第10話 紅の女王

「で──其方は、誰だ?」

月明かりで黒く煌めく髪。

血のついている、まだどこか熱の冷めていない頬。

目が合った。瞳はもとの紅色に戻っている。

「あ───、ぁ──」

金縛りにあったかのように、口が思うように動かない。

しかし、何か話さなければ殺される。

ただ漠然と、そんな直感だけがあった。

一旦深呼吸をする。

肺に新鮮な空気が入り込んできた。

「俺は──清峰宗太郎だ。ほら、保健室で会っただろ」

危ない。なんとか喋れた。

「保健室───あぁ、あの時無礼を働いた奴か。まさか生き残っておるとはな」

「お陰様で。助けてくれて、ありがとう」

絶体絶命なピンチを助けられたのは事実だ。感謝はしている。

助けた覚えはないが」

「?まだって────」


「妾はまだ、殺し足りぬのだ」


グサッ、と音がなる。

まるで紙袋に穴が空いたような音だ。

発生源は────俺の左肩だった。

「え?」

黒い何かが突き刺さっている。

肩から赤い液体が流れていた。

口からも何か垂れた。

血だ。最早見慣れてしまったそれ。

しかし、今回は俺から流れている。

遅れて激痛が走る。

これを突き刺したのは誰か?そんなのは明白だ。

「な、んで……?!」

「足りぬのだ。あんなのじゃまだ満足なんて出来ぬわ」

この少女の皮を被った真の化け物────ロアだ。

この化け物が、俺を突き刺した。

「なぜ、なぜそんなに殺したい!?」

「そうだな………簡単に言えば趣味だ」

どうやらこいつは生粋の快楽殺人鬼らしい。

「欲望に呑まれたグゼンを始末しておきながら、お前は欲望のままに生きるんだな」

「否定はせぬ。なにせ、妾には叶えたい願望ないのでな」

ロアはそう言うと、肉塊となった青鬼の横に落ちている玉手箱をひょいっと、拾い上げた。

「ふん。麻紐が巻きつけられてるだけ。装飾も何もない。飾りつけでもしようかのう」

不満げに手の中で箱を回す。

「その箱、譲ってくれないか」

ダメ元で聞いてみる。

しかし、それがどこか琴線に触れたらしい。

「─────頭が高いぞ」

「─────っ!!」

威圧とともに、今度は左手に激痛が走る。

また何か刺されたらしい。

「其方、もしかして立ち場を理解していないのか?」

「───が─っ!」

ブーツで血が漏れている手を踏み潰された。

痛いなんてもんじゃない。

千切られるかと思うくらいの激痛だ。

「そうだな。少しだけ話をしてやろう。まず、其方はグゼンについてどのくらい知ってるおる?」

答えなきゃ殺すぞと言わんばかりの目だ。

「………まひなに教えてもらったのは、グゼンたちがこの街で玉手箱を求めて悪さをしていること。そして、まひながそれらから街を守ってくれていたことだ」

まひなが亡き今は、守る者は誰一人いないのだ。

「───ふ。はは、……ふはははは!」

突然ロアが声を上げて笑った。

「何がおかしい!?」

「いや、ものは言いようよのう。なんとも、これは………!やはり女狐であったか、あの馬鹿小娘は」

かがんで顔を寄せてくる。ほのかにいい香りがした。

「どういうことだ?」

「其方は騙されたのだ。いや、この場合はと言った方が正しいか?」

ロアはふむ、と口元に手を当てて考えている。

「伏せられていた?」

「では、逆に聞くが、まひなは自分の正体について話したか?」

「それは………」

確か、教えてはもらえなかった。

「やはりな。せっかくだ。今この街で何が起こっているのか、真実を話してやろう」

ニヤリとロアは口を歪ませた。

「この街では今ゲームが行われておる。それが玉手箱争奪戦──グゼンたちが街に巣食う元凶よ」

玉手箱争奪戦……。

今ロアの手元にあるそれを手に入れるために、争っているのか。

