白梓ノ巫女

SHOW。

白神ノ命(しらかみのみこと)

 枯れ葉掃除のなかたけぼうきを木柱に立て掛け、わたしは階段にもたれる。

 木陰こかげの納涼とは、なんとも心地良い。

 そうすると、今着ている巫女装束のばかますなぼこりで汚れてしまう。けどそんなの後で洗濯をすればいいし、落ちなくても代わりは幾らでもあるから別にいいと風を感じる。


 ここは棚田広がる傾斜地形の田舎町にある、[白髪神社しらかみじんじゃ]。その名称から健康長寿になれるという迷信が伝播して、小規模なりには参拝客を呼び集めている。


 お陰で、わたしの祖父がぐうの代で廃業することはないと思う。

 由来と異なる理由で経営状態が救われるなんて皮肉としか言いようがないけど、神仏の区別が付かない人たちがいる現世では、致し方無いのかも知れない。


 かく言うわたしも、会話の流れで使ってしまうことがあるから他人ひとごとじゃない。


 これも時の変遷と素直に受け入れる。

 ここが潰れてしまうよりはきょうなんて捨て、現存げんそんし続けてくれる方が何倍も良い。


「はぁー……」


 はしたない溜息を吐く。

 この神社の行く末を憂いたものではなく、ただただ清掃作業がめんどくさいだけだ。


「あっもうひめ! またなまけてる」

「うげ……」


 わたしの名前を真後ろから呼ばれる。でも声から誰かすぐ察しが付き、振り返らない。


「何よその言葉遣いは。参拝される方々に、くれぐれも聴かれないようにしてよ」

「わたしの勝手でしょそんなの」

「あと目を背けない」

「……ふん」


 えて言う事を聞いてやらない。

 いつも口うるさいから、たまにはこのくらいしないと割りに合わないからだ。


「……全く、この子は」


 その人は宮司の祖父の娘にして、つまりはわたしの母親であること あき。ほぼ毎日のように、ここの清掃を命じる張本人だ。私服に着替え、手提げと財布を持っている姿からして、夕御飯の買い物に行くらしい。


