第9話 図書館慕情 ⑧

 エーレンツの帰宅に合わせてまず顔を出したのが、エーレンツの妻のドーリネだった。エーレンツとは対照的な線が細く落ち着いた雰囲気の女性で。


「おかえりなさい、あなた。そして、お久しぶりです、シェリア様。またこうして会えることを本当に嬉しく思います」

「そんなにかしこまらなくてもいいのよ。今日もあなたの手料理をご馳走になりに来ただけなのだから、もっと普段通りでいいのよ」

「そうでございますか? ですが、私たち夫婦はシェリア様には特に感謝していますので、つい」

「そんなに感謝されるようなことはしてないわ。前回もあなたの作った料理を食べて、それがおいしかったからお礼をしたくらいだったはずよ?」


 当時のことを思い出しながら口にする。たしか、食後に話をしたときにちょっとした相談をされたくらいで。


「ええ。そのときにシェリア様に頂いたお礼のおかげで、私たちはより大きな幸福を手に入れることができたのですから」


 ドーリネは柔らかな笑みを浮かべ、「カーヤ」と奥の部屋に向かって呼びかける。呼ばれて一人の少女が顔を出し、ドーリネの隣までやってきた。まだ幼いがドーリネの美しさを引き継いだであろう目鼻立ちにエーレンツ譲りの綺麗な黒髪。


「シェリア様、こちらは私どもの娘でカーヤといいます。カーヤ、シェリア様にご挨拶をして?」

「カーヤ・アントガル……です。えっと……魔女様にお会いできて、とても嬉しいです」


 カーヤはたどたどしくも精一杯挨拶をしてくれる。緊張している様もかわいく、思わずくすりと笑ってしまう。


「私も会えて嬉しいわ。カーヤ」


 そう返事をしながら、カーヤの黒髪をでる。丁寧に愛情を持って毎日手入れされているのが伝わるほどに指通りがいい。そんな髪に似合いそうだと思い、魔法で私の住んでいる森の深くに咲く白い花を取り寄せ、そっと髪にした。

 カーヤは突然のことで驚いた表情をするが、横目にちらりと見えるかわいらしい花とほのかに香る甘い匂いに目を大きく輝かせ、「ねえ、ママ? これもらってもいいのかな?」と嬉しそうに口にする。ドーリネは確認のために視線をこちらに向けるので頷いてみせる。


「よかったわね、カーヤ。大切にしないとね」

「うん。ありがとう、魔女様。あっ、そうだ! もっとちゃんと見たいから花瓶に移してもいいかな?」


 カーヤから期待のこもった視線を向けられ、「ええ、もちろんよ。せっかくだし、今日はその花を食卓に飾っちゃいましょう」と答えると、カーヤは嬉しそうに奥の部屋に駆けていった。

 その姿を見送り、エーレンツとドーリネは同時に「すいません、騒がしくて」と申し訳なさそうにしているが、「子供なんだから、あれくらいでないと」と答えると二人とも笑っていた。


「遅くにできた一人娘なので、甘やかして育ててしまって」


 エーレンツは言い訳のような言葉を口にするが、この夫婦がそう言ってしまう気持ちは理解できる。

 エーレンツ夫妻はかつては子供ができずに悩んでいた。そんな諦めにも似た言葉を聞いたときに、魔導文明時代のことを思い出していた。

 魔法師は普通の人間より寿命が長い。しかし、子供ができにくいという性質があった。

 今より医学が進歩していて、かつ魔法という奇跡のような力があっても、命を授かるということに関しては劇的な解決策は見つからなかった。結局はストレスの軽減と、薬による補助が最適と考えられていた。

 私はエーレンツ夫妻にご飯のお礼として、気休め程度だと前置きして二つのものを渡した。一つはリラックス効果の高いアロマ。もう一つは単純に妊娠しやすくなる飲み薬。

 エーレンツ夫妻はきっと子供ができたことを魔法など特殊な力のおかげだと思い込んでいるのであろうが、どちらも魔法的な因子は一切含まれていない自然由来のものだ。

 だけれども、二人が一人娘に親として愛情を注ぎながら幸せな生活を送っているのであれば、わざわざ私から事実を言う必要はないように思えた。


 それからエーレンツ夫妻に案内され、料理が並べられたテーブルのあるリビングへ。テーブルの中央にはカーヤが置いたであろう花瓶に先ほどの花が飾られている。


「魔女様は飲み物はいかがいたしますか?」


 ふいに声を掛けられ、声の方に顔を向け、そこにいた人物に少々面食らってしまった。それは図書館で助けて少し話したあの赤毛で癖毛の少年で。

 そこにエーレンツが少年の肩に手を乗せ、話に入ってきた。


「まずは挨拶をしなさい。シェリア様もお困りになっているだろう?」

「そうですね……すいません。図書館では大変お世話になりました。僕はヨルン・アントガルといいます」

「アントガル?」


 アントガルというエーレンツと同じ姓を名乗る少年の顔つきは夫妻のどちらにも全く似ていない。そもそもカーヤのことを一人娘と紹介したのだから、実の子ではないとすぐに察する。

 そんな風に私が考えていることにエーレンツが気付いたようで、説明をしてくれた。


「ヨルンは私の弟夫妻の忘れ形見なのです。五年ほど前でしょうか……流行り病にかかってしまい両親を共に亡くしましてね。それで私がヨルンの身元を引き受けたのです」

「そうだったの。それでサイズの合っていない服を着ているのにも何か理由はあるのかしら?」

「それは全て亡くなった弟の服なのです。親の存在をまだ感じていたい年頃なのでしょう。いかに不格好でも私にはやめろと言えませんよ」


 ヨルンはエーレンツの隣で表情を変えぬまま、真っ直ぐに私を見つめてくる。その瞳は過去をうれうわけでも、生きることに絶望しているわけでもなく、前を向く力強さを感じた。


「ねえ、エーレンツ。もちろんヨルンも一緒に食卓を囲むのよね?」

「はい、もちろんでございます」


 エーレンツは柔らかな笑みを浮かべ、頷いて見せる。それだけでヨルンが家族として扱われていることが分かる。そもそもエーレンツはそんなことで区別や差別をするような器の小さな人間ではない。


「じゃあ、飲み物は私が特別なものを用意しましょうかね」


 そう口にして、何もない空間に手を伸ばす。そこから二本のびんを取り出し、ヨルンにこれでお願いできるかしら、と手渡した。


「ワインはダメだけど、一つはただのジュースだから、カーヤと二人で飲むといいわ」

「お気遣いありがとうございます、シェリア様」


 エーレンツが感謝を口にする横で、ヨルンは目の前で魔法が見れたことに対してか、それとも自分も飲んでいいと渡された飲み物に対してか、嬉しそうな表情で目を輝かせていた。

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