「ルールは単純。"欲望に呑まれず、玉手箱を手に入れること"」

「欲望に呑まれずってのは………」

「私語を許した覚えはないぞ?」

「─────ガッ!!」

ロアが踏んでいた足を回した。

無論その下の俺の左手には、あり得ないぐらいの痛みが与えられる。

「このゲームには役が三つある。グゼン、裁定者、マスターの三つだ。まずグゼンから説明してやろう。グゼンはマスターに召喚され、この戦で勝利を狙う挑戦者戦士

俺の手を解放すると同時に、ロアが俺から離れる。

そして教室の中を練り歩き始めた。

「召喚されるのは物語において、誰かを想って不幸になった愚者。例えば、『泣いた赤鬼』は知っておるか?」


────泣いた赤鬼。

あるところに赤い鬼と青い鬼が住んでいた。

ある時、赤い鬼は人間と仲良くしたいと言い出した。

しかし、鬼は人にとっては恐怖の対象。

どんなに愛想よく近づいても、心を許してくれる人などいない。

そこで青鬼は言った。

なら人間の味方役をやればいい、と。

詳しく聞いた赤鬼はいい案だ、と笑顔になった。

青鬼は賢かった。そして、優しすぎた。

それは優しさゆえの提案だった。

その時、その優しさの代償に、赤鬼は気づくことが出来なかなかった──────。

後日、青鬼は人間を襲った。

人々はこの化け物め、と非難し、恐怖した。

そこで赤鬼は颯爽と登場し、そのわるい鬼をやっつけた。

そう、青鬼の案はマッチポンプだった。

自分が悪役をやる事で、赤鬼は人間の味方をする。

そうする事で、赤鬼に深い感謝の念が生まれ、同時に恐怖心は消えてゆく。

しかし、それは赤鬼の為だけのマッチポンプだった。

青鬼には何の利益もない。それどころか、余計に嫌われてしまった。

赤鬼と青鬼はもう一緒にいることは出来ない。

なぜなら人間にとって、青鬼は悪であり、赤鬼は正義なのだから。

そしてその後、赤鬼と青鬼はついぞ再び出会うことはなかったとされる─────────。


この話はもちろん知っている。

小さい頃に聞いた話で、印象に残っている。

「あ、もう喋ってよいぞ。あの距離で話されると息が吹きかかって、ちと気持ち悪くてな」

………どこまでも自分勝手な女のようだ。

しかし、言葉に甘えて喋らして貰う。

「つまり、今殺したグゼンは『泣いた赤鬼』の青鬼だっていうことか?」

誰かを想って不幸になった愚者。

それは、青鬼にも当てはまるはずだ。

おそらく、青鬼の願いは、"赤鬼とまた一緒に暮らしたい"。

かつての友と、またともに暮らせる世界。そんなものを望んだんだと思う。

「その通り。その青鬼だ」

「でも、なんであんなに凶暴だったんだ?」

今日は理性があったが、今までは全く感じられなかった。

一体どういうことだ?

「あぁそれか。簡単だ。からに決まっている」

「と言うと?」

「ただ勝ち抜くだけじゃ生ぬるいであろう?それに、下手したら戦いたくないものまで出かねない。そこで、一つ、枷をつけた。欲望の肥大化という枷を、な。青鬼のグゼンは最初は我を忘れるほどの食欲、最後には願望を見失うほどの復讐の欲に泥酔した」

青鬼の誤算。それは完全に欲望に呑まれたこと。

最後の最後で俺への復讐を優先させ、食べても消化する胃なんてないのにまひなを喰おうとした。

「そのせいで、何人も犠牲になっているんだぞ」

「それは妾の責任ではない。このゲームの主催者───マスターにこそ問うべきであろう」

マスターについて尋ねる前に、ロアは話を続けた。

「マスターはこのゲームの主催者───らしいのだが、実際はどうなのかは妾も知らぬ」

「知らない?」

「妾たちは召喚された時、現世の知識と争奪戦の情報を最低限、頭に入れられただけだ。その中にマスターについてのくわしい情報はない。そして、今までの話が正しい根拠もないのだ」

