第15話 「扇動者」:早瀬志帆(5)

 あの人、やっぱりどっかで見たことがあるな……


 夜、自分の部屋のベットに寝ころんだまま、先ほどから志帆は出てきそうで出て来ない記憶と葛藤していた。


 横に置いてあった数冊の文集を再び手に取ると、そのまま徒然にめくる。昨日、抵抗する要のもとから強引に借り受けてきたものだ。今となっては書けない云々うんぬんで、もっぱら読んでばかりの要が書いた小説が、幾つかの冊子には載っていた。作品そのものの評価はさておき、編集後記では、長編として『蛇鱗館殺人事件』なるものを執筆中と紹介されていて、当時の意欲がうかがえる。矢津井の相変わらずな犯人当て小説は、志帆としては当てやすい方だったが、無味乾燥ぶりも相変わらずだった。まあ、いまの方が技量は向上しているとは思うのだけど。


 改めて、御堂の小説をペラペラめくっていく。単純に巧い、と思う。文集の中では伴田法子という人と並んで面白い。昨日要が読んでいた『密室男』は、探偵小説的な楽しさもありつつ、密室にこだわる男が次第に言葉や脳内といった要素に囚われていく過程がスリリングに描かれている。そして、序盤の探偵小説的な部分は正直、要より巧い。もしかして要が小説を書くのが億劫になった一因がこれなのかもしれない。そんなことをふと思う。


 まあ、それはともかく、だ。志帆としては、御堂という人物について、この小説を読んで何か分かるかというと、やっぱり特に分かるわけでもなく。妙なことを考える人間だったような印象を受けるが、ただ単に小説のネタとして面白おかしく書いていただけということだってあるだろう。


 とはいえ、とにかく彼の残した文字の連なりを追うことは面白かった。頭蓋という密室。そこへ侵入する凶器としての言葉――もしくは観念。


「ん?」

 志帆は思わず声を上げる。突如、記憶の底から御堂の姿が浮かび上がってきたのだ。

「あ……思い出した」

 写真を見た時からかすかにくすぶっていた感覚。志帆は確かに彼を見たことがある。あれは新聞部の部室だ。放課後、遊ぶ約束をしていた友人を迎えに行った時に、偶々部室にいた少年。整った顔立ちに、特徴的な口の端をゆがめているような笑顔――。


 そこで志帆は思い立ったがとばかりに携帯を取出し、その友人であった彼女に明日の昼頃に会おうと、文字を打ち始めた。


「で、どうしたのさ、急に」

柊美鈴は、夏休みに入って、より鮮やかに赤っぽくなったソバージュ・ヘアをかき上げながらそう言った。

「……しかも何で待ち合わせ先がカレー屋なのよ」


「あはは、電話で話するだけだとあれだし、ここ最近オープンしたって聞いて、そのうち行ってみたいと思ってたんだ。すごく辛いカレーが食べられるって評判なんだよね」


 志帆がワクワクしたような声で答える。美鈴は半分どうでもよさそうに、そして半分諦めたように溜息をついて、

「あんたの都合に付き合わされるのは、まあ、どうでもいいけど。あたしも来てみたいところではあったし。……それで、御堂だって? なんであんなやつのことが知りたいのよ」


「え、うーんと、なんというか、ひょんなことからちょっとした事件に巻き込まれたというか……」

 志帆はかいつまんで事情を説明する。


「ふーん、それで、あんたのいとこの知り合いが御堂だったってわけね。しかし、すごいことに巻き込まれたわね。まあ、あたしが書きたいようなネタじゃないけどさ」


 美鈴はそう言って、少し顔を顰める。柊美鈴は、志帆のクラスメイトで、新聞部の副部長を務めている。彼女たち新聞部は主に壁新聞に力を入れていて、結構な頻度で学校の廊下の掲示板などに掲載し、コンクールなどにも入選を果たしている。志帆の四ッ谷高校ではちょっとした有名な部でもある。