 ちなみにわたしの名前はお母さんから千の字を譲り受け、こと ひめという。

 一応神職に就く為の資格も有しているけれど、若い女性がいないからと巫女として働かされ、雑用を押し付けられる日々だ。

 学生身分を卒業後、すぐに帰郷したことを少し後悔している。


「千姫」

「なに?」


 お母さんが階段を降りて、わたしの顔を合わせようと覗いてきた。既に五十歳を越えているとは思えない薄化粧の肌艶はだつやが映る。


「あんたなんでそうなったの?」

「文句なら訊かないけど?」


 抽象的な台詞と溜息に辟易とする。


「違う。千姫と同じ年頃のお母さんとそっくりだから、びっくりしてるの」

「……お母さんとわたしが?」


 まあ親娘なんだから、顔つきが似ているなんてお世辞で言われることはあるけど、多分そういう意味ではないんだと思う。


 お母さんがわたしの隣に座る。


「そうよ。二十五歳くらいで、ここで漠然とした不満を抱えて、真夜中の任務のせいで日中は寝ぼけていて、この階段に座してる」

「……」

「……ここからの街並みと田園風景は、昔と変わらず綺麗ね」

「……ふーん」


 どうでもいい体裁を装う。

 親の話に関心を寄せてるなんて、知られたい子どもはいないだろう。

 でも、景色が綺麗なのは同感だ。


「そう感じない?」

「別に……他には?」

「あとはそうね、男の子との交際経験が皆無なところとか?」

「……は、ちょ、うるさいっ、余計なお世話。大体こんな田舎に住んでるせいじゃん」


 お母さんが意地悪く笑う。

 神社の跡継ぎ関係で、釘を刺すように恋愛話を絡めてくるのはじょうとう手段しゅだんだ。


「学校に通ってたときが絶好の機会だったのにのがしちゃったからね……」

「もうやめて、黙ってよ!」


 わたしはこれ以上の面倒は嫌だと、その場で立ち上がる。仕方なく竹箒を回収しようと木柱の方へ向かう。


「お母さん的には、普通の顔だと思うんだけどねー、全体的に身体も絞れてるし」

「他の人は違うんじゃない? だからわたしが売れ残ってるんでしょ」

「……その卑屈な性格が良くないかもね。あっ拝殿近くがまだ落ち葉だらけだから、掃除よろしくね」

「あーはいはい。やればいいんでしょ」


 わたしは竹箒を乱雑らんざつに握ると、お母さんを一回睨んで、階段を上っていく。そのまま去るつもりだった。


「あと千姫」

「……まだなんかあるの?」


 お母さんがまた呼び止める。


「いつも使ってる弓、経年劣化で折れるかもしれないから新しいの作っておきなさいよ」

「……掃除の後にね」


 これは母親としてもあるけど、真夜中の任務にける先輩からの忠告でもある。

 それが今のわたしの本業とも言えるだろう。代々弓矢を所持する水琴家の伝統。

 簡潔に説明するならば、この田舎町の安全と平穏の為に日夜行なっている、祈祷だ。


         ▽


 うしどき。わたしは自室のきょうだいの前で長髪を丈長たけながで結び、垂髪を作り直す。

 既に白衣しらぎぬと緋袴を着用。

 昼間と異なるのは、水草が描かれた千早ちはやを羽織っていることだろうか。


「……よし」


 これは本来、さいなどに用いるものだけど、わたしの気分でたまに着させて貰っている。


「……行きますか」


 真横に置いている葛籠つつらを背負い、玄関へと向かうとしろはな草履ぞうりを足の指先に掛ける。


 白足袋のおかげで痛みはあまり感じない。いやただの慣れかもしれないがどちらにせよ、運動靴の方が遥かに動き易いから非効率だ。お母さんや他の先輩方からの小言がなければ、いまにも鞍替えをするつもりだ。


「行ってきます」


 わたしは玄関扉の前でそう呟く。みんな眠っていて聴いていないと思うけど、なにかと礼節れいせつわきまえろとうるさい家系だから、自然とそんな言葉が生まれる気がする。


 実家から外出すると、[白髪神社]の敷地内にある社務所に立ち寄る、これは決まり事だ。必須として施さなければならない儀式の、わば神勅しんちょくならう為だ。わたしはじょうしんに人差し指を添え、唱える。


「【水々みなみなことれ、界結かいけつ】」


 順々と現世を守護する隔たりを構築する。

 具体的にはこの田舎町全域を、注連縄しめなわの結び目の如く張り巡らし、内部から外へ出ることを禁ずる。


 これは水琴家が一般人には内密の秘術。

 関係者以外に触れ込むと、何が待ち受けているのかわたしは知らない。それがむしろおぞましく思う。


「……さてと」


 わたしたちの目的は、人にけがれをし夜間に活性化する悪しき妖霊ようれいを制限しはらう事だ。この妖霊とは比喩的な存在ではなく、れっきとしたものたぐい彷徨ほうおうしていて、それを視認することが出来る。


