レモネード・ジャンキー
楡野なの
第1話 レモネード・ジャンキー
都内某所。
「オボロ、あそこ」
「はい。間違いないですね」
高層ビルの立ち並ぶオフィス街の一角。
星空に最も近い屋上から、街を見下ろす影が二つ。
覗いていた双眼鏡を下ろして、左目に眼帯の付けた少女は立ち上がり、辺りを見回した。
赤いツインテールが吹き荒ぶビル風に靡いて、まるで生きているように跳ねる。
「ほんと馬鹿ね、普通こんなところにダイヤなんて隠しておく?」
「まあ、金庫に入れておけば無事だと思ってるんじゃないでしょうか?勿体ないですね、高いのに」
屋上の、薄汚れた地面に着いていた片膝をぱっぱっと手で払い、右目に眼帯をした青年は彼女の隣に並ぶ。右肩に背負った刀装が、彼に合わせて揺れた。
今日、彼等に与えられたミッションは、今夜怪盗に奪われる予定のダイヤを"先に"盗み出すこと。
彼等がいるビルの隣のオフィスの社長室の中にある金庫に、今はまだダイヤが眠っている。
オボロの言葉を聞いたあぐりは、驚いたように目を見開いた。
「え、待って、金庫とか開けられないんですけど」
「ええ、私もです。オートロックになっているらしいので、ナギがタイミングよく解除してくれる手筈になっています」
集会のときミゲルが言っていましたよ、とオボロは笑顔で人差し指を振る。
「それオネエみたいだからやめてって言ったでしょ」
真顔で流すと、あからさまに落ち込んだ姿が見えたので、あぐりは何となく背中をさすってやった。
オボロが泣くフリをしながら胸元の懐中時計を覗き込むと、短針は規律的な音を立てて、十一の上を通り過ぎた。
「そろそろ時間ですね」
立ち直ったオボロを横目に、あぐりは白い手袋を嵌め直し、大きく伸びをした。
「行くかーっ、んーっ」
フリーになったあぐりの脇腹をちょんっとつつこうとすると、目にも留まらぬ速度で拳銃を構えられた。眼光が鋭すぎて光って見える。
「冗談ですって。ふふ、油断は禁物ですよ?」
「殺されたいんかお前」
「すみませんでした」
言葉と行動が合いすぎて、死の危険を感じたオボロは素直に引き下がった。
あぐりは銃口を下ろし、ひとつため息をつく。
「で?ここからどうやって行くの?」
本当に人の話聞いてないんですね、と言いかけたが、流石に次は命の保証は無いと思い、心の奥にしまった。抑えようと口元に当てられた手だけが残り、あぐりに怪訝な目をされた。
「直接隣のビルに繋がる連絡通路があるみたいですね。ただ、警備員が在駐してるとか」
「余裕。銃の出番もないわね」
呆気なくリストラされた拳銃はあぐりのポケットに収められる。細身の少女にはあまりにも不釣り合いなそれは、そこにあるだけで異様な存在感を放っていた。
「ま、それもそうですね」
出口へ歩き始めたあぐりの背中を追い、影たちは屋上から姿を消した。
ドアを開いた先には、警備員がいた。
「「えっ」」
驚き固まる二人の正面で拳銃を構える男が三人、こちらを睨んでいる。
「お前ら、予告があった怪盗だな?」
「大人しくしろ、もう警備は万全だ」
「はぁ?何言ってんの、あたし達はかい……」
男の声を聞いて、早々にキレ始めたあぐりを手で制し、オボロは前に進み出た。近づいてきた青年に怯んだ男達は、少しずつ後ずさる。
オボロは、軽く微笑んで言った。
「遅くまでお勤めご苦労様です、御三方」
同時に、鞘に入れられたままの刀で、男達を思いっきり突き飛ばした。
前から押されるようにして階段から転げ落ちると、間髪入れずあぐりの蹴りが彼等の鳩尾を襲う。
「ぐはっ」
三人揃って踊り場に転がり込み、重なって動かなくなった。
「なんだ、やっぱり余裕。登場シーンは面白かったのに」
あぐりはぱっぱっと手を払い、つまらなそうにふん、と鼻を鳴らした。
「お見事」
先に階段を降りたオボロは、ノックダウンした男達に目もくれず、監視カメラを破壊した。
「さっさと行こ。時間なくなってきた」
「ええ」
何事もなかったように歩き出すあぐりとオボロ。
そんな二人を、背後から見守る影がひとつ、伸びていた。
「ここ?」
「はい、そのようですが……」