「それで、御堂がうちの部にいたかって話だけど、まあ確かに一応は部員ではあったかな……」

 なんだか少し苦い顔をする美鈴だった。

「どうしたの?」

「あんまりいい思い出ないというか、あいつは……なんていうか、新聞をその、積極的にプロパガンダの道具にしか見てないところがあった」

「プロパガンダ?」

「うん……。あいつは人の興味をいかに引くかってことに対して、手段を選ばないっていうか、どうやったら読んだ人間を、それを書いた自分の思うような感想を抱くようにするか、という誘導の方にばかり関心が向いてた。しかも、ほとんど実験まがいのことまでやろうとしてたのよ」


 憤懣やるかたないといった様子の美鈴。彼女は派手なセンセーションよりは、日常のちょっとした出来事から問題提起を行い、読んだ人自身がそれぞれの思いを持つことを理想として語ったことを、志帆は覚えている。確かに相性は悪そうだ。


「へえ、それはまた……」

 頼んでいたメニューが届き、志帆はいそいそとマグマカレーなるものにスプーンを突っ込みながら、

「結局それで、みんなとうまくいかなかったんだ」


「いや、それが全然。あいつは結構人をまとめるのが巧くてさ、知らないうちに部が二分されてて……あの時はひどかったな」

 美鈴は当時を思い出したのか、口の端を苦々しげにゆがめる。

「まあ、でもあいつがあっさりやめて、それからはみんな憑き物が落ちたみたいになったんだけどね」


 美鈴は少し疲れた感じで、運ばれてきた鮮やかな緑のホウレン草カレーに、裂いたナンを付けて口に運ぶ。

「ふーん、結構、悪くないじゃん。また来てもいいかも」

 美鈴は気に入ったらしく、おいしいおいしいと言いながら、次々にナンを千切っていく。


「それにしても、アンタそれ大丈夫なの……?」

 美鈴は志帆のスプーンがすくう、ほとんど警戒色然とした赤いスパイスの塊を見つめる。それは、彼女の方が思わずコップを取ってしまうほどの迫力だった。


「うーん。なかなか、いい感じだよ。おいしい」

 躊躇ちゅうちょなくパクパクと頬張るのを気味悪そうに見つめる美鈴を、そんなに心配しなくても、というふうに逆に眺め返す志帆。

「大丈夫だってば。ひとくち美鈴も食べてみる?」

 と、誘ってみるが全力で首を振られてしまった。


「おいしいのに……。ええと、それで、話を戻してもらうけど、やめた後の御堂君って何してたの?」

「え、そうねえ……あんまりよくは知らないというか、そもそもあたしには気に食わないやつだったし……クラスメイトだったから、顔を合わすことは顔を合わせてたけどさ、あんな奴、いちいち気にしてないって」

 美鈴は若干、面倒臭そうに答える。


「まあ、でも知っている限りでいいから。ええと、その後、御堂君は他の部活とかに入ったみたいだった? もしくは自分で同好会みたいなのを立ち上げたりとかは?」


「なんだか、志帆、意外と記者向きなんじゃないの? あんなだらけたテニス同好会やめてウチに来たらいいのに」

 美鈴は半分茶化すように言うと、

「まあ、特にそういうことは無かったように思うけどね。少なくともあたしは、あれから御堂のやつが他の部に入ったとかは知らない」


 それから、ブツブツと愚痴るようにして、

「だいたい、あいつの楽しくもないくせに妙にニヤついた笑い顔とか、あんま思い出したくないっての」

 と、そこであ、と何かを思い出したように、

「あー、そういえば、なんだっけ。ちょっと耳に挟んだことはあるな。確か稲大いなだいの大学生とつるんでるって話。大学のミステリーサークルだったような? ミステリーって言っても志帆が読んでるような、殺人事件がどうのこうのってやつじゃなくて……怪談とか噂なんかの都市伝説――そう言うオカルト同好会っぽい集まりだったかな」


「へえ、それはまた妙な場所に鞍替えした感じ」


 志帆は、そう感想をもらす。しかし、内心興奮していた。確か、志帆たちが遭遇した事件の被害奢は二人とも稲生いのう大学の大学生だった。御堂が出入りしていたらしい大学の学生である。どうやら何か繋がりらしきものを手ぐり寄せたらしい。