はいします」


 そこで一礼する。

 如何いかなる場合でも、礼儀は忘れない。


「ほっ!」


 わたしは一飛びで地上に触れず傾斜を下る。領域内では身体能力が微増するけど、仮に何もしていなくても同様の行動は可能だ。


「気配感知。場所は北西、診療所の方角」


 わたしは傾斜を下り切ると、すぐさま外壁を蹴り住居の屋根へ登る。畑地や棚田をなるべく踏み入れないまま、そこから診療所の方へと屋根伝いに最短距離で突っ切る。


 この世界には比較的わいしょうな妖霊自体は諸処しょしょ散在さんざいしている。しかしその全てと争っていると際限さいげんがない。


 だからわたしたち水琴家の基準では、人々に著しく弊害をもたらす妖霊から祓うことになっている。


 数少なくはあるけど善良な妖霊もいる。

 それらは基本的に、自ら消失するのをわたしたちは待つ。やり方が分からない場合には神社へと赴いて貰い、人知れず手を貸す。

 つまりは対処方法にいて、妖霊より違うということだ。


「そろそろ用意、しとかないとねっ!」


 今回のは明らかに悪性だ。

 診療所は穢れが集合し易い地帯であることに加え、わたしを突き刺すような気配。かなり交戦的と見受けられる。


「よいしょっと」


 わたしは走り飛びながら診療所を視界に捉えると、背負った葛籠を下ろし、弓矢を取り出す。お母さんに指摘されたから、予備にと製作したものを使用する。


「……新しいのじゃ、まだ慣れないな」


 ミズメ。またはヨグソミネバリなどと呼ばれる高木こうぼくから、代々の製法で作った逸品。


 その高木の更にある別名から、わたしたちは[あずさゆみ]と命名している。まあ材質を問わず、弓そのものをそう呼ぶ場合もあるらしいから、個性の欠片もない。


 けれどわたしたち一家の素性を知る古来の関係者は、[水琴の梓弓]と仄聞そくぶんすると、たちまちおそ平伏へいふくしたらしい。


「……あ、あれかな?」

『——————っ』


 かすかに妖霊のうめき声が、鼓膜を揺さぶる。

 わたしは懸緒かけおを再利用した一本紐を、矢を三つ入れたえびらに括り付けて、諸共もろとも腰に巻く。少し不格好なのがたまきずだ。


「よしっと」


 わたしはその梓弓と紐には括り付けていない別の矢を備え、診療所の外部を一周する。弓使いという性質上、やはり遠距離戦を得意とする為だ。


「もう危害が及んでる……」


 診療所の一部欠損と、隣家も軒先が端折れている。

 その家主は眼を悪くして、息子夫婦の元へと転居した為不在なのは良いけど、診療所の方で入院中の患者さんが気掛かりだ。


「……っ」


 するとわたしの横目に映る妖霊が、その隣家の庭を荒らしながら姿を表す。


『ぐがあああぁぁっ』

「う……今日のは少し大きいな」


 そうして妖霊の全体像を把握する。墨色すみいろきょ、やけに肥大化している隻腕せきわん。眼球は抜け落ちていて、発声箇所は人を丸呑み可能なくらい広大こうだい


 ひとず葛籠を置いた場所に戻り、牽制けんせいとして霊力を低下させる煙玉を放り投げる。低級の妖霊ならばこれで対処出来るのだけど、この大きさだと恐らくは無理だろう。


『……ぎぐああああぁぁぁっ——』

「——だよね」


 わたしは昨夜も見回りをしている。

 そのときは、特に異常はなかった。


 なのに中級に分類されるであろう妖霊が、この町に顕現けんげんする理由は二つ。遠方からの来襲か、この一日でこれだけの穢れを溜め込む原因があったかのどちらか。


 仮に後者だとするなら。診療所ということを考慮して、医師への怨恨えんこん、死んだばかりの霊が他者の残留ざんりゅうねんから同情を集め膨大化、もしくはその両方など多岐たきじゅうに絡む。


 どれにせよ、わたしがやることは一つ。水琴家の威信に掛け、今を生き戦い続けている人たちの暮らしを守護する。


「心、技、体」


 わたしは自問自答を語りかける。

 精神は病んでいない。

 戦術は曖昧ではない。

 たいは満足である。

 左からの軽風けいふう、煙は霧散、遮蔽物はなし。


「ふー……」


 そうしてわたしは足を踏み閉め、胴体を気張り、凜然りんぜんとしたまま中仕掛けにはずえ、弓矢を妖霊に向けて構える。


「弱点がまだ掴めてないけど、取り敢えず射ってみないとねっ——」


 わたしはりきみすぎないように弓を引く。

 おしの狂いもなく、照準も定まる。


 射抜いぬくは妖霊になる遠因えんいんの箇所。

 これもそれぞれ異なるが、大抵は脳天だ。

 だから最初は、そこと思わしき部分に射つのが定石となる。


「【水々に琴熟れ、直中ただなか】っ」


 星々が褪せて、畑地は空しく同化する。そんな街並みを嘲笑うように、淡白な摩擦音は火花を散らさず、鉄製の矢尻は流々とわたしが想定した放物線に沿っていく。


『ぐっ……ぐおあぁぁ』

「命中……ごめんね」


 わたしの矢は誤差はなく、あたる。

 そしてしばらく、そのままの姿勢を保つ。


 一軒家の庭先で頭部と思わしき箇所を押さえて錯乱する妖霊に謝ってしまう。情けは無用。そうだとしても、妖霊の成り立ちを知るわたしは、いつまでも罪悪感を拭える気がしない。


「……んっ?」


 わたしは目を疑う。狙い通りに中てたはずの妖霊がいまだに消失せず、のたうち回っているからだ。


『ぐぅぅぅぅ』

「……これはまずい」


 無人とはいえ一軒家を、肥大化した片腕で殴り半壊させる。わたしの方がうわとはいえ、このままでは町への被害が拡がるかもしれない。


「……仕方ないかっ!」


 わたしは妖霊に接近する。おびせて被害を縮小させつつ倒し祓う作戦に変更した。


『ぐあっ、ぐぅぅぅぅ』

「気付いたっ」


 先程の片腕が、わたしに目掛けて振るう。ここは庭と裏畑を隔てる木柵。農家さんには悪いけど、この畑を使わせて貰おう。


「ほっ!」


 わたしは後転しながら退く。

 木柵は破壊され、欠片が地面に散らばる。


『ぐああぁぁぁ』


 妖霊は自身の粘液が身体中に垂れ流れている事など構わず、その元凶であろうわたしを追跡する。ここまでは予定通りだ。


「後は弱点なんだけど、別の場所か……」


 わたしは攻撃を避けながら思案する。

 こうしているうちにも、無作為に畑が荒らされていくだろう。


 妖霊を祓う手段としては、他にもある。けれど現状だと手当たり次第で射抜くしかないが、それは非常に効率が悪い。


「なにか手掛かりがあれば——」


 そう呟いて、わたしは一つ思い違いをしていたかもしれない事に気付く。診療所なら妖霊化の原因が蔓延して絞り込めないと考えていた。でももしも。この妖霊がその隣家からの派生だとしたら、容易に限定出来る。