連絡通路を抜けて、社長室へと辿り着いた二人。
「なんか、あっけなく来ちゃったわね」
「私もそう思います。嵌められているのでしょうか」
ここまで巡り会った警備員はあの三人だけ。都内の一等地、ましてやオフィス街のビルなら尚更、警備は万全にしておくはずだが。
「ま、いけるいける。ラストスパートー」
「軽いですね」
ふっと笑って、オボロはドアノブに手をかける。
フリをした。
「……っああああああっ!!!」
聞き覚えのない声に、何かが後頭部に迫る気配。オボロは咄嗟に身をかがめ、横に転がる。発声源を瞬時に確認したあぐりは既に背後に下がっており、相手の股間を躊躇なく蹴りあげた。
「ガラ空きよ」
「ーーー!!」
声にならない悲鳴をあげ倒れるそれは、よく見るとダイヤを奪う予告をしていた、あの怪盗だった。
動かなくなった怪盗を見て、オボロは青ざめる。
「……あなや。いとむげなり」
「出たあなや。大体、人を背後から殴ろうとしてんのに声を出す方がおかしいわ。アニメの見すぎよ」
「さりとも、そこはいと痛からむ」
「なんで?素晴らしい急所よ。めっちゃ痛いけど死なないなんて最高」
「あなや……はっ」
目を覚ましたオボロは咳払いをし、ネクタイを締め直した。意識を失った怪盗を紐で縛り、近くの柱に括りつける。
「あ、戻ってきた。おかえり」
「……ただいま、戻りました」
「ほんと面白い。驚いた時に古語になるなんて、マンガでも見た事ないわ」
「……」
照れた。あぐりはにやりと笑う。
別に初めて見るわけでもないのだから、いちいちいじらないで欲しい、とオボロは思う。言えば言うほどいじられる気がするので言わないが。
「いいから、行きますよ」
「はーい」
今度こそ、慎重にドアを開く。
「なんかいる?」
「……いや、見えませんね。右側は何も無いと思います。左側見てもらえますか?」
「おっけー」
二人は素早く場所を入れ替える。
交代するのはタイムロスではあるが、どうしてもこういう時は、オボロの右目の眼帯が邪魔をする。
それはあぐりも同様なので、二人で一人の目を持つあぐりとオボロは、ペアを組んでミッションに当たることが多いのだ。
「んー、いなそう。でも、何かしらの仕掛けとかはありそうね」
「そうでしょうね、これだけ物が散乱していますので」
金庫のある社長室は、部屋中の本棚をひっくり返したような有様だった。ワインレッドの絨毯のそこら中に、英語で書かれた本が散らばっている。
「ふん、大して読めないくせに」
「おや、あぐりは読めるんですか?」
「黙ってくれる?」
身内に殺される日も近い、と天を仰ぐオボロをよそに、あぐりは一歩、部屋に足を踏み入れた。
途端、ウー、ウー、と警報が鳴り響いた。
「やばっ」
「おや」
部屋が赤色の光に満たされる。どうやら、重量を計測する警報が取り付けられていたようだ。
二人は社長室へ転がり込み、オボロは扉の前へ、あぐりは金庫のそばへと隠れた。
「また戦うのも面倒だから、来る前に出ちゃいましょ」
「はい。それが最善かと」
二人は慣れた手つきで、耳元に填めたイヤーモニターの電源を入れた。
「あ、あー。ナギ、聴こえる?」
「聴こえるよ。まったく、部屋に着いたら教えろって言ったのに」
イヤホン越しに聴こえる呆れた声とため息に、思わず苦笑する。
「し、知らない人がいたんだから仕方ないでしょ。それより早く」
「ナギ、あぐり。まだ遠いですが、足音が聞こえます。急いで」
扉に鞘を押し当てたオボロが言った。大人数で来られたら危ないかもしれない。
イヤーモニターの向こうで、ナギが息を吸い込んだ。
「ここにいる警備員は五人、うち二人は拳銃を持ってる。お前らなら大丈夫だと思うけど、油断するなよ。あぐり、オートロックは解除したけど、二個目の扉が暗証番号になってる。開けてみて」
あぐりは重厚感のある黒い扉を両手で引き開けた。ナギの言う通り、デジタル式のモニターに数字盤が取り付けられている。適当に数字を入力してみると、四桁までしか表示されなかった。
「四桁よ」
「オーケー。じゃあこっちだ。4853」
「よん、はち、ご、さん……開いた!」