「じゃあなんでさっき自信満々に真実を話すとか───」

「シャーラップ。黙れ。言葉の綾というものだ」

間髪入れず、質問を一刀に投げ捨てられた。

追求してやりたがったが、命が欲しいので黙っておく。

「…………」

「まじまじ見つめても、渡すわけなかろう」

視線を適当なところに泳がしていただけだったが、玉手箱を見つめていたと思われたらしい。

「……なぁ、それに願いを叶える力なんてあるのか?」

一番引っかかっていた疑問を尋ねる。

本物じゃないとまひなは生き返らせられないが、こういうのは大体紛い物というオチな気がする。

「本当にそんな都合のいい物などあるわけなかろう。ま、本当のところは知らぬ上、興味などないがな」

「興味ないのか……。なら、なぜ持っている?」

「何故か、だと?あぁ、言ってなかったな。妾は召喚された裁定者だ。わかりやすく言えばこのゲームの審判であり、玉手箱を守る門番みたいなものだ。まぁ、もとはスペアとして召喚されたのだがな」

「門番って……。それじゃあ、グゼンに狙われるじゃないか」

「妾は殺しが出来ればそれで良い。妾にこんな下賤な役回りをさせた傲慢さはちと目に余るが、むしろ手間が省けるわ。それに、馬鹿小娘───まひなもグゼンを殲滅するために似たようなことを考えていたであろうな」

