第24話「驚きの朝」

「ごめんなさい。ディアーヌ!」


 ジェルマンに海に攫われて帰って来てから翌日のこと。私は早朝から、いきなり自室にやって来たラウィーニアに、開口一番大きな声で謝られ驚いた。


 もちろん。彼女は私ととても近い親戚だし、幼い頃から慣れ親しんでいる。ハクスリーの邸に来訪する頻度は、他のお友達と比較してもとても高い。


 けれど彼女は、礼儀作法を完璧にこなす公爵令嬢だ。


 来訪の前には先触れの手紙は欠かさないし、時間はきちんと貴族の訪問に最適とされる時間を選んで訪れていた。


 だから、今回のように私がまだ起きたばかりで、身支度も整えられているない状態の時に来ることは、今の今まで一度もなかった。


 けど、クレメントに明かされた真実がショックで、部屋に篭っていたのはまた別の話だ。あれは特別。


「え……何? 何か、あったの? ラウィーニア」


 自分付きの何人かのメイドに手伝って貰って身支度をしていた手を止め呆気に取られたままの私に近づき、ラウィーニアは苦い表情をして言った。


「落ち着いて、聞いて。ジェルマンに攫われた私を救うために、コンスタンスは東の森に住んでいる魔女に対して、場所を教えてくれたら自分に出来ることならなんでもするという、とんでもない条件を提示したらしいの。本当に、信じられないわ。確かにあの時は私たちに最悪の事態も考えられたとは言え、一国の王太子の立場に居る人間がすることではないもの……本当に、ごめんなさい」


 自分に出来る事ならなんでもするからという条件は、切羽詰まった何かの報酬としてだとしても、使うべきものではないとは私も冷静に思う。


 特にコンスタンス様は王太子という重い責任ある立場で、数え切れない国民の人生を背負っていると言っても過言ではないのに、


 もし王位を譲れと要求されてしまえば、彼はどうするつもりだったんだろうか。


 けれど、その強い焦りこそが彼が最愛のラウィーニアを失うかもしれないという恐怖に起因したものだとしたら……。


「コンスタンス様は、本当にラウィーニアを愛しているのね。最初、ジェルマンが貴女のことを狙った理由が本当に良くわかるわ。でも、なんでそれが私に謝ることに繋がるの?」


「……グウィネスは、彼の部下であるランスロットとの婚約を希望したわ」


 私がラウィーニアが言いづらそうに発した言葉を頭で理解するのに、結構な時間を要したと思う。でも、もしかしたら一瞬だったかもしれない。今となってはわからない。


 私は頭に浮かんだ疑問を、口に出すのに精一杯になったからだ。


「もう、別れているのに?」


 別れている恋人と結婚を望むなんて、考えがたい。けど、現に望んでいる人が居た。


「そうよ。当の本人であるランスロットはこれを聞いて、すぐさまディアーヌが居るからと、毅然と拒絶したわ。でも、上司にあたる王太子に逆らったとなれば、彼が王宮騎士団に所属し続けることは……これで、難しくなるでしょうね」


 ラウィーニアからの現状の説明を聞いて、普通であれば心の奥底から湧き上がるはずの熱い怒りなどは不思議と浮かんでは来なかった。


 他でもないランスロットが自身が今まで彼が苦労して積み上げて来たものを捨ててでも、私と居ると言ってくれたせいかもしれない。


「私とは、付き合っているだけで婚約などもしていない。その立場では、コンスタンス様も、そう言うしかないでしょうね」


「……叔父様がクレメントとのことで慎重になった事が、これで裏目に出てしまったわね。正式な婚約を交わしているなら、それに何かを命じる事は王族でも難しいもの」


 ラウィーニアは、不機嫌な表情を崩さないままで言った。確かに既に私と婚約しているのなら、それに口出しすることは王太子と言えど越権行為だろう。


「……それでコンスタンス様は、なんて?」


「命が危ないと思えば時間がなく短慮で言ってしまった事とは言え、自分の王太子という責任ある立場で先に交わしたグウィネスとの約束は反故に出来ない。だから、どんな条件でも呑むと言ったのは自分なので、彼女の要望が叶うようには努力すると」


「……要するに、自分の権力が届かないところであれば、ランスロットにはもう何も言わないということね」


 確かに王太子であるコンスタンス様が、グウィネスとの約束を正当なる理由なく反故にすればレジュラスという国の信用を損ねることにもなりかねない。


 だから、彼はグウィネスに努力すると言ったんだと思う。自分が命令を課せない相手に対しては、何も出来ないと。


「けど……普通だったらランスロット本人が断ったら、それで諦めない? グウィネスは一体、何を考えているのかしら。そんなやり方で自分に心を向けていない彼を手に入れたとしても、決して幸せにはなれないのに……」


 育ち良く真っ直ぐな性格のラウィーニアは、こういう正当ではないやり口で彼を手に入れようとするグウィネスの行動が理解出来ない様子だ。


 綺麗な顔を、不機嫌そうに顰めた。でも、それは仕方ないことだと思う。彼女には、きっと味わったことのない気持ちだと思うから。


「それでも良いからと……自分の元に戻って来て欲しいと思う気持ちは、私には理解出来る気がするわ。ラウィーニアはコンスタンス様が初恋で、一度も失恋がしたことがないからわからないと思うけれど、相手がもし戻って来てくれたらなんでもしたいと思うくらいに、失恋した時は自分が何の価値もないような人間に思えるもの。それに、ランスロットとグウィネスの二人は、嫌いで別れた訳ではないから。だから……彼さえ戻って来てくれたら、なんとでもなると思っているのかもしれない」


