リア充、引退します。

黒崎白

本編

第一章・甘雨祭編

第1話 「きれい、だ」

 窓際からさす暖かい日差しの中で目を覚ます。

 今は梅雨時であったはずだが、しかし日差しはとても穏やかだった。

 どうやら授業中に寝てそのまま放課後まで経っていたらしい。

 あくびをし、俺も帰る準備を進める。

 教科書等をリュックに詰め込んで、席を立った。

 放課後になってからまだ時間は経っていないようで、帰った生徒はまだ少ないようだ。

 みんな騒いでいるが、しかしそんな中でとあるグループが一段と騒いでいた。


「いや、でさー、結局川に入ってさ!服もパンツも全部濡れてたよなお前!」

「しょーがねーっしょ、カバン落としたんだから誰でもそうするし」


 金髪の男が陽気に茶髪の男に話しかけると、茶髪は気だるげに答えた。

 それを見て、周りの女子三人は笑っている。

 あれが一クラスに一グループはあるリア充のグループって奴だろう。

 あんなところに俺ももともといたと考えると思わず苦笑いしてしまう。

 やっぱし、俺がいるべきじゃないな、なんて思っているとそのリア充のグループの中の一人の女がこちらの視線に気づいたのか、俺の方を向いた。

 反射的に目を逸らす。

 教室を出ようと足を速めた。

 もうあいつらとは絡みたくない。その一心で俺は教室を出ようとした。

 が、そういうわけにもいかず。


碧唯あおいくん!」


 呼び止められ、仕方なしに俺は振り向いた。


「…………はかな


 瑞城みずしろはかな。あのリア充グループの一人である。

 優しくて人当たりもよく、そして可愛い。

 汚点なんて上げようのない美少女ってやつである。

 髪はとても艶やかで、きっと毎日念入りな手入れをしているのだろう。

 後ろ髪が水色に染まっているのは、おそらくインナーカラーってやつなんだろう。

 それもよく似合っていた。


「なにか、用か」


 少し突き放したような言い方。

 しかしそれにも彼女は動じずに、続けた。


「あのね、この後カラオケに行かないかって庵治おうじくんが言ってたんだ。だからよかったら碧唯くんも一緒にどうかなって」


 庵治ってのはさっきの金髪の陽気な奴のことである。

 庵治おうじまさき。陽気で、少しチャラいところはあるが、なんだかんだ言っていいやつである。

 確か俺が高校デビューを成功させることができたのはこいつのおかげだったりする。

 あれは確か、そう、受験の時だった――――


 ×××


 ここで告白してしまうと、俺、芥生あざみ碧唯あおいは中学の頃俗にいういじめってやつを受けていた。

 案外いじめっていうのは何か大きな理由があって起こることではない。

 よくある作品みたいに、いじめっ子が煙草を吸っているのを目撃したからとか、いじめっ子が何かいけないことをしたところを注意したからとか、そういうんじゃなくて。

 俺の場合はただ、そう、いじめっ子の前の席になったから、である。

 いじめっ子の前の席になったから、いじめられた。

 あの頃の俺は髪も長くて、どこからどう見ても陰キャだったし、それもあるかもしれないが。

 たったそれだけ。それだけである。

 それだけで俺は虐められ、虐げられた。

 まあ、その話は今はどうだっていい。

 それからなんやかんやあって、俺は高校デビューというやつを目指すことにした。

 そのために中の下くらいだった学力も頑張って学年トップ二十くらいまで頑張ったし、進学する高校もわざわざ県外の高校にした。だから現に俺は一人暮らしだ。

 髪もツーブロックとかいうやつにして、染めもした。具体的にいうと金髪にした。

 校則っていうのは学校のレベルが上がれば上がるほど緩くなるものだ。これくらいは許されると思って、染めた。

 そして受験の時――――今考えると何をしているんだという話だが―――金髪で受験をした。当然目立って、一目は浴びたが最初少し日和っていたくらいで、その後は特に何も思わなかった。