「待て。その言い方だと───」

「そうだ。あの馬鹿小娘は、妾の前任の裁定者だ」

薄々話の流れからそうじゃないかと思っていたが、やはりそうだった。

「街を守るのは役目でもないのに関わらず、あの馬鹿小娘は偽善を掲げて、自らグゼンを殲滅しに赴いた。その愚直さだけは、ある意味評価に値する」

まひなが裁定者───門番の役目なら、街を守る義務は発生しない。

それこそ門番なのだから、自ら戦いに出向く必要などなかったのだ。

「あいつ………!!」

俺が思っていた以上に無茶をしていた。

そこまで、自分の身をさらに危険に晒してまで、まひなは正義の味方であろうとした。

何が正義の味方だ。

自分のことぐらい、もっと思いやれ。

「さて、話は以上だ。冥土の土産にはなったであろう?」

ロアが語り疲れて満足したとばかりに呟く。

そして、右手をこちらに向けて広げた。

「いや、全然話し足りない!もっと知りたいことが沢山ある!」

何かヤバいと感じ、口から出まかせを吐く。

「例えば?」

「例えば────お前のこと」

「妾?」

ロアがきょとん、とした顔をした。

「気になったんだが、その一人称と口調は何なんだ?」

「ああ、これか。深い意味はない。ただこれが一番しっくりくるだけだ」

そんなやつ初めて見たぞ。

「じゃあこれで終い────」

「待て!!」

「何だ?往生際が悪いぞ」

少し苛立たし気に眉を顰めた。

不機嫌なのが見て取れる。

「………もし、俺を殺して。そうしたらお前は、街を守るのか?」

「そんな面倒なコトするわけないであろう。馬鹿小娘あれが例外なだけだ。む、いっそ全部殺すのもアリだな」

いい事を思いついたとばかり、猟奇的なその眼を光らせた。

俺にはわかる。

言葉は戯言ではなく、本心から漏れた言葉だった。

このまま俺を殺したら、街に繰り出す気だ。

そして、大切な人も、知らない人も無差別に殺されることだろう。

こいつの倫理はおおよそ人が持っているモノじゃない。

もっと別の───高位で強者的な、或いは、何かが欠落しているような、逆にそれがある種の美形のような、人間とは姿形以外かけ離れた化け物。

そうか。俺たち人間からしたら、恐怖と憎悪をもって化け物をこう呼ぶんだ。


俺たちとは違う─────"悪"だと。


けれど、それは、なぜか少し─────可哀想な気もした。

「─────どういうことだ」

声が小さくて聞こえない。

「なんて───」

聞こうとした瞬間、胸ぐらを掴まれた。

「どういうことだと聞いている!?」

そのまま軽々と持ち上げられた。

ロアの顔は憤怒で歪んでいた。

今にも殺すぞという殺気が、肌をピリつかせた。

「なぜ、なぜ妾に"憐憫"の眼差しを向けた?!答えよ!!」

口調が荒い。

今までにないぐらい、ロアは取り乱していた。

「其方たちがしていいのは恐怖と憎悪、そして畏怖だけだ!憐れみなんて、万死に値する!!」

なぜ、こいつがここまで怒っているのか。

また、俺がなんで憐れんだのかもわからない。

だが、俺はこれを好機と感じた。

グゼンと違い、こいつとは会話ができる。交渉ができる。

俺が死んだら大切な人が悲しむ。

そして、まひなは永遠に帰って来ない。

この街の危機を知るものはいなくなる。

それは非常にまずいことだ。

だから、こいつの信念や気持ちを傷つけてでも、俺は生き残らないといけない。

「どうしてだろうな。ふと、そう思ったんだ。可哀想に、ってな」

ロアの手に力が加わったのを感じる。

俺の煽りが効いている。

「……それを止めろ。妾は今、非常に機嫌が悪い」

強く睨まれる。憎悪が増す。

だが、俺は動じない。

「機嫌が悪い?じゃあ俺を殺すか?そうしたら永遠にその答えがわからなくなっちまうがな」

「────っ──!」

ロアがしまったという顔をした。そうだ。殺したらわからず仕舞いだぞ。

「………生意気な。ならば、拷問をもって吐かせるまでだ」

「お前に拷問なんてマネ出来るのか?楽しくなって殺しちまうのが関の山だろ」

「……………」

否定はしなかった。

つまり、その通りだということだ。

「これは取引だ。俺は哀れんだ理由を吐く。その代わりお前は俺を見逃す。そして、街の人には手を出さない。お互いに、対等な交渉だ」

「…………いいだろう。妾は交わした約束は必ず守る」

ロアが苦肉の策だとばかりに、歯を軋ませて俺を解放した。

「だが、こちらにも条件がある。それを飲まないなんてことはあるまい?」

「……あぁ、もちろん」

この場合、その条件を聞いておくのがセオリーだろう。

しかし、聞きそびれてしまった。

血が流れ過ぎて、正常な判断力が鈍っていたのかもしれない。

とにかく、この時この軽率な言動が何を招くか、俺はまだ知らなかった。

「うむ。では────いただくぞ」

「────え」

突然ロアが近づいてきたと思ったら、視界からロアの顔が消えた。

同時に首に痛みが走る。

死角で見えないが、おそらく喉元に鋭い歯を突きたてられている。

「何して─────」

その後の言葉は続かない。

生暖かい、湿った舌で首筋をなぞられた。

初めての感触で身体にびくんと、電気が走る。

「はっ───ん───、そ───大人しくせ、よ」

俺の中の力と何かが熱く吸引される。

痛みとえも言わぬ感触に襲われる。

無意識に、心臓の鼓動と呼吸が速まった。

これはもしかして─────血を吸われているのか?