「——眼……だね」


 わたしの神社には情報が集まりやすい。

 家主のお爺さんは眼の病気を患っていた。

 隣の小さな診療所では、どうする事も叶わないものらしい。


 既に住んでいないとはいえ、長らく拠点にしていた家屋かおくには思念が募る。それが暴発して妖霊化する何かが、お爺さんの身に起きたというなら考えられる。


「……」


 その妖霊の姿から察すると……いや、祓う事が優先だし、関係無いしやめよう。弱点はあの、眼球がくり抜かれたがんだ。


「すぐに終わらせてあげるっ!」


 わたしは距離を取り深く呼吸する。

 図らずも先程までのような加減はしない事の、意思表示に感じる。


 妖霊が一瞬、硬直する。それは称賛に値する警戒だ。お互いの地力を無意識に理解しているのだから。


「ふー……——」


 弓構え。狙いを定めつつ引分け、据える。そして今度は水琴家の秘術に加え、わたしのしんりょくを色濃く織り混ぜ、唱える。


「——【水々に琴熟れ、梓姫】っっ!」


 矢を放つ寸前。わたしの先祖代々受け継ぐ直毛の黒長髪は、梓弓から湧き立つ無数の素粒子を浴びて、たちまち色白く染め上げる。


 そんな姿など意に介さず、祓い射つ。その鮮烈な一射は音無しに、閃電の如き速度で妖霊を左眼窩を穿つ。


『ぐぅあああああああぁぁぁぁぁああっ』


 左半身は直撃と同時に消失する。

 大口から他人に伝わらない嘆きの咆哮。

 数分もしないうちに右側も消え、跡形も無く祓われてるだろう。


「……っ」


 妖霊そのものに罪はない。知的生命体の負の感情、それが積み重なったものが悪性化を生み、猛威を振るう。


 無関係の人間は絶対にいない。仮にそれを罪だとするなら、人間の存在を罰さないといけなくなる。


 ただしきょうそんも出来ない。

 だからわたしたちが、その憎悪を祓う。


災厄さいあくはらい


 わたしは完全消失した妖霊を確認しながら、そう呟く。

 [白髪神社]。その由来である、一定値を超過した心力で白く変色する髪の毛。一縷が軽風に靡き、白衣しろぎぬと同化する。


「この弓……変えといて正解だったな。じゃないと、わたしの秘術がこんなにも使えなかっただろうし、ね……」


 正確には[白神水琴の梓弓]。

 祀られた神、白神ノ命の異名だ。


「……どうかまた、鈴鳴らんことを祈ります」


 それは水琴家の惜別。わたしは真夜が明ける前に交戦地の修復作業に取り掛かる。衆目からも自然に見えるようにしなければならない。


 梓弓を垂直に下げる。

 白神はいつのまにかいなくなってしまう。


         ▽


 黎明、わたしはゆっくりと階段を登る。疲労困憊と葛籠の荷物も相まり、鳥居をくぐってからが本当にしんどい。


「……」

「おかえり、千姫」


 ようやく階段登りが終わろうとして、感慨無くわたしが仰ぐと、何故か寝巻き姿のお母さんが最上段で待ち侘びていた。


「……なに?」

「早起きしたから、見に来た」


 思った以上に気楽な理由だ。


「あっそ。用事がないなら戻ったら? その格好じゃ寒いでしょ」

「もう、冷たい子ね」


 わたしはお母さんを横切る。寝床が恋しくて堪らない。その前に湯船に浸かって髪の毛を乾かさないと、あと——。


「——ご飯作ってるから。千姫、食べる?」


 わたしの背中にたずねてた。

 なんだか安堵したような声色にも感じる。


「……食べる」

「そうっ。じゃあ早く家に帰りましょう」

「あっちょっと、押さないでよ!」

「たまには一緒に食べようか。ねえ千姫」


 お母さんに両肩を掴まれて、前に進む。それはこの任務の過酷さを知る先輩からの、わざとらしいねぎらいかもしれない。


「……」


 学業を終えたわたしが、すぐに帰郷した本当の理由は、五十代を超えてもなお現役で夜通し妖霊を祓っていた前任を、少しでも休ませてあげたかったからだ……まあ、絶対に言わないけど。


「……そう、だね」


 ここは[白髪神社]。その名称から健康長寿になれるという迷信がある小規模な拝殿。けれど若々しく長生きする一家なのは、あながち間違ってはいないかもしれない。


 今宵も人々に、水琴の音色が鳴る。

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