第26話「対決」
割れてしまった鋭いガラスの破片が部屋中に飛び散るかと思われたけれど、室内だと言うのに強風が吹き、窓がある側の白い壁に幾つもの破片が飛び散った嫌な音がした。
多分だけど、大きな船を動かせる程の風量を巻き起こす事の出来る人が守ってくれたんだと思う。
「……これは、これは。レジュラスの王城へようこそ。東の地ソゼクの族長の息子プルウィット・ハーディ。ちょうど僕も、君に会って話をしたいと思っていたんだ」
飛び込んで来た男性を見て、背後に何人かの騎士を引き連れたコンスタンス様の面白げな声が響いた。
大きなガラスを打ち破った張本人だと思われる褐色の肌を持つ男は、不機嫌そうな視線をこちらに向けた。私たちの前には、誰かの守護魔法なのか。透明な光る壁が出来ていて、虹色に輝いている。
我らが王ドワイド陛下は、これからの成り行きを見たそうな素振りを見せたけれど、傍近くに控えていた誰かに早く早くと促されて部屋を出て行った。
彼と王太子コンスタンス様二人に同時に万が一があれば、このレジュラスは終わってしまうので、いくら強い護衛騎士が居ようとも賢明な判断だと思う。
「グウィネスを返せ。それは、俺の女だ」
とても威圧的な物言いで、その男は言い放った。
「我が国の元大臣のファーガス・ジェルダンを唆したのは、君だよね? 本人から、証言は得ているよ。真犯人である君の名前を、なかなか出さなくて……随分と、痛く辛い思いをさせてしまったようだが」
「グウィネスを返せ」
「君は僕の婚約者に記憶操作をして、落ち込んでいる隙を何を狙うつもりだった? 魔女グウィネスの身柄と交換条件にでも、するつもりだったのか。レジュラスへの宣戦布告として、取っても構わないよね? 僕も……喧嘩するのは嫌いではないんだ。ヘンドリック、やれ」
コンスタンス様より短く攻撃を命じられた風の騎士の仕業で、光る風の刃がプルウィットへと向かう。けれど、彼は易々とそれを避けて、より表情を険しくした。
「グウィネス。帰るぞ」
何度も何度も繰り返す高圧的な言い方で、部屋の隅に居たグウィネスに言った。彼女は顔面蒼白で、震えている。
予想だけど、グウィネスが幾重にも守られた東の森を出たので彼女の位置を割り出したのだと思う。
だけど、この王城にまで彼が来るとは誰も予測してはいなかったんだとは思う。王宮騎士団を前にして、グウィネスを連れ出せるなんて、きっと誰も想定してもいなかった。
「……成程ね。単身でこの城に乗り込んでくるだけの能力は持っているのか。僕の言葉が君の耳に届いているのかはわからないが、グウィネスは君が嫌なようだよ。嫌がっている女の子に対して、無理強いは良くないのではないかな?」
コンスタンス様は、あくまで平静に声を掛けた。追いかけ回しているグウィネスに心から嫌がられているという事実は、この彼にとっては特に指摘されたくはなかったのかもしれない。
怒りを露わにしたプルウィットの身体からぶわりと黒い靄が舞い上がり、部屋の中に立ち込めた。
私も光る壁に守られては居たけど、まずいと咄嗟に思った。あれは、絶対にこの前に見た記憶を操るという呪術の発動したものだから。
けれど、強い恐怖を感じたのは、ほんの一瞬だった。
すぐさまプルウィットの大きな身体は、透明な棺のような何かに閉じ込められ、黒い靄は彼と一緒にその中から出て来ることが出来ない。
あっという間の勝敗に唖然としている人たちの中で、ランスロットの淡々とした声が響いた。
「恐らく、あの男の放つ呪術を防ぐには、黒い靄を身体に取り込まなければ解決です。あの時も、出来ればこうすれば良かったのですが……」
ランスロットがそう言っているのは、きっとラウィーニアの襲われた時の事だ。私は、一瞬の恐慌から我に返り、ほっと大きく息をついた。
「グラディス。よくやった」
上司であるコンスタンス様に褒められ、ランスロットは軽く礼を取った。プルウィットは、悔しそうにガンガンと何度も氷を叩いている。大きな身体をして、力も強そうなのに氷が破られる気配はない。
呆気ない幕切れに、言葉が出ない。
「空気穴は?」
完全に、この状況を面白がっている誰かの声が聞こえた。ランスロットは、プルウィットを閉じ込めた氷の棺にゆっくりと近付いて肩を竦める。
「狭いとは言え、空気は当分保つ。短時間ならば、死にはしないだろう」
「はー……流石氷の騎士。血も涙もないな。まじかー……この季節に氷の中とか、寒そう」
「自業自得だ」
切り捨てるような冷たい視線と言葉は、氷の騎士らしい。私の前では決して見せない、ランスロットの冷酷な顔だった。
ガンガンと内部から氷を叩く大きな音が聞こえるけど、あの中に閉じ込められて黒い靄も出すことも出来ない。何の脅威もないのなら、別に恐れることもない。
「残念だな。僕は友好関係を築きたかった」
本当にそう思っているのか甚だ疑問なことを口から出してコンスタンス様は、グウィネスが居る方向を振り返った。
「魔女殿。それでは、交換条件と行こうか。色々と事情があって、こちら側レジュラスも東の地ソゼクと事を構えたい訳ではなくてね。だが、族長の息子とは言え、許し難い事をしてくれた。よって、僕はこの彼の族長の息子の身柄と交換に、東の地ソゼクの族長に幾つかの要求を呑ませるつもりではある。その条件のひとつに、君の解放を織り込もうと思うんだが。どうかな?」