「────っふぅ。終わりだ」

ロアはペロリと舌で唇を拭った。

その姿が、妙に艶かしく見えた。

「はぁ──、はぁ─────何をした?」

「条件があると言ったであろう?妾は其方を対等だなんてこれっぽっちも思っておらぬわ。今したのは、儀式。主従関係を結ぶ、血の契りだ」

「俺が主のほうか?」

「………図太いな。それが素なら本物の馬鹿者だな」

ロアが呆れた顔をする。

「馬鹿にもわかるよう説明してやろう。主は妾。従者は其方だ。其方はもう人間じゃない。妾と同じ───吸血鬼と呼ばれる生き物である」

「ちょっと待て」

いろいろ展開が早すぎる。

「何?よいと言ったではないか?」

こちらが納得いってないのが、ロアには不満そうだ。

「じゃあ俺はもう、人間じゃなくて吸血鬼……なのか?」

「その通りだ。生かす条件、それは妾の眷属になること。つまり吸血鬼になって下僕になるなら、命だけは取らない約束だ」

「まて。俺は聞いてないぞ」

「聞かなかった其方が悪い。ほら、ご主人様の命令は絶対だぞ。さっさとさっきの理由を吐け」

「さっきのって……。あぁ、理由か。………言った瞬間殺したりしないだろうな」

「約束は違わないと言ったであろう。二度も言わせるな。首を刎ねるぞ」

それじゃ約束破ってる………。

それにしても理由か。

俺もただ漠然とそう感じただけで、理由なんて持ち合わせていない。

ここは適当にそれっぽいコトを話すか。

「ほら、強者ってのは孤高だろ?だから、その、ストレートに言ってしまえばなのかなって」

「────なんだ。その程度か。勘違いもはなはだしい。妾は好きで一人でいる。お前の感情は傲慢な思い違いだ馬鹿者」

肩透かしを食らったとばかりにロアがため息をついた。

「次は俺から聞いていいか?吸血鬼になるって、具体的にはどういうことだ?」

「そのままだ。人間から吸血鬼にレベルアップしたのだ。憂いなどあるまい?」

「大アリだわ。どうしてくれるんだ。俺は陽の光を浴びれないのか?」

物語や伝承における吸血鬼は何も無敵じゃない。

陽の光を浴びたら灰になる。聖水、十字架、ニンニクに弱い。吸血衝動に襲われるデバフも盛り沢山な生き物だ。

そんなモノに変えられてしまった人の気持ちにもなってみて欲しい。

「主が主ならそうだが、其方は非常に幸運だぞ。なんせ真祖しんその妾から血を吸われたのだ。無敵の妾に吸われた人間もまた無敵に。伝承の弱点は一切ないのだ!」

ロアは誇らしげに鼻を高くしている。

真祖云々はよくわからないが、今の俺はデバフがない吸血鬼らしい。

「吸血鬼は万能だぞ。身体の傷も治ってるであろう?」

「む。本当だ」

いつの間にか痛みも引いて、傷もなかったかのように塞がっている。

「吸血鬼は、人間どもとはかけ離れた怪力と超回復能力を持っている。他にも飛翔能力に念動力。それに、吸血したものを眷属に出来る力もある。しかも、妾のおかげで弱点もない。どうだ?もはや人間だった頃には満足できないであろう?」

「どうやったら人間に戻れるんだ?」

「…………其方話聞いておったか?万能だぞ!?人間のように不便ではないのだぞ!?」

ロアがまるで違うイキモノを見ているような顔をした。

「あのなぁ。不便だからいいんだよ。足りないと感じられるから、悩める。届かないと思うから、努力出来る。お前は万能過ぎて、そういうの一切ないだろ」

「ない。そして要らん。そんな無駄なコト、必要ないであろう。妾には理解が出来ぬ」

そう言うとロアは天井を仰いだ。

それは、何だか儚く、寂しく俺の目に映った。

「人間になったらきっとわかるよ」

俺は人間のままでいたい。

不便はやりがいと言い換えられる。

やりがいは生きがいに、そして"生きる意味"へと繋がる。

吸血鬼では、まひなとともに生きたいという"生きる意味"が手に入らなくなる。

それは、俺にとって一番虚しいコトだ。

「────とは言え、だ」

顔を上げる。

「グゼンに立ち向かうには、この力が必要だ。だから────このまま、一時的にだが、吸血鬼でいてやる」

「───なんだその上からは。妾がしてやったのだぞ」

少し納得がいかなそうに眉を顰めたロアだったが、俺にはどこか嬉しそうに見えた。

………孤高か。

ロアは万能だ。だからそれ故ぼっちで、生きる意味もないのだろう。

そういう点では、こいつは昔の俺に似ているのかもしれない。

俺を吸血鬼にしたのだって最初はロアの悪趣味だと思っていたが、今考えると同族が欲しかっただけなのかもしれない。

だから、ロアが"悪"だったとしても、一人くらい同じ種族の者がいてやってもいいじゃないか。

「其方、また妾を哀れんだか?」

「いや、別に」

「なんだその生温かい目は。やめろ。気味が悪い」

心底嫌そうな目をされた。そこまでしなくとも。

「ちなみにさっきの質問を繰り返すけど、人間に戻れるのか?」

そこが崩れてしまったら、話の土台も崩れる。

「安心するがよい。その点に関しては、妾が真祖だったことを感謝するのだな。妾の指先一つで簡単に人間に戻れるぞ。ちなみに吸ったのが一介の吸血鬼だったら元に戻れぬからな」

