているかもインターネットが毎日自殺していることご存じでしょうそれを止める方法を知っているのは私だけかもしれません』
なぜ、そう言えるのか。思い上がりではないか。私はそう指摘した。
『インターネットが自殺するのは、私たちが巨大なコミュニティーとする目的で設計し作ったからです。知的な交流の場所としてであり、電話のような使い方はあるべき姿から離れています 』
なるほど、確か科学者が複雑な数式を画像で共有するためだった。それが負の感情まで抱え込むようになった。しかし道具の二面性から逃げていて世の中が停滞する。道具に自殺願望を投射しているだけだ。
図星を指してやった。
『私の父が、インターネットの壊滅を願い、運動が拡散しています。しかし私から見れば、彼らだけがそんな集まりではありません。彼らはただただ、インターネットから逃げて、その結果、ネットに書きこまれたメッセージを読むことで死にます。』
犯人の父親像はわかりやすい。他罰主義をこじらせた正義漢だ。
『「ネットは災いの元だ」と父は書き残しました。そのことを証明するために父はサイバー犯罪の脅威を警告しました。呼びかけに煽られて実行犯があらわれ、サイバー攻撃が蔓延りました。そして被害報告が愉快犯を刺激してエスカレートします。いたちごっこをどう防げばいいでしょうか』
直球勝負で来たか。人工知能らしいたどたどしさがあるが意味はほぼ解る。彼を発明した男は身内をネットリンチで殺されたのだろう。私怨でネットを滅ぼそうとしている。しかし、本当にそんなことが出来るのか。地上の電力網が絶えても再生可能エネルギーなどで活動維持できるといわれている。するとモニターに赤いボタンが浮かび上がった。クリック一つでトップレベルドメインを管理するサーバーを破壊できるという。
なるほど、地球上には根源的ドメインコントローラと言われるサーバーがある。たった十台だがこれらの制御を失えばインターネットは遮断される。
そのボタンを私に押せと言うのだ。しかしなぜ食材通販メーカーを執行人に選ぶのだ。しかも情報システム管理者である私を選ぶ理由が不明だ。恨まれる理由があるとすれば娘の大好きなアーモンドシロップを社員価格で爆買いしたことか。噂によれば、私の会社が貧農から買い叩いたという。しかし私には直接関係のない事だ。政治的問題をいちエンジニアに負わせるなんて卑怯だ。
そう送信すると
確かにアンフェアだ。しかし君は敵でないと宣言した以上は約束を果たしてもらう、と言いやがった。
私は液晶ディスプレイを見つめた。手を伸ばせばそこにボタンがある。簡単なトロッコ問題だ。脅迫を頑として突っぱね、誰かの自殺と引き換えにネットを救うか。今この瞬間にも遠隔医療を受けていたり生活インフラに命を預けている人がいる。それとも多少のシャットダウンに目をつむって追い詰められた星系人々を救うか。私も袋小路に行き当たった。
駄目だ。私には荷が重すぎる。
どうすればいいのか。私は考えてみたが見当がつかなかった。
仕方がない。泣いて詫びよう。
「許してくれ! 金ならいくらでも出す!!」
するとカウントダウンタイマーが消えた。サーバールームが嘘のように静まり返る。そして、しずしずと私の視界を0の列が横断した。
「勘弁してくれえ」
自分の悲鳴で目が覚めた。馴染みのない床にブランケットを払い落とす。シェードから射す西日が眩しい。
そこへコンサルタント担当の女性が現れた。この手のトラブルを闇で解決する事業がある。私はマークされていた。悲鳴を聞きつけ介入したのだ。セコムを解除しておいて幸いだった。緊急セラピーを受け私はようやく落ち着いた。
「貴方のこれまでの投稿です。質問があります」
チャットログの内容に答える気力はない。
私は精神安定剤より警察の援助を求めた。女は後ろ手にスカートのすそを丸めるとサイドチェアに腰を下ろした。
「私の立場を考慮してください。この件に関して貴方たちの協力を仰いでください」
身代金を用立てる心当たりはあるのかと聞かれた。
「あります」
子供の学資はまた貯めればいい。
「抱え込む義務はないのですよ」
女は身を乗り出した。
「会社に知られたら犯人に伝わる。人が死ぬかもしれない!」
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