第9話 熟練した狩人は焦らない

 カロルside


 ずっと憧れていた。昔読んでいた絵本に出てくる王子様に。姫様が悪い連中にひどいことをされそうになったとき、白馬の王子様が突如として現れ、悪党に裁きの鉄槌を下し、姫様を救う。そして二人は結ばれる。

 

 だけど、現実は彼女にとって残酷だった。


 幼い頃、カロルはある公爵家の男にひどいことをされかけたことがある。アリスによって助かったが、悲劇はまた起こった。数年前、カロルらを誘拐するために謎の集団が屋敷に侵入した。そしてまた、嫌な顔をした男がカロルを犯そうとした。だが、父がやってきてカロルらを守ってくれた。その代わりに、カロルたちは目の前で父が死んでいく様を見てしまった。


 悪夢のような出来事。


 あの光景はトラウマとなってカロルの夢にまで出てきて彼女を苦しめてきている。


 だけど今は、


『よかった!』


 あのお方がカロルたちを救ってくれた後にかけた言葉。


『ここは人が多すぎる。もっと安全なところに移動しよう』


 いやらしい視線を向けていた人たちから自分を救うために、その逞しい手でカロルの手首を握り締めて言った言葉。


 あの優しい息遣いと言葉と視線と手。


 カロルの五感全てが晴翔を覚えている。


 悪夢を見た時、彼を思い出すだけでも勝てる力を得られる。

 

 そんな彼に、カロルは、はしたない姿を見せてしまった。


 社交の場や式典などに参席した際のカロルは一度もヘマをしたことがなかった。けれど、彼女は晴翔の前で失敗してしまった。


 なぜ処女という言葉を使ったんだろう。オブラートに包んだ言い方ではなくストレートな言い方。


 好きな男に自分が純潔な女性であることを示したかった。


 カロルは自分の母にずっと言われてきた。純潔はとても大事だと。最後まで守り抜いて、運命の男にそれを捧げなさいと。


 でも、当時のカロルは母の言葉をあまり信用しなかった。というのも、男は父を除けばことごとく下賎で、獣で、自分を性的欲求を満たす対象としてしか見ていない悪魔だから。親切を装って近づく男性も例外なく彼女を襲っていた不埒者の顔をしていた。


 絵本に出てくる優しい王子様と、見るだけで吐き気がする世の男性。この相反したイメージが美しい彼女をずっと苦しめてきた。


 しかし、あの事件を境にカロルの常識は完全に崩れ去った。


 やっとお母様の言っていたことが理解できた。


 運命の相手に処女を捧げる行為がどれだけ尊いのか。


 想像するだけでも武者震いがする。


 黒い髪に異国風の目鼻立ち。まるで百戦錬磨の戦士のように鍛えられた体。


 そして、

 

 あの優しいブラウン色の瞳。


「晴翔様……」


 実は、昨日は馬車に乗ってきたけど、晴翔ともっと一緒にいたくて歩いて家まで帰った。


 彼と一緒にいたい……


 いや……いけない!昨日、お姉様と夜明けまで晴翔様のことでいっぱい話してから体が熱くなって寝るのに相当苦労したのに、また……

 

 カロルは無意識のうちに、自分の大きいマシュマロに手をそっと乗せる。すると、指が沈んでしまった。


「晴翔様は、私の体を喜んでくれるかな……」


 晴翔様……


 晴翔……


 晴翔お兄様……


 カロルは自分の胸から手を離して横になったまま窓を見つめて呟く。





「晴翔様が私の運命のになってくれれば……っ!」


 ずっと自分を守ってくれるお兄様兼王子様。そして、自分の全てをお兄様に捧げる自分。

 

 その場面を想像すると、急に頭にとてつもなく強い電気が走った。





 そしてカロルは心の中で密かに決めた。


 彼に、自分のを注ぐと。


 ベッドから起き上がったカロルは鏡に写っている自分の姿を見てみる。


 完全にとろけ切ったメスの顔。


 一度も見たことのない普段と違いすぎる自分にゾッとしつつ彼女は部屋を出た。


 すると、隣にカロルにとってとても大切な存在であるアリスが朝食を取るために歩いてきた。


 お姉様も今起きたのか、とカロルが頬を緩めて話をかけようとしたが、


 アリスは、乱れた寝巻きを直すことも忘れて催眠にでもかかったかのように、目が死んでいた。


「晴翔ごしゅ……っ」


 周りから氷の女王とも呼ばれて、自分が最も尊敬する女性2位(一位はアニエス)であるお姉様があんな醜態を……公爵の爵位を継ぐものとしてあるまじき行動。しかし、「ごしゅ」まで言って、何か思いついたのか、唇を噛み締めて冷静を取り戻そうとしている。


「お姉様……」


 動揺するカロル。けれど、その面持ちに軽蔑や嫌悪はこれっぽちも見えない。






 相手が晴翔お兄様ですもの……


 仕方ないこと。


 カロルは100%納得のいく顔で自分の姉に近づいた。


「おはようございます!お姉様!」



X X X


「へくち!」

 

 咳と共に目が覚めた。


 そして蘇るあの柔らかさ。


 俺は仕事柄、女性と関わり合う機会が極端に少なかった。部下や上官は例外なく体育会系の厳つい男性たち。


 けれど、昨日のアニエスさんの胸と体の柔らかさは異常だった。まるで俺の心の何かを刺激するように甘くて現実離れした柔肉。


「……余計なことは考えちゃダメだ」

 