「何年も前に別れたはずの男性を、こんな風な卑怯な手で自分のものにしようだなんて……本当に、許し難いし理解し難いわ。あのランスロットが、そうしたくなるほどに魅力的な男性だというのは認めるけど、これって完全に反則行為でしかないもの。けれど、ランスロットが王宮騎士団に残ろうとすれば……グウィネスを、選ぶしかないわ」


「……きっと、愛された記憶が綺麗なままなのよ。私みたいに、粉々になって壊れたりしていない。だから、その続きを夢見てもおかしくないのかも」


 淡々とした私の言葉を聞いて、ラウィーニアは物凄く嫌な顔になった。


 どう言って彼女の行為を美化しようが、ランスロットに彼が努力して獲得した立場か私かを選ばせる二択を突きつけているという事実は変わらない。


「グウィネスはどんな理由で、ランスロットと別れたの?」


「魔力の強い彼女には、東の地ソゼクの族長の息子という婚約者が居たそうなの。その人が嫌で逃げて来たらしいんだけど……その男性が現れ、殴られて終わったと、ランスロットから直接聞いたわ」


「……レジュラスに仕える一騎士の立場で、東の地ソゼクの族長の息子と事を構えるのは、確かに自殺行為ね。その時の彼は、懸命な判断をしたと思うわ……でも、だからと言ってあのランスロットは結婚を嫌がっていた恋人を見捨てるなんて、するかしら?」


 ラウィーニアは、不思議そうな顔をした。私も彼女から聞いて、それに気がついた。


「確かに、変よね。グウィネスが、権力者である族長の息子と結婚するのを嫌がっているのなら。その時には何も出来ないにしても、何か良い方法を探るとかは……するかも」


 ランスロットは今では筆頭騎士に上り詰めるほどの実力と魔力を持っていた訳だから、密かにグウィネス一人だけを逃すなどという事も出来たはずだ。


「そうよ……族長の息子が現れて、殴られてからグウィネスと別れることになったんでしょう? ランスロットがその時にもっと、粘らなかったのは、何故なのかしら」


 私たちは、微妙な表情のままで二人顔を見合わせた。


 ランスロットの性格上、悲劇に見舞われる恋人を放り出すということは考え難い。私が傷つくなら自分が傷ついた方が良いと、クズなクレメントの嫌がらせに耐えていた人だから、崇高な自己犠牲の精神も持ち合わせているだろう。


 そして、私はある事実に、はたと気がついた。


「……ねえ、ラウィーニア。東の地ソゼクの呪術って、記憶を操作する事も出来たよね……?」


 私がそう言えば、ラウィーニアは首を傾げた。一体何を当たり前の事を言い出したのかと訝るように。


「そうよ。だから、貴女がグウィネスの元へ行って、ランスロットの記憶を取り戻したんでしょう?」


「私も、あの時にリーズから詳しい説明を受けたわ。その時に好きな相手へと向かう好きという気持ちも、相手に関する記憶も失ってしまう呪術だと」


 何を言いたいのかを、聡明な彼女は皆まで言わせずに察してくれたらしい。


「もしかして、ランスロットは……当時の恋人であるグウィネスに対する気持ちを、彼女の婚約者に失わされて……だから、彼女を追い掛けなかった?」


「単なる憶測に過ぎないけど、ある程度の記憶の改竄もあったかもしれない。族長の息子なんだもの、それなりに魔力を持っているでしょう?」


「待って。そうしたら……グウィネスは、彼に付き合っていた当時の気持ちと記憶を、取り戻す事が出来るわ」


「そうよ。それだわ。だから、今付き合っている私が居ても、諦めないのよ。だって、その時には自分が一番に愛されていたんだもの。私にも誰にも、負けるはずがないと思っている」


 ラウィーニアはそれを聞いて、大きなため息をついた。


「なるほどね。グウィネスの無茶苦茶な要求も、それでなんとなく理解が出来たわ。別れた男に執着している訳ではなくて、彼女の中では彼女に恋をした記憶を失っているだけの現在進行形の恋人なのね」


「そうよ。記憶さえ取り戻せば元通りだと思っているわね」


 私が肩を竦めてそう言えば、ラウィーニアはちょっと面白そうな表情をしている。


「どうやって、戦うの? ディアーヌ。きっとグウィネスは未だにランスロットの事を自分の恋人だと、思っているわよ」


 幼い頃から良く知っている彼女は、こういう時に私が逃げ出すことなく、グウィネスと戦うという事をわかっている。


 どんなに美しかろうが、お金を持っていようが、恋は意中の人に選ばれた方が勝つ。だとすると、もし後々後悔したくないのなら、彼に選ばれる努力を惜しまなければ良い。


「私のやり方で戦うわ。だって、喧嘩を売って来たのは向こうだから。私は大国レジュラスに仕えるハクスリー伯爵の娘なのよ。彼女のように便利な呪術は使えないけれど、私のような立場の人間しか出来ない事もあるわ」


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