デュラハン無双

スズヤ ケイ

プロローグ

第1話 プロローグ

 潮騒が響く波打ち際。


 延々と続く、無限に寄せては返す波の跡。


 波と言えども、ただの海水ではない。


 魔界と人間界とを隔てる特異な大海、「混沌の淵ケイオスタイド」に満ちる、エーテルという液体である。


 エーテル海は何者も浮かばず、実質的に航海ができない。

 即ち現在、魔界と人間界は隔絶されているも同然だった。


 しかし、沈んだものが流れ着くことは往々にしてある。


 しかも混沌の淵は、人間界以外の世界にも繋がっていると噂され、時折説明の付かない希少なものが流れ着く事もあった。


 それらを狙うゴブリンやオークなど、亜人のハンター達が巡回したり、魔獣の類が餌とするため縄張りにしていたりと、何かと危険な地域でもある。



 そんな物騒な場所を、その日一人の人物が訪れた。



 目的は、言うまでもなく打ち上げられた珍品の類だろう。


 身体全体を覆う黒いローブに、深くフードをかぶっているため種族は不明だが、やけに小柄で、緩い丸みを帯びた体型から、少女なのでは、と想像できるのみである。


 少女が一人で散歩を楽しむには少々危険な場所であるが、少女の後を3頭の狼がついて歩いている。頼れる護衛なのだろう。少女の歩みに恐れや緊張は見られなかった。


 むしろ日頃から通っているようで、淀みなく道順を辿っては、収穫なしか、とうなだれている。


「あーあ。やっぱりそう簡単に鮮度のいい死体なんて転がってないわよねー」


 呼び寄せた狼の頭を撫でながら、不穏な言葉を吐く少女。


「まったくあのババアめ。せっかくあたしがアンデッド部隊で軍備を拡張してあげようと思ったのに、禁忌だなんだと聞く耳持たずに処刑しようとしやがって! もう頭来た、絶対復讐してやる!」


 少女は足元にあった流木を拾い上げると、八つ当たりついでに取ってこいとばかりに、水平線へと放り投げる。


「いきなり研究所を抑えられちゃったから、死狼デスウルフ3体と灰の亡霊アッシュガストくらいしか持ち出せなかったのよね……今日も空振りだったら、大人しくゴブリンどもでも狩って、地道に増やしていくかー」