カチッと小気味いい音が響き、扉を開くと、台座中央の透明なケースに収められたダイヤモンドが姿を現した。
「あった!うわ、めちゃめちゃ綺麗……」
ブリリアントカットが施された七色に光る宝石を、壊さないようにケースごとそっと取り出す。赤いクッションで眠るそれは、可愛らしいお姫様のようだった。
「取り出したよ」
「早く脱出しよう。そこの窓割って飛び降りて」
「……は?正気?」
あぐりは目を丸くして固まる。ここは高層ビルの最上階、地上百メートルは下らないだろう。
「大丈夫、ちょうど階下くらいの高さに、正面のビルのカフェテラスがある。ちょっと隙間はあるけど飛べば多分届くし、芝生だから柔らかいよ」
「あんたねえ、他人事だと思って……」
はっとして、耳を澄ます。何か物音がする。
先程まで聞こえなかった足音が、すぐそこまで来ていた。既に同じ階にいるようだ。
「着いたようです、出ましょう」
「四の五の言ってる暇ないよ」
「〜〜うっさ!わかってるわよ!」
ブチッ、と電波の途切れる音。イヤーモニターの電源が切られた。
あ、と声を漏らしたナギは、複雑に並べられたPCの前で冷や汗をかく。
「……これはまずいかも」
寄りかかった車椅子の背が、ぎし、と呻いて歪んだ。
「オボロ!鞘貸して!」
目を三角に釣り上げて、オボロに手を伸ばしたままずんずんと窓側に突き進むあぐり。
「はいはい。壊さないでくださいね」
「知らん」
いよいよ最期を感じるオボロから鞘を、刀装ごと奪い取り、思いっきり窓ガラスにぶつけた。粉々に砕け散ったガラスが重力に負けて落下するよりも早く、二人は窓のへりを蹴って外に飛び出した。
堪えきれずに、あぐりが叫んだ。
「私はアクション俳優じゃないのよ、バカ!」
「おかえり、よくやってくれた……ね」
ガチャ、とドアを開けると、とてつもなく不機嫌そうに頬を膨らませたあぐり、の横に、助けてくれと顔に書いてあるオボロがいた。
何となく、触れてはいけない気がした。
「……宝石は?」
「七緒さんに届けてきました。ついでに怪盗も」
「も〜聞いてよミゲル!ナギったら酷いのよ!」
「うわっ!」
あぐりがわっと泣きついたのは、ドアを開けた、小学四年生くらいの子供。たったひとつ、普通の子供と違うのは、関節が球体で出来ている、ということ。
ミゲルと呼ばれたその球体関節人形は、またか、と苦笑いをした。ギャーギャーと騒ぐあぐりの肩をとんとん、と叩く。
「あぐり、わかったから、とりあえず上がってくれ。タルトがあるんだ」
タルト、と口にした途端、あぐりの耳がぴくっと動く。
「ほんと!?わーい食べる食べる!」
ガバッと起き上がり、押し倒したミゲルの手を取り立ち上がらせると、キッチンへ走っていった。
「嵐だな」
「ふふ、ですね」
「オボロもお疲れ様。バイト終わりだったのに、すまない」
オボロは直前まで、引越し屋のバイトをしていた。筋肉をつけたいといって始めたバイトだったが、体質のせいかどれだけ働いてもひょろひょろのままだ。
「いえいえ、私にはバイトの方が重労働ですので。ところで、あの……」
急にもじもじし出したオボロに、ミゲルは冷ややかな視線を送る。
「なんだ、気持ち悪いな」
「失敬な。私には抹茶プリン、あります?」
「ああ、ごめん。買ってきてない」
「そんな」
両手で顔を覆うオボロ。悲壮感漂うオーラが目に見える。
ふっと笑ったミゲルが手招きし、耳打ちした。
「実は、タルトはナギが買って来いって言ったんだ。買ってきたのはキラだけど。あぐりを怒らせたから、って」
笑いながらそう告げると、オボロも理由は何となく分かっていたので、やっぱりか、と一緒になって笑った。
「そうですか。それなら仕方ありませんね」
「まあ、抹茶プリン買ってきてないのは嘘なんだけど。冷蔵庫に入ってるぞ」
「左様でございますか!」
下手くそなスキップで玄関を後にする。鞘がばしばし当たって痛そうだ。降ろせばいいのに、とミゲルは思う。
「やっぱり、みんな揃うと賑やかだな」
一人残されたミゲルも、後を追ってリビングへと向かった。
秘密組織、レモネード・ジャンキー。
