【完結】お嬢様だけがそれを知らない

春風由実

1.お嬢様には秘密がある

 公爵家の長女であるお嬢様は、幼い頃から王太子殿下の婚約者でもありました。


 そのために礼儀作法にはじまり、国内外のあらゆる知識を身に付けられてございます。

 ゆくゆくは王妃となられる高貴な身の上として必要なことではございましたが、まだ幼子の時分から続くお嬢様の置かれた厳しい環境には、見ているだけのこちらの方が幾度涙を堪えたか。


 それなのにお嬢様は泣き言ひとつ漏らすことなく、立派にご成長なされ、今や世間からは完璧な淑女として讃えられる尊き貴婦人となられたのです。




 そんな完璧な淑女と称されるお嬢様には、ある秘密がございます。



 それは日々お嬢様が邸へ帰宅なさると同時に始まるものです。



「ただいま、マリー。あの子たちは?」


 お嬢様の専属侍女である私の顔を見るなり、お嬢様はいつも同じようにお尋ねになられます。


「お帰りなさいませ、お嬢様。皆様は本日も恙なくのんびりと過ごされておりました」


「それは良かったわ。今日もありがとう、マリー。あなたが邸に残っていてくれるから、私も安心していられるのよ。疲れたでしょう、交替するわ。すぐにお風呂に入って着替えるわね」


「準備は整ってございますよ。ただいま別の者が皆様についておりますので、本日も私がお手伝いさせていただきます」


「ありがとう、マリー。いつも助かるわ!」


 侍女に礼など不要ですといくらお伝えしましても、感謝のお気持ちを与えてくださる心優しいお嬢様ですから、今では私たちも有難くお嬢様のお言葉を頂戴することにしております。


 さて、ここからお嬢様は外では決して見せない、落ち着かないご様子を私たちには見せられるのです

 周囲を見れば、同じく公爵邸に仕える同僚たちが、先を急ぎ速足で廊下を歩くお嬢様に向けて微笑んでおりました。


 本来のお嬢様に戻られたことを実感出来て、私たちは毎日この瞬間に同じ嬉しさを共有するのです。

 いつも淑女として見本のようにあられるお嬢様ですから、邸にあるときばかりは心から寛いで過ごしていただきたいですからね。




 そして湯浴みを終えて、ふわふわの羊毛で編まれた特殊なルームドレスに着替えられましたお嬢様は──。


 迷わずその部屋へと飛び込んでいかれます。


「ただいま、みーちゃん!くーちゃん!うーちゃん」


 お嬢様の嬉しそうな声が邸内へと跳ねました。


 呼ばれたものたちの一部が、反応を示さないことにはいつも憤ってしまうのですが。


 尊くも美しいお嬢様に呼ばれ無視出来るものなんて。

 あなたたちくらいなのですよ!


 とお嬢様が居ない間に、何度伝えたか分かりませんが。

 このものたちは、いつまでも理解する気はないようです。


 けれども今日は『くーちゃん』と呼ばれたものが、最初から扉近くでお嬢様を待ち構えていたようで、お迎えが出来ておりましたから。

 本日は良しとしておきましょう。



 お嬢様はそれから腰を落とされまして、目のまえの床にぱたんと倒れたく―ちゃんのお腹へと、その美しいお顔を埋めていきました。

 そして私たちが日々指先まで磨いております美しい両手をもって、白い毛の塊をもふもふと撫でまわすと、お嬢様はスーっと息を吸い込まれたのです。


 そしていつも通りに仰います。


「はぁああ~、今日も癒されるわぁ。くーちゃん、ありがとう。今日もマリーといい子で待っていてくれたのよね。嬉しいわ!」



 お嬢様はそう仰いますが。

 お嬢様の気の抜けた普段とは違う可愛らしいお声を聞いて、癒されているのは私たちの方でした。


 そこからお嬢様はしばらくの間、くーちゃんを堪能されておりました。


 お嬢様、本日もありがとうございます。

 可憐なお姿を拝見出来て、私たちはかの御方に恨まれるくらいに日々幸せですわ。




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