わお。真祖というのはとことん万能なようだ。

「じゃ、その時が来たら解除してくれ」

「………其方、身の安全を確保した途端急に雄弁になるな。最低過ぎて驚くぞ」

「そんな褒めなくても」

「褒めておらぬわ!!もういい。こっちの調子の方が崩れる一方だ。今宵はもう退く!」

プンスカとしながらロアが教室を出て行こうとする。

「あ、最後に一つ頼まれてくれ!まひなの死体をなんとかかくまえないか?」


「───それは、何のためにだ?」


「─────」

迂闊だった。

さっきまで、普通に対話出来たせいで、危機感が薄れていたのかもしれない。

息が荒くなるほど教室の空気が重くなる。

言葉を誤ったら、その眼光一つで射殺されそうだ。

忘れていた。

コイツは孤高であり、いつ踏んでしまうかわからない地雷だ。

その強さは種族的な話ではなく、もっと深い、存在的な話だったのだ。

同じ種族になった程度で同等など、おこがましかったのだ。

『答えよ。これは命令である』

「………まひなを生き返らせるためだ」

!!?

何かしらの強制力に襲われて口が勝手に動く。

これがロアの言っていた主従の絶対命令権か!

「生き返らせる?」

「まひなを玉手箱を使って生き返らせる。その為には、おそらく肉体の保管が必須だ」

「ほう。だから玉手箱の真価を知りたがっていたのか」

「あぁ、だから──────」


「阿保。それは貴様の独りよがりだ」


ぴしゃりと打ち水をかけられたような感覚に囚われる。

「いや、違う!これはまひなのため──────」

「まひなのため?そんな薄っぺらい嘘を吐くで無い。それはただだけであろう?」

「……………」

何も言い返せない。

反論が浮かばない。

俺が無意識に考えないようにしていたことを、的確に突かれた。

「ふん、まぁよい」

ロアが睨むのをやめたことで、さっきまでの場を殺すような空気が緩くなった。

馬鹿小娘まひなの死体は預かろう。何なら腐敗の進行程度なら止めておいてやろう」

まひなの体が浮かび上がる。

「………俺の願いが間違っていると言いながら、手を貸すのか?」

「別に間違ってるとまでは言ってはおらぬ。妾はどのような欲望であろうと否定はせぬ。それに───────」

そう言ってロアがまひなの体を寄せた。

「妾が欲しているのは悲劇だ。馬鹿小娘はそのための舞台装置に過ぎん。其方がどのように願望に向かって苦しんでゆくのか。それが、今の妾の"生きる意味"というやつかもしれんな」

ロアが口元を邪悪に歪ませる。

───あぁ、なるほど。改めて理解した。

コイツの視点は神様で、子供なのだ。

何が正しいか、間違っているかなんてどうでもいい。

"悪"だなんだと罵られても、さして興味はない。

コイツにとってただ、それだけでいいのだ。

そして、その玩具ターゲットがコイツの中では街の人々から俺にシフトしたようだ。

「…………一つ聞かせてくれ。お前は────どの物語から生まれたんだ?」

「それは妾にも分からぬ。そもそも妾にはがないのだ」

「過去の記憶がない?それはどういう────」

「話はこれで終わりだ。主であるグゼンが倒されて、怪域の崩壊が始まった。早く出ねば、そのまま空間とともに消え去るぞ」

そう言うや否や、ロアとまひなは黒い影に包まれ、やがて消えた。

教室を見回すと、色が薄れている。

怪域が消える合図だろう。

俺も慌てて出口へ向けて走る。

脚が異様に軽く感じる。

吸血鬼になったせいだろうか。

「……………」


『貴様の独りよがり』


この言葉が、最後まで俺の頭から消えなかった。





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