さまよい

五速 梁

第1話 誓い


 特殊ガラスのディスプレイに映し出されたモン・サン=ミシェルの映像を眺めながら、わたしは今日何度目かの重い溜息を漏らした。