世間からは得体が知れない組織として気味悪がられている。
しかし、その正体は至って普通の、はぐれ者たちの集まりだった。
右目を失った者。左目を失った者。両足を失った者。右手を失った者。左手を失った者。
そして、身体を失った者。
テレビや雑誌などの露出も皆無、ましてや人前に姿を現すことも無い。誰にもその情報が知られていないが、今日もどこかで暗躍している。原因不明のまま解決される事件は、専らレモネード・ジャンキーの業とされ、証拠も無いままその名前だけが世に知れ渡っている。
「久々の……抹茶プリン……」
コンビニでいつでも買えるような、緑色の抹茶プリンを前に、紙スプーンを握りしめて感銘を受ける青年は、高橋オボロ。右目を失った青年だ。
その姿をよそに、部屋の明かりに照らされて輝く、色鮮やかなフルーツがたっぷり乗ったタルトを頬張る少女が一人。
「うま〜〜!」
ハート型の眼帯を左目に付け、赤いツインテールを揺らす少女。田中あぐりは、タルトが大好物であった。
「いやあ良かったよ、あぐりが喜んでくれて」
あぐりの正面、オボロの隣に車椅子を寄せたナギは、顔を引きつらせながらコーヒーを啜る。猫舌のナギには、熱くてほとんど飲めなかった。
先程の形相はどこへやら、あぐりはニコニコしながら言う。
「ありがとうナギ、これでチャラね」
「お!まじ……」
「とでも言うと思ったか、謝れ」
「すみませんでした」
頭を下げながら、正直許してもらえるとは思ってなかったけど、と呟く。
モノに釣られるほど、あぐりは安い女ではない。フォークを咥えながら、ふん、と鼻を鳴らした。
「え、そんなに痛かった?割と近くて安全なとこ選んだつもりだったんだけど」
困ったように笑いながらカップを回すナギを、あぐりはジト目で一瞥する。
「ビルとビルの間を飛び越えるなんて、危険に決まってるでしょ?それも女の子にさせるのよ、ありえない」
「全く同感です」
幸せそうにスプーンを咥え、隣で頷くオボロを睨み、ナギは頬杖をついた。
「でも怪我なかったよね」
「事後論ね、腹立つわ。それもあたしだったからよ」
あぐりは窓から飛び降りた直後、すぐに受身をとり無傷で着地した。あぐりは体術に長けている。
「これ以上何も言うな、ナギ」
ブラックコーヒーの入ったマグカップを丁寧に両手でテーブルに置き、特等席となっている、子供用の座面の高い椅子に飛び乗ったのは、佐藤ミゲル。
身体を持たない球体関節人形の少年、かつ、レモネード・ジャンキーの総裁だ。
「お前に勝ち目はないぞ」
「ちゃんと謝っただろ」
「ま、今回はタルトに免じて許してあげるわ。次はもっといいとこ探してよね」
「はいはい」
この手の口論で、ナギが勝った試しはほとんどなかった。ナギもそれを分かっているので、半ば諦めている。
「ミゲル、ミルクはいりますか?」
「いる。砂糖も二個くれ」
オボロは立ち上がり、キッチンに向かう。舌はお子様なようだ。
「そういえば、エラとキラは?もう帰ってきてるわよね」
タルトの最後の一口を食べ終わり、フォークについたクリームまで丁寧に舐めとると、満足そうな顔のあぐりは問いかける。
「キラは部屋で勉強してる。エラは多分、まだ帰ってきてないな」
「帰ってくる途中で野良猫追っかけて、どっか行っちゃった」
リビングのドアが開くと同時に、片腕の金髪少女・山田キラは言った。
「え、俺も見たかった」
少し残念そうにするナギ。彼は猫好きである。
「キラ」
「おかえり、あぐり、オボロ」
「ただいま戻りました」
「学校には行ったんだ」
「行ったと思う。ずっと寝てたんだろうけど」
エラとキラは双子の高校二年生であり、エラは肩から先の左腕、キラは右腕が欠けている。どちらも優等生だが、真面目に勉強するキラに対し、エラは運だけで得点を勝ち取る、強運女子高生であった。
「二人共、今日はご飯ここで食べてく?」
あぐりとオボロはそれぞれ近くで一人暮らしをしており、依頼がある日や打ち合わせの際にここ、ミゲル達が住むマンションの一室に集合がかかる。二人は暇な日もここに来ることが多いので、基本はここが溜まり場、アジトとなっている。
