第32話 選べない理由



「ライラ・マユロウ」


 私は名を呼ばれて、ようやくメトロウド殿が来ていることを思いだした。

 熱を出し始めたあの日以来だから、久しぶりだ。

 しかしメトロウド殿は、私に存在を忘れられていたことにも気を悪くした様子もなく、穏やかな笑みを浮かべている。


「ずいぶん考え込んでいましたね」

「それは、まあ、マユロウ家の未来に関わることですから」


 私は独り言のように言ったが、メトロウド殿はそれが何を指しているかはすぐにわかったようだ。いつも手袋を欠かさない手で緩やかに束ねた髪に触れ、黒目がちの目で私を見つめる。


「それで、少しは結論が見えてきましたか?」

「……結論らしいものなんて全くない」


 私は腐っていた。

 皇帝陛下からの招待状があるからには、結論は急がなければならない。

 半年ものんびりしていたのだ、と言われればそれまでだが、再び三人になった求婚者は、皆いい方で、皆変わった方で、決め手に欠けている。


 私はメトロウド殿を見た。

 優美な姿をしているが、手袋の下の手はたくましい武人のものであり、細く見えるが無駄のない戦士の体だ。繊細な姿の下はマユロウと紛争を続けてきたエトミウの激しい血が流れている。その点では、私の夫にはふさわしい。

 この方とならマユロウの領主として華々しい一生を送れるだろう。

 激しく衝突することがあっても、嫌悪するタイプではないからお互いにうまくいくことは確かだ。

 そして、メトロウド殿はハミルドに少しだけ似ている。ハミルドが完全なるエトミウとして生まれ変わったような方だ。


 それなのに、私はこの方を選ぶことができない。

 嫌いではない。私はメトロウド殿の笑顔を見るのは好きだ。彼の笑顔は本当にハミルドに似ていて、私を柄にもなくときめかせる。それなのに選ぶことができないのはなぜだろう。


 私があまりにもしげしげと見つめるので、メトロウド殿は苦笑している。私がどういうことを考えているかわかってしまったかもしれない。

 それでも何も言わない。何も言わずにマユロウ家所蔵の戦術書に目を落とした。メトロウド殿が通う理由の一つに、この戦術書を挙げてもいいかもしれないと私は思っている。


 私はメトロウド殿を見ながら、何が不満なのかを考える。不満な点は特にない。エトミウの本流にいるという傲慢さとか、容姿に合わないほどの気性の荒さとか、そう言うものはたいした問題ではない。多少は問題ではあるが、鼻につくだけで嫌悪するほどのものではない。

 父やカラファンドとも気が合うようだし、マユロウの武人たちもメトロウド殿には一目置いている。彼はマユロウ家に入っても自然に溶け込むだろう。


 では、なぜ私はメトロウド殿を選ばないのか。

 ぼんやり考えているうちに、メトロウド殿の手を見て思い当たった。

 私の前ではそうでもないが、人前ではほとんど手袋を外さない手は、完全なる武人のたくましい手だ。いかに優美な姿をしていても、彼は本質的に武人だ。

 私にはそれが物足りないのだろう。優秀な武人はいくらいても困らないが、マユロウに欠けた人材ではない。次期領主の配偶者には、私やカラファンドにはない能力が欲しいのだ。その点でルドヴィス殿やファドルーン様に劣っている。


「……私はぜいたくものだな……」


 私はつぶやいていた。メトロウド殿は目をあげ、私がまだ見つめていることに気付くと戦術書を閉じて、私が座る長イスに移動してきた。


「私では不満ですか?」

「あなた一人なら、私は何も迷いません」


 私はため息とともに答えた。メトロウド殿は私の手をとり、指に唇を付ける。


「ライラ・マユロウ。あなたが比較しているのは、ルドヴィス殿ですか? ファドルーン様ですか? それとも……」

「ルドヴィス殿とファドルーン様の両方です。ぜいたくでしょう?」

「ぜいたくですね。しかし、私が一番気に入らないのは……」


 メトロウド殿はぐいと私の手を引き、私の身体を抱き寄せた。

 とっさにどういう反応をすべきか迷ってしまい、結局私はメトロウド殿の腕の中に入ってしまった。やはり武人の体をしている。私はまた冷静に考えていた。


「ライラ・マユロウ。私だけが求婚していたとして、本当に私と結婚していましたか?」

「離していただきたいのだが」


 一応申し立ててみたが、メトロウド殿にやはり無視されてしまった。

 私はため息をついた。


「ライラ・マユロウ。こたえていただきたい」

「あなたしかいなかったら、私は選択の余地が無かったでしょう」

「そうだろうか。あなたはいつも私とハミルドと比べている。そして逃げ道は、いつもアルヴァンス殿だ」


 ……私は絶句した。

 そうだ。そうだった。私にとって、求婚者が一人だろうと三人だろうと、結局同じなのだ。ハミルドでなくなったときから私は全く関心を持たなくなっていた。そして、逃げる方向はいつもアルヴァンス殿なのだ。

 私はアルヴァンス殿に甘えすぎているようだ。

 もう一度深いため息をつき、メトロウド殿の体を押しのけた。メトロウド殿は難なく離れてくれたが、彼も珍しくため息をついた。


「いっそのこと、決闘で一人に決めろと言っていただきたいくらいだ」

「三人で総当たり戦でもしろと?」

「私はそう提案したいが、他の方が猛反対するでしょうね」


 メトロウド殿は穏やかそうな笑みを浮かべた。そうしている姿は、血の気の多いことを言うエトミウ家の武人には見えなかった。

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