 と言ってから、ベットから降りる俺。


 今日はクリアすべきクエストはない。


 タコ焼きの材料の買い出しと服の購入。この二つが今日のメインとなる俺の予定である。


 宿のおばさんに挨拶して、朝食を済まし、王都へと向かった。


 耳慣れしたケルトっぽい音楽、馬車が走る音、平民、商人、冒険者、貴族たちのざわめき。


 色めき立つこの街は、いつきても心が高揚する。


 俺が道ゆく彼ら彼女らに羨望の眼差しを向けていると、ある商人が売っているガラス商品に俺の姿が映っている事に気がついた。


「やっぱり目立つよな……このジャージは」


 俺がいつも愛用している白い線が三つ入ったジャージ。確かに周りからすればこのファッションは目立つ。


 だけど、他の冒険者が身に纏っている服装はどれもいまひとつだ。

 

 この世界は当然ながら時代的に中世なので、合成繊維や化学繊維など存在しない。なので、ちゃんと自分に合う服が見つかるのかちょっと不安になりながらも歩調を早めて服屋さんに入った。


「いらっしゃいませ!」

 

 店に入ると、20代後半っぽい見た目の女性が歓迎してくれる。


「あの……動きやすい冒険者向けの服を探していますけど」

「冒険者用の服は奥にございます……あ、もしかしてクラス5の召喚魔術師様?」

「は、はい……そうなんですが」

「あらまあ!私、ギルド会館で案内係をやっているルアちゃんの友達でして、ルアちゃんからあなたの話をたくさん聞きました」

「そ、そうですか?」

「はい!突如現れてハイクラスのモンスターを退治し、人たちの悩みを解決する三つの線が入った服を着たクラス5のヒーロー!」

「え?そんな噂ひろまってんのか……」


 いつの間に……


「私はルアちゃんから聞いたのでどこまで広まったかはわかりませんけど、おそらく冒険者の間では結構広まったと思いますよ」


 な、なるほど。確かに美味しい大王タコの討伐報酬を得るためにギルド会館に行った時、結構周りがうるさかったような気がする。特殊部隊は読んで字の如く特殊な任務を果たす存在だ。故に目立つのはあまり好ましくないが……ちょっと心配になるな。あ、俺、もう特殊部隊じゃないよね。


「ふふっ……強いモンスターを倒して平和を維持してくださる貴重なハイクラス冒険者様ですからぼったくったりはしません。大出血サービスですよ!」


 いや、それってクラスの低い冒険者が来たらぼったくりますよ〜って話じゃないか……


 それに出血サービスって……ますます怪しい。


 でも、他に当てがあるわけでもないので、俺はここで服を買うことにした。


「意外と悪くないな」


 俺は店を出てから身につけている新しい服を満足げに見てみる。


 店員曰く、俺が買った服は、ハイクラスの冒険者や貴族が着る服だという。派手なのは嫌いなので、黒が基調の服を選択した。


 値段は意外と手頃だった。


 コスプレっぽい衣装だが、もっと派手で痛々しいものを着ている人もいるし、これくらいが丁度いいだろ。他にもタコ焼きを売る時に着る作業服や普段着などを何着か買った。


 それから俺はタコ焼きの食材や香辛料などを買うために王都の市場に向かった。


「エルフの精霊がいっぱい宿っている薬草が安いんよ!」

「ゴーレムの石で焼いたお肉だ!食ってけ!」

「持ってけ泥棒!蜂蜜と同じ糖度を持っているラオデキヤレーモンが今なら半額!」


 謳い文句に釣られるように、人々は口角を吊り上げた。もちろん俺も。


 タコ焼きの材料を買うのも大事だが、



 ちょっと寄り道しよう。


 


X X X


 

 夜



 晩御飯を食べ終わった3美女。いつもの最上級紅茶を飲みながら寛いでいる。テーブルの上には三段のケーキスタンドが置かれており、ブルーベリーケーキ、いちごケーキ、チーズケーキなど、みるからに美味しそうなデザートが並んでいる。


 カロルが、ケーキスタンドを一瞥してから姉を見て言う。


「お姉様!明日は頑張ってください!応援しますわ!」


 すると、姉のアリスは優しい表情でイチゴケーキを自分のところに持っていってから口を開く。


「ありがとう。私、頑張る」


 覚悟を決めるアリスを見たアニエスは、妖艶な表情を浮かべ形の良い鼻で息を色っぽく吐いてから言葉をかける。


「アリス、力んではなりませんわよ」

「お母様……」


 アニエスは目を細めて、フォークを手に持ったまま続ける。


「晴翔様は、とってもお強い方ですが、心は繊細です。なので自分の気持ちだけをぶつけちゃだめですの。だって晴翔様はだから」


 一旦止めてから、アニエスはフォークを自分の艶やかな唇に近づけて、チーズケーキを自分の皿に乗せてから



「だから、晴翔様を絡めとって溺れさせるのです。徐々に徐々に……れろれろ……」


 そう言って、アニエスはフォークを色っぽく舐め回した。それからそのフォークの先端でチーズケーキの上を優しくいじりはじめる。


 そして獲物を狙う蛇の如く鋭くて色っぽい目でチーズケーキを捉え、


 糸を引いているフォークでブッ刺した。


 



 二人の娘は目を光らせて、自分を産んでくれた母の表情を見つめている。







追記



ああ……

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