第27話「涙」

「待ちました」


「ごめんなさい」


 数多くの兵士たちがようやく駆けつけて来たその部屋を出て、二人と話していた私を急かすことなく待っていたラウィーニアに私は素直に謝った。


 勝負に挑むかのように双方共に気合を入れて新しいドレスを着たりとお洒落はしてきたものの、どう前向きに考えようにも今夜の晩餐会は中止にならざるを得ないし、城にある彼女の部屋に一度帰った方が良さそう。


 もう用意も済んでしまっているであろう食事の件については、また落ち着いた頃合いにでも誰かに聞けば良い。


 私たち二人は、肩を並べて広い廊下をゆっくりと歩き出した。多数の人が話し合う騒めきが遠くなる。


 レジュラス王城は、何個かの尖塔のある作り。たまに窓から見えるあの塔の先には、誰が居るのかと想像したりもする。きっと、物置きになっていて誰もいないんだろうけど。


「ねえ……私。彼らの話を聞いていて思ったんだけど、グウィネスは本当にずっとランスロットを想っていたのかしら。だって、彼女はあの呪術を解くことが出来るんでしょう? 何故、今まで何もしてなかったの?」


 ラウィーニアは、その部分に引っ掛かったようだった。確かにランスロットに私を思い出せてくれる薬を作ってくれたのは、彼女だ。いくら再び里に帰される危険があろうとも、それを出来たのは彼女だろうに。


「その理由は本人たちにしか、わからない事だけど……グウィネスは、あの時に動いていればと後悔していたようだから。もしかしたら、それと何か関係あるのかもしれない」


 ゆっくりと歩くラウィーニアは、宙を見てここではないどこかを思い浮かべるかのようにして呟いた。


「もし、私がグウィネスだったら……どうしたかしら。私には呪術を解くような薬を作ることは、出来ないし……恋人だった人は、私への気持ちを忘れているんでしょう? もう一度、最初からやり直せば良いのかしら……」


 完璧な答えなんて一生考えても出なさそうな事を、ラウィーニアは深刻そうな顔をして悩み始めた。


「……恋を、もう一度最初から始められるって考え方もあるわよね。だって、一度自分を好きになってくれたんだもの。記憶を失ってもその人本人であることは変わらないんだし、順調にいけば好意は持ってくれるんではないかしら」


「だけど……恋の始まりって、きっかけが一番大事でしょう。婚約者候補だった私も記憶を失ったコンスタンスと、もう一度やり直せと言われても……今と、全く同じ関係にはならないと思うもの」


「コンスタンス様とラウィーニアの二人が辿り着く先って……そうそう変わらないような気もするけど……」


 コンスタンス様は、どんなことがあったとしてもラウィーニアを溺愛して離さないことは絶対に間違いない。私の隣をゆっくりと歩く従姉妹を見た。見た目も美しくて聡明で、いつも機嫌良く微笑んでいる。彼女の言葉の本当の真意など、すべてを見透すことの出来ない私にはわかるはずもない。


「ディアーヌとランスロットの二人の経緯を近くで見て聞いていて、私もコンスタンス以外と恋をしたらどうなるのか。この前に、少し考えたわ。私たちは奇跡的に幼い頃の初恋が続いているけれど……未来には、何が起こるかなんて誰にもわからないもの」


「……ラウィーニアが、コンスタンス様以外と恋するのは難しそう」


 コンスタンス様が美形で何もかもを手にしているという王太子様だからあの人より魅力的な人を見つけるのが難しそう、という理由だけではない。


 ラウィーニアのことを彼が何より愛しているのは、近くで見ているこちらがむずむずして恥ずかしくなってしまうらいに伝わってくるから。彼の元からは、きっと一生離れられないと思う。


「心変わりは、人の常よ。ディアーヌ。彼の気持ちが三年後も今と全く同じだとは、誰にも確信をもって言えないわ」


「もしそうだとしたらら、私はランスロットに、心変わりされないように頑張ることにする。もし、それで彼に未来で捨てられるなら、何の後悔がないと思うくらいに。そうしたら……きっと次も、良い恋が出来ると思うの」


「絶対に、捨てませんよ」


 背後から出し抜けに聞こえたランスロットの声に、ラウィーニアはふふっと私に微笑んで片手を振って先に進んで行った。


「ランスロット。お疲れ様。さっき、確かに凄く格好良かったけど……なんか、圧倒的に強過ぎて、あの人がちょっと可哀想になった」


 先ほどの呆気ないとも言える戦闘の幕切れに対して、私は素直な感想を言った。


「どうして。僕が、ディアーヌを捨てる事になるんですか」


 無表情だけど、ランスロットは静かに怒っている。短い付き合いの私にも、わかりにくい彼の感情が理解出来るようになってきた。


 こうして、少しずつだけど彼をだんだんと知っていくのかもしれない。


「……グウィネスは、過去を後悔してた。自分は頑張らないといけないところで頑張らなかったって。どういうこと?」


 ランスロットは、私の疑問を聞いて大きく息をついた。


「あの頃の僕たちは……結局は、何も考えていなかったんです。若く無鉄砲だった僕と、婚約者から逃げたかっただけのグウィネス。何度か、彼女に言った事があるんです。逃げ回るのではなく、腹を割って話し合った方が良いのではないかと。彼女は、一族には絶対にわかって貰えないの一点張りで。あの男が来た時に、僕は全てを捨てて海を渡り追いかけてくることの出来ない遠くへ逃げようと言いました。だけど、グウィネスはそれを嫌がった。彼女との事を思い出そうとすれば、何もかもを拒否されたという事実が頭を占めるんです。自分は……最後に、彼女には求められてはいなかったと」