 問題は受験の時――――俺はなんと消しゴムを忘れた。

 全く、詰めが甘いと今でも思う。めちゃくちゃ焦った。多分一世一代の大焦りだと思う。焦りオブザイヤーならぬ焦りオブザライフ受賞である。

 そんな時、助けてくれたのがあの庵治である。

 後ろから肩をたたかれて、まだ茶髪だった庵治から欠けた消しゴムを渡された。

 昼休憩の時間に少し話してから仲良くなって、入学して、金髪にした庵治が話しかけてくれたおかげで俺の高校デビューは成功した。

 成功したはずだった。


 ×××


「でもよかったのか、あいつらと一緒に行かなくて」


 俺がそういうと、儚は苦笑いした。


「庵治くんには断ってあるから、大丈夫だよ」

「それにこの仕事量だし、一人でやるのは厳しかったでしょ?」


 椅子を机の上に載せながら、彼女はそう俺に問いかけた。

 俺たちは今日直の仕事をしていた。

 机を全部拭いて、黒板を消して、椅子を上げ、簡単な拭き掃除をする。

 やることの内容は簡単なものばかりだが、しかし机を拭くのも椅子を上げるのも約四十人分やるとなるのかなり仕事量は多くなってしまう。

 どうやら今日は俺が当番だったらしく、こうしているわけだ。


「…………まあ、けどやるしかないからな」

「もう一人はどうしたの?」

「今日はいないらしい。というか不登校らしいぞ」

八神やがみさんだっけ?たしか一回も学校に来てないよね」

「そうなのか?そもそも女だったんだな」

「それくらいは把握しておきなよ……」

「いや、まあ、しゃべったことないし……そっちこそよく覚えてるじゃないか。しゃべったことあるのか?」

「いや、そういうわけじゃないけど……逆に知らないの?八神さんのこと」

「?」


 相変わらずだなーと呟いて彼女は続けた。

 作業をつづけながらもなお話は尽きない。


八神紅葉やがみくれはさん。主席でこの学校に入った天才だよ。この前のテストも学年一位だったらしいよ」

「すごいな。学校行かないでも取れるものなのか」

「………頭の出来が違うんだよ、きっと」

「そういうもんか」

「わかんないけど」

「わかんないのかよ」


 俺がそういうと、彼女は軽く笑った。


「こういう何気ない会話をしてると昔のこと思い出すんだ」

「…………」

「放課後にさ。庵治くんたちとでこういう他愛もない話したよね」

「…………昔ってほど前でもないだろ」

「それもそう、だね」


 話が尽きる。

 会話が止まる。

 空気が消える。

 こういうのは苦手だ。

 まるで小さな箱の中に閉じ込められているみたいに、居場所がなくなって息ができなくなってしまう。


「ねえ、碧唯くん。あの時私が悪かったなら謝るからさ。だから」

「俺、もう帰るな。先生からも呼び出しくらってるんだ」


 話しながら残り一つになった椅子を上げきって俺は荷物を手に足早に教室を出ようとした。

 けど、言いたいことが、まだ一つ。


「あと、自分が悪いとか、言わないでくれ。あの時悪かったのは俺だし、この選択をしたのも俺なんだ。だから儚は一ミリだって悪くない」


 ×××


「お、俺が行くんですか……?」

「ああ。だってもうお前しかいないからな」


 そう言って、ゆかり秋埜あきの先生は俺に書類の入ったファイルを押し付けてきた。


「なんてったってわざわざ直接家までいかなくちゃいけないんですか」

「割と重要な書類なのでな。直接届けてもらわないと困るんだよ」

「先生が行けばよくないですか」

「やだ。めんどい。だるい」

「わ、クッソ潔いな」

「私は正直者なのでな」

「この大人、本音と建て前ってもんを知らねぇ」

「え?尊敬のまなざし?」

「どう聞き間違えたらそうなるんだ」

「いやあ、やっぱり私はできる先生なんだなー、さすが私」

「できる先生ならこれも届けてくれませんか?」

「やだ。めんどい。だるい。動きたくない」

「できる先生の言うことじゃねぇ」


 しかもなんか増えてるし。


「というかそんな重要な書類配られましたっけ?」

「そもそも私からの書類じゃないからな。知らん」


 一息ついて、秋埜先生は続けた。


「ともかく、早く行ったまえ。早くしないと暗くなってしまうからな」

「本当に行かされるのか……」

「住所、ここに書いておいたから。よろしく~」


 俺に紙切れを押し付けて、先生はひらひらと手を振りながら俺に背を向けていってしまった。


「…………」


 正直本当に面倒くさいのだが、しょうがない。これは行くしかないのだろう。

 おもむろに眺める。


「八神紅葉って」


 さっき儚との話題に出たやつかと思いながら、俺は彼女の家に文句をつけに行くことにした。


 ×××


「ここで、あってるのか………?」


 そういいたくなるくらいには、信じられない光景がそこにはあった。

 白く高い塀のようなものに囲われた大きな家。

 見方によっては別荘にも見えなくもないほど大きく煌びやかな家だった。

 やはり天才は住むところも違うのか。

 こういうところにいるとすごく場違いな感じがして仕方がない。

 水面に落とされた墨のように、自分が周りの空気に馴染めず飽和されていくような、そんな気分。

 気味が悪くて吐き気さえしてくる。

 足早に塀を伝って行き、扉へ行きつく。

 呼び鈴を鳴らすが生憎―――いや、幸い誰も出ない。

 隣に郵便ポストのようなものがあったので、そこに出してさっさと帰ろうとした、その時だった。


「誰ですか……?」


 後ろから、銀鈴の音が響いた。

 振り向く。

 そして目を見張った。

 赤みのかかった、しかし艶やかな黒く長い髪。

 白いワンピースは風に揺れ、買い物から帰ってきたのだろうか、手に持った袋には食材が入っているようだった。


「―――――」


 それを言葉で表すならそう、美しい。

 天使のような出で立ちでありながら、同時にさながら小悪魔のような魅力も持つその少女。

 言葉を失った。

 頭の中のすべてが消え、真っ白に染まる。

 だから、仕方ないと思う。

 だってそう思ったんだ。


「きれい、だ」

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