「食べる〜疲れたし。オボロもそうするよね?」
「そうさせていただきます、家に帰っても何も無いので」
「あたし作るよ。キラ、手伝って」
「うん」
あぐりは気が向いた時に、全員分のご飯も作る。意外にしっかりした性格もあいまって、男性陣からは、密かにお母さんと呼ばれていた。
「ただいま〜」
そこへ、頭をがしがしと掻きながら、履き潰したローファーを足で乱雑に投げ飛ばして、山田エラが帰宅した。長い白髪を器用に右腕でかきあげる。
「エラ、おかえり」
「どんな猫だったの?」
「ん〜、黒いの」
ナギの第一声に、興味無さそうに答えるエラ。ボロボロの学生カバンを横長のソファにぼすっと落とし、その上に崩れ落ちるようにのしかかった。長い足がソファをはみ出して投げ出される。
「ちょ、寝るなら着替えろって」
ナギが赤らめた顔を両手で隠した。エラは寝たまま顔を持ち上げて睨む。
「何見てんだカス」
「カスはちょっと強くない?もっとオブラートに包んでよ」
み、見てないし、と何も信用ならない言葉を付け足す。エラは気にせずそのまま寝入った。
「ご飯できたよ〜」
途端、飛び起きた。余程疲れていたようだ、エラの腹の虫が盛大に鳴いた。
「腹減った」
「野性味が強いな」
「ありがとう」
「褒めてないんだけどな」
お互いを見もせず漫才のような会話を繰り広げるナギとエラに、また始まった、と皆が笑いだす。
はぐれ者たちの集会は、今宵も長丁場である。
太陽もいつの間にか姿を消し、女子高生二人が寝に入った午前一時。大人達は、恒例となった依頼後の打ち上げへと洒落こんでいた。
「ん、これ美味しい!新発売?」
あぐりは、可愛らしく模様が施されたピンク色の缶をプシュッと開け、一口飲んで驚いたような声を上げた。あぐりはまだ未成年だが、そんなことを気にするような人は、ここには誰もいない。
それぞれが、したいことをする。はぐれ者たちにとって、最優先の法であった。
「はい、あぐりが好きなシリーズからモモの風味が新しく出ていたので、買ってきてみました」
頬を少し赤く染めて、ほろ酔いのオボロが笑顔で答える。その手には、何杯目かの梅酒の缶が握られていた。
オボロはバイトで出かけるついでに、アジトに置いておく分の食料を買ってきてくれていた。メンバーの好みに合わせて酒や食料を買い足し、その際は抹茶プリンも欠かさず買ってくる。
「さすがのクオリティね。あたしでも飲みやすいわ」
「あぐりもー、俺と同じくらいの飲めばいいのにー。ねー、オボロー?」
酔いが回ったナギはとてつもなく面倒臭くなる。その上アルコール度数の高いものを好むので、よくミゲルに飲みすぎないよう止められていた。
今日もナギは既に、片手にビールの缶、もう片腕は体ごと、ソファへと沈みこませていた。あとはこのまま、寝るのを待つだけである。
「今日早くない?」
「こんなもんじゃありませんでした?」
呆れるのにも飽きたようで、二人はスルーをキメていた。
「それ、いいにおいする」
ミゲルは、あぐりの飲み終えたピンク色の缶にくんくんと鼻を近づけ、そのままあぐりの隣へ腰掛けた。オボロはすかさず麦茶の入ったグラスを差し出す。
ミゲルは、酒の匂いを嗅いだだけで酔ってしまうほど鼻が利く。総裁といえど、その小さな体には酒は強すぎるので、酒の会に出席はするが、飲むのはミゲル自ら控えていた。
「モモの匂いするね〜、ミゲルちゃん」
あぐりはミゲルの頭を撫でながら微笑んだ。ちょこん座り込んだ様子は、本物の子供のようで可愛らしい。
ミゲルは酒の匂いが大好きだった。しかも匂いを嗅ぐだけで効果は抜群だ。ミゲルは酔うと、見た目だけでなく中身も幼児退行してしまう。
「ん……のむ……」
「あ、だめだめ。もうおねむだね」
ミゲルが缶へと伸ばした手をあぐりが制す。そのままぽすっとあぐりに寄りかかり、目を閉じてしまった。夜更かしはまだまだ早いらしい。
「僕が寝かせてきます」
「お願い。あたし片付けとくわ」