 すべてを捨てて覚悟を決めて逃げようと言ったけれど、彼女はそれを喜ばなかったとしたら……その恋は終わったとしても、仕方ないことなのかもしれない。


「そうして、グウィネスは大人しくあの人と東の地ソゼクに帰ってしまうこととなり……二人は別れたのね」


「……僕はその頃には、若く何の力も立場もなく無力でした。だからこそ、次こそは何があっても、愛する人を守り通せるように強くなりたいと思った……ある意味では、当時に勝てなかったあの男に感謝もしています」


「ランスロット……彼女への気持ちを、思い出したい?」


 私がそう聞けば、ランスロットを首を横に振った。


「彼女を好きだったという過去の事実は、確かに何があっても変わりません。嫌がっていた人間から解放され、幸せであってくれればと……思います。ですが今の僕が、愛しているのはディアーヌなので」


「グウィネスは、ランスロットの手を振り払ったことをずっと後悔していたのね……」


 彼女はあの時に、頑張れば良かったと嘆いていた。でも、それは次に活かすしかない。時間は決して戻らないから。


「生きていれば、後悔は付き纏います。絶対に間違いがなかったと、言い切れるような選択は難しい。僕も……ディアーヌの社交界デビューの日に、時間を巻き戻したいと何度も願いました」


 彼の水色の目は、まるで透き通る氷のよう。それが温められて解けたら綺麗な涙になって、だからこうしてこぼれ落ちるのかもしれない。形の良い頬を滑り落ちた一粒の涙に、私の目は吸い寄せられてしまった。


「あの……勝手に、婚約してごめんなさい」


 そう言えばこれって謝って済む事なのかなと思いつつ、上目遣いで私は言った。そう。先ほど私がやったことに対して驚いていたのは、婚約したお相手であるランスロットも含まれていた。


 どうにかして事前に確認しなくてはと思っていたけれど、物凄く多忙な彼と連絡が取れなくて時間がなかったから。下手な言い訳にしかならないけど。


「いいえ。頼りになるディアーヌの機転のおかげで、僕は騎士を辞めなくて済みそうで助かりました……兄のサインですか?」


 私文書偽造を被害者ご本人にお許し願えたようで、私はほっと胸を撫で下ろした。


「そうなの。当主のサインと一緒に、貴方の名前も書いて貰ったわ」


「全く問題ありません。可愛くて大人しそうな雰囲気のディアーヌが行動的過ぎて、驚きましたけど」


「……どうしても、ランスロットを取られたくなかったし……貴方にも、大事な仕事を辞めて欲しくなかったから」


 ランスロットにぎゅうっと強く抱きしめられて、彼の匂いを大きく吸い込んだ。


「すぐに、結婚します?」


 その言葉に、目を見開いて驚いてしまった。この国の貴族は一年ほどの婚約期間を経て結婚するのが、通例だから。


「しても良いなら」


 ランスロットに言われてすぐにそう口から出てしまったのは、仕方ないと思う。多忙な彼が帰って来る家で、待っていたい。一緒に居る時間を、出来るだけ増やしたい。


 そう願うから、多くの人は結婚するのかもしれない。少なくとも、私はそう。


「それでは、出来るだけ早くしましょう……ハクスリー伯爵は、どう言われていました?」


 婚約成立のために貴族院に提出する書類には、ハクスリー家の当主であるお父様のサインは必須だ。


「すぐに婚約を許してくれないと……」


「なんて言ったんですか?」


「結婚しても……孫に会わせないって、言ったわ」


 そうしたら、ランスロットは嬉しそうに笑った。彼にはいつもこうして笑っていてくれたら良いとは思うけど、彼の職業柄難しいのかもしれない。


「それは……嫌でしょうね。僕もディアーヌと同じ可愛らしい薄紅色の目を持つ子どもに会えるのが、楽しみです」


 私はランスロットに似た子が良いとは思うけど、それはお互いに思っているのかもしれない。


「ねえ。ランスロット。前から不思議だったんだけど、私のことをいつから知っていたの? 社交界デビューの時より、前なんでしょう?」


 その事を聞きたい聞きたいとは思ってはいたものの、色々あったから今の今まで聞きそびれていた。本当に、物凄く短期間の内に色々とあったもの。


 そうして、彼が私を見つけてくれた時のことを、ようやく知ることが出来た。

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