「で、どうなの? 名探偵志帆ちゃんとしては、やっぱり御堂がこの事件の犯人だと思うわけ?」

 美鈴は、あきらかに御堂が怪しいと言わんばかりだが、志帆はとりあえず要を習って慎重に、

「まあ、まだそう気軽に結論は出せないかな」

 なんだか思った以上に気取った形になって猛烈に気恥ずかしくなった。


 あはは、それ、なんかそれっぽい感じ、と美鈴はなにかツボにでも入ったのか、えらく可笑しそうに笑いだす。


 志帆は苦笑いしつつ、照れ隠しぎみに、

「美鈴から見て、御堂司ってそんなにイヤな奴だったの?」


 途端に美鈴はやはり渋い顔になる。まあ、わざわざ聞かなくても、話しぶりからうかがえることだったが。


「うーん、別にあきらかにイヤな奴ってわけじゃなかったけど……。まあ、だからこそ厄介だったというか……何て言うのかな、とにかく人を囲い込んで組織立てることについては巧い奴だったよね。あと、そういうのを目的を持ってやるというよりは、どこか実験でもするみたいな感じでやっていたような気がするのよね……だから、余計むかつくんだけど」


「なるほどね……」

 何となくカリスマ性があった人物というふうに思っていたわけだが、どうやら強烈なカリスマ性で引っ張るというよりは、人をそれとなく動かすタイプのような気もしてきた。イデオローグというよりはオルガナイザーという感じだろうか。


「しかし、アンタのいとこって、あんな奴とよく付き合えてたわね。言っちゃあなんだけど、よっぽど性格悪いか能天気かなんじゃないの?」


 ちょっとあんまりな言い方だが、まあ、もしかしたらそうなのかもしれない。とはいえ、人の印象はそれぞれで変わるものだろうし――そう思ったものの、矢津井の反応などを見る限り、やっぱり要がヘンなのかもしれない。


「まあ、何にせよ、あたしとしては、あの薄気味悪い奴が今の事件を裏で操ってたって言われても、そんなに違和感ないけどね」


 美鈴は言い捨てる。志帆としては、そういう、人を組織立てたり、裏から動かそうと試みる人間が、真っ先に怪しい形で失踪するのは少しちぐはぐな感じがしたが、見たことしかない人間について、あれこれ言えるわけではないので黙っていた。


 要をはじめとした身近な当事者と話し、なんとなくぼんやりと御堂という人物が見えてきたとはいえ、事件についてはやはりよく分からない。そもそもこの事件は、どういう目的を持って進行しているのか。


 言葉が絶えると、後は二人して残りのカレーやナンを平らげていくしかなくなる。

カレースパイスの匂いが充満し、厨房でナン生地を整形――というかほとんど遠慮なくぶっ叩いているような音がひっきりなしにして、それをバックミュージックに陽気なヒンディー語だかなんだかの音楽に満たされた店内は、ちょっとした異空間めいている。


「あ、そういえばさ、またこんな噂が流行ってるんだけど、志帆ちゃん知ってる?」

 食べ終わった美鈴が、思い出したように切り出した。


「あの山に埋まっていた自殺体なんだけどさ、埋められた人のなかに、実は土の中で息を吹き返した人がいたってやつ」

さも見たかのように声を潜め、

「でもね、そのひと酸欠で頭がおかしくなってて、山の中をふらふら彷徨いながらやがて街の方に出て……」


「――で、それが道化師として人を殺し回ってるってんでしょ」

「オチを言わないでよ。あんたの良くないクセだよそれ」


 美鈴が抗議するが、そもそも誰もが考えそうな話だろう。急ごしらえの稚拙な噂――。しかし、その分かりやすい稚拙さが、共有しやすい物語として人の口の間をひとしきり渡って、そして、きっと泡のように消えていくのだろう。


 とはいえ、山に潜んでいる死んだことになっている人間が、殺人鬼となって人を殺していく――そんな映画じみた空想が少し引っかかった。警察はあそこに埋まっていた死体をすべて発見できたのだろうか。もし、自分がそこに埋葬されているはずの未発見の死体として扱われるようにできれば、それこそ、死んだ人間として自由にふるまえるのではないのか――?


 まあ、死者になって容疑から外れるとは、いかにもな探偵小説的な趣向に引きずられ気味な気もするが、検討する余地はあるのかもしれない。


 急に押し黙った志帆を怪訝そうに見つめる美鈴をよそに、志帆は降ってわいた探偵小説的空想に、しばらく浸っていた。

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