「……私の、解放?」
「そうだ。君が今まで何処にも行けなかったのは、この言葉の通じない野蛮な男プルウィット・ハーディの存在のせいだろう。君は、僕の婚約者とその従姉妹の二人を救ってくれた恩人だ。何にも縛られない自由を、必ず約束させよう。族長はどんな条件だろうが呑むと思うよ。どんなにバカなことを仕出かす息子でも、親だけは可愛いだろうしね」
グウィネスは、コンスタンス様の淡々とした提案に涙を流して頷いた。確かにあの乱暴そうで言葉も通じそうにないプルウィットと婚約を定められていたとしたら、私だって嫌で逃げてしまうかも。同情の余地はあると思われた。
騎士たちは、氷に覆われてしまったプルウィットの周囲に集まりこれをどうしようかと相談しているようだ。
自分がこれ以上ここに居ても仕方がないと判断した私は、先に廊下に出ていたラウィーニアに手招きされて、部屋を出ようとしたところでグウィネスが私を呼び止める声に振り返った。
「お嬢さん、悪かったね。私も、ランスロットに直接こうして会って、振られて目が覚めたよ……もう終わってしまった恋に縋りついていても、悲しいだけだ」
グウィネスは切なそうにそう言った。私もそれには、彼女と同意見。
「私は、謝らないわ。絶対に。何があっても、ランスロットは譲らないから」
きっぱりと言い切った私に、グウィネスはころりと表情を明るく変えて笑った。
「……私も……あの時に、そうすれば良かった。そうしたら、今も彼と一緒に居られたかもしれないね……」
遠い目で過去を思い出すような彼女に、私は肩を竦めた。
「そうかも。もし、そうだったとしたらね。でも、ランスロットは今は私の婚約者だから。また誰かが何かを言って来ても、きっと返り討ちにするわ」
「お嬢さん、強いね」
私の言葉を聞いて、グウィネスは大きな声で笑った。本当は明るくて魅力的な人なんだと思う。ランスロットが過去に好きになった人だから、当然なんだろうけど。
「私も、今まで知らなかったんだけど……人って失恋しては、失敗しては強くなっていくみたい。だから、貴女ではなくても誰でも。ランスロットが取られそうになったら、何度だって同じことするわよ」
「……もうしないよ。私は頑張るべき時に、何も頑張らなかった。自分には何も出来ない仕方がないと言い訳をして、誰かとぶつかることからずっと逃げていたんだ。こうして、思い通りにならない現実を受け入れるよ」
その頃の詳しい経緯は私にはわからないけど、グウィネスには過去に後悔があるみたいだった。
「……これからはもう、自由よ。嬉しい?」
私が彼女にそう聞けば、グウィネスはにっこり笑って頷いた。
「嬉しいね。絶対ランスロットより、良い男を捕まえてやるさ。そうしたらお嬢さんに、見せびらかしてやるよ」
そして、グウィネスは、私にぎこちない礼をしてくれた。恋のライバルは潔くて、一番泣きたいだろう時に明るく笑った。素直に、彼女が凄いと思う。
そうして去って行くグウィネスの後ろ姿を見送っていると、背後から聞き覚えのある低い声がした。
「ディアーヌ」
「クレメント、仕事しなくて良いの?」
絶対職務中だと思うのに私の元へと歩いて来たクレメントは、私の疑問には答えなかった。
「おいおい。俺との関係を、利用しただろ? 国営新聞が、跡を継ぐ訳でもない貴族の婚約を報じるなんて珍しい。俺とランスロットがそこそこ知られたライバル関係にあり、俺と別れてすぐにディアーヌがランスロットと婚約するということを利用したな?」
クレメントは苦笑しつつ、そう言った。彼が想像した通りなので、私は肩を竦めて頷く。
「内実の知らない人が私たちを見れば、そう見えることはわかっているし、私とランスロットが正式に婚約を発表する時は時間を空けたとしてもどうせ同じ事になるわ。それに、こんな何の利益にもならないどうでも良い話、半年経てば誰も気にしていないわよ。これまでのこと、全部許してあげるから。これについては、クレメントももう何も言わないでよ」
私がそう言うと、クレメントは皮肉げに笑った。
「おいおい。お前。本当に……俺と付き合ってたディアーヌ・ハクスリー? 偽物じゃなくて? 逞し過ぎるだろ。俺と一緒に居たときはもっと、可愛くて大人しくて……兎みたいだったのに」
確かにこの事態が彼と付き合っていた時に起きていたとしたら。その私なら、きっと身を引くしかないと諦めていた。
王太子からの要請で、恋人が仕事を失うことになるのなら、別れることを受け入れていた。自分から、何も言わずに身を引いていた。万が一の希望に賭けて、勇気を出して王様に陳情なんて出来なかった。
だから。
「ねえ、クレメント。私ね。付き合ってた時、貴方のこと本当に大好きだったわ。酷く嫌な終わり方ではあったけど、付き合っていた時は……すごく楽しかったもの」
私が彼を見上げて、そう笑ったらクレメントは赤い目を細めた。
「……俺も。俺も、お前が好きだったよ。ディアーヌ。それに気がつくのが、本当に遅すぎた。俺はお前と別れたことを、これからずっと後悔し続けるだろうな……幸せになれ」
「言われなくても」
そうして、私たちは二人で笑い合った。付き合っていた頃のように。
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