飲み終えた缶を置いて立ち上がり、オボロはミゲルをそっと抱えてリビングを出た。ここは都心の安いアパートだが、立地が悪い分、広さは十分だった。ここで暮らすミゲル、ナギ、エラ、キラにそれぞれの部屋を設けられる程度には充実した内装である。
ミゲルの部屋のドアを開けると、整頓された机の上に、抱え込んでいる数々の依頼についての書類が積まれていた。
総裁は子供である。ましてや見た目は球体関節人形である。オボロやあぐりのように前線で立ち回れない分、仕事の引き受けや利回りなどは全て、ミゲルに一任されていた。ミゲルは戦えないことを申し訳なさそうにしているが、ミゲルも変わらず組織にとってなくてはならない存在である。何かと自由が利かない身の上でありながら、組織のために動く総裁を、皆は尊敬し、好いていた。
オボロはベッドの上にミゲルを寝かすと、そっと上から布団を掛けた。ミゲルはすっかり夢の中である。素直であどけない寝顔は、どこ
からどう見ても小さな子供であった。
「……早く、元の体に戻れるといいですね」
オボロは起こさないように、小さな声で呟いた。
ミゲルは元々、普通の人間であった。
今、ミゲルの球体関節人形の体を動かしているのは、ただひとつ残った、ミゲル本人の、本物の心臓である。木製の球体関節の中で波打つそれは、ミゲルの本来の体から、何者かの手によって取り出され、人形の心臓部に埋め込まれた。ミゲルが気付いた時には既に、知らない部屋の中で椅子に座らせられた、青緑色の髪と瞳、そして球体関節をもつ少年の姿へと成り代わっていたという。たまたまバイト中に隣の部屋から聞こえた、壁を壊さんばかりの盛大なノックで、オボロがミゲルの存在に気付くのは、それから二、三日後のことであった。
誰が心臓を取り出したのか、自分は元々どんな姿だったのか、そして身体は今、何処にあるのか。ミゲルは、自分に関することは何一つ
覚えていなかった。
「ナギ、もうみんな寝たわよ」
飲み終えた缶たちをゴミ箱へ放り、テーブルを綺麗に拭いたあぐりは、完全に夢の世界へ堕ちたナギの肩をゆさゆさと揺らした。
「ん〜、ここで寝る……」
「そう。じゃ、車椅子ここに置いておくから。なんかあったら呼びなさいよ。オボロを」
あぐりはソファの傍に車椅子を寄せ、ストッパーを下ろした。
両足の太腿から先がないナギは、基本の移動は車椅子である。目立ってしまうのが嫌なので、滅多に外に出ることは無い。必要なものがある時は、今日のようにキラに頼んだり、深夜にコンビニエンスストアへ出かけたりして済ませている。
あまり体に、主に足に負荷をかけられないため、ナギに何かあった時はすぐにオボロが駆け付けられるようにしている。オボロは全体の補佐も担っていた。
「片付け、ありがとうございました」
「んー」
オボロがリビングへ戻ってきた。あぐりはポケットから取り出した棒付きアメを咥え、テレビの電源を消す。二人もそろそろ帰る時間だ。
玄関を出て合鍵で施錠すると、辺りはすっかり夜の闇に包まれていた。夏が近づき、日が長くなってきたが、さすがに夜はまだ少し冷える。どこからか虫の鳴き声が聞こえる。
「あたしこれ分かるよ、スズムシでしょ」
「季節的にコオロギですね」
「は?知ってるし。バカじゃないの」
何故、という顔で硬直するオボロを置いて、あぐりが歩き出す。
「今日の給料はいつなの?」
「明日、七緒さんがいらっしゃるようです。前回の分も一緒に支払われるとか」
「あら、早いじゃない。さすが七緒ね」
あぐりの家とオボロの家、我らがアジトはちょうど三角形になっており、それぞれの家が目と鼻の先だった。各々の生活もあるが、最優先は組織としての活動だ。その意識は全員に共通されていた。
「じゃ」
「おやすみなさい」
別れ道で、互いに背を向ける。
もしここに今、殺人犯が出没しても、彼等に勝てる者はいないだろう。しかしこの青年が、少女が、秘密組織で暗躍中である事実など、誰一人として知る由もないのだ。
どこか遠くで、コオロギが鳴いた。
レモネード・ジャンキーの夜は、静かに更けていく。
[第1話 レモネード・ジャンキー 終]
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