 明らかに落ち込んだ、誰に聞かせる訳でもない独白。そこにも不吉な単語が紛れ込んでいた。


 デスウルフは狼の死体を元にゾンビに加工したもの。

 アッシュガストは、遺灰を自在に動かせるよう魔力を込めた灰の魔物だ。


 どちらも死霊術ネクロマンシーによって生み出される、禁断の存在である。


 そもそも死霊術とは、死者に対する冒涜だとして、万国共通で禁忌指定されており、魔族ですら厭う者は多い。


 どうやら少女はその禁を破り、国を追放されてきた身の上らしい。


「アオオオン!!」


 不意に、流木を取りに行ったデスウルフが遠吠えを上げた。主人を呼んでいるようだ。


「ん。アインちゃん、何かいいもの見つけたかな?」


 愛犬(?)の名を口にしながら、残っていた二頭の片方へ飛び乗り、呼ばれた地へ向かう少女。


 岩礁地帯で見通しが悪いが、同族同士の連携は完璧で、匂いと遠吠えによって位置を特定してみせた。


 そしてその場にあったものを見た瞬間、少女は息をするのも忘れて魅入っていた。


 そこには、百戦錬磨の戦士もかくやといった、立派な黒銀の鎧をまとった、大柄な首なし死体が波に洗われて横たわっていたのだ。


「なんてこと……信じられない……」


 恐る恐る近寄り、鎧を木の枝でつつき、首の中身を確認したりと散々分析した結果、とても状態の良い新鮮な死体であると確信する少女。


「でかしたあああああ!! アインちゃん超お手柄!」

「くうううん!」


 大きく振りかぶってお互いハイタッチして見せると、少女は我慢しきれないといった様子で、ローブの裾からペンとインクを取り出した。

 そして鎧の表面へ見慣れぬ文字を書き込み始める。


 本来なら円陣を描いた中央へ据えて、いくつかの工程の術式を施すのだが、生憎波打ち際ではそれが叶わない。


 仕方なしに、まず自力で歩けるようにして、安全な場所で改めて施術しようという腹積もりであった。


「えっへっへっへ……! ついにあたし様もデュラハン持ちかあ……! 死の女王デスクイーンさえ名乗れるじゃないの!」


 死者に対する畏敬もなにもなく、ただひたすらに己の欲望に忠実な少女の姿がそこにあった。


 これでは国を追われても仕方あるまい。


「──よーし、ひとまずこのくらいでいいか。ほい、歩く死体ウォーキングデッド


 複雑な紋様を胸元に描いた後、少女は呪文と共にぱちんと指を鳴らした。


 するとどうか。


 これまで微動だにしなかった死体が小刻みに震え、徐々に体を動かし始めたではないか。


「さっすが天才あたし様! このくらいちょちょいのちょいってね。さ、あっちに行くわよー」


 歩く死体ウォーキングデッドは死霊術の中でも最も単純な部類に入る術だ。


 手軽な反面、今回のように簡易的なものでは、術者がいちいち行き先を指定しなければならないのが難点だった。


 首なし死体は健気にもその指示に従うべく、仰向けの状態から四つん這いの姿勢まで、たっぷりと時間をかけて整えていく。


 それこそぎしぎしと音が聞こえて来るような、緩慢な動きで。


 少女の方も術の効果を理解しているため、別段急かす様子もない。


 が、しかし。


「──ん? 何このノイズ……」


 少女は死体との術式の繋がりに、不意に何かが割り込むのを感じ取った。


「何か嫌な予感……ね、ちょっと急いでくれる?」


 己の直感を信じて、死体への指示を修正する少女。


 それを受けて、上下を入れ替え終えた死体は、少女の予想外の行動に出た。


 これまでの鈍重な動きが嘘のように跳ね起き、獣のごとく四肢を駆使して少女に迫り来る。


「ちょ、ちょっと! そんなに焦らなくても……!」


 言ってから、なんと的外れな事を、と少女の危機意識が警鐘を鳴らす。

 その頃には、死体との術式は完全に途切れていたのだ。


「グルルルウ!!」


 少女の脇に控えていた二頭のデスウルフが、危険を察知して飛び出した。


「ツヴァイ、ドライ! ダメ! 逃げて!!」


 少女の直感は当たり、死体はデスウルフを同時に鷲掴みにすると、岩床へ叩き付けた。



 ゴグシャ!



 二つの頭蓋が砕ける音を置き去りにし、すでに死体は少女の目の前へ現れていた。


「く、この……!」


 なけなしのナイフを取り出した時点であっさりと首根っこを掴まれ、ぶらりと宙吊りにされる。


 かつん……


 分厚い鎧の胸元を突いた少女の抵抗は、あまりにも儚い音となって消えた。

 その瞬間、


『その意気や、よし』


 少女の頭に、直接音声が流れ込んできた。


 上級アンデッドがしばしば備える、精神感応テレパシーだろう。

 中音域にあり、男とも女とも取れる、不可思議な声なき声。


『その反撃に免じて、一度だけ問う。貴様は我が敵か否か。心して答えよ』


 みしり、と掴まれた細い首が鳴る。


「……いいえ! 私に害意はないわ! だから殺さないで!」


 苦悶を押さえ、少女は一心に叫んだ。

 まだ成すべきことがあるのだ。こんな所で死ぬわけにはいかない。命乞いで済むなら安いものだ。


 数秒。


 少女の叫びを吟味したものか、どさりと地面に降ろされる。



 助かったのだ。



 命がある事を心底喜んだのは、それが初めてだった。


「く、う……げほっげほ……もう、野良デュラハン化してたなんて、ね……ついてないわ……」


 苦し紛れに呟く少女。


 それを聞き咎めたのか、


『待て。今なんと言った』


 先程までの殺気溢れる恐ろし気な声と違い、さも不思議そうな声音で尋ねる死体。


「え? あなた、デュラハンなんでしょう?」

『あり得ん。吾輩はまだ生きている』


 それこそあり得ない台詞を、首の無い動く鎧は堂々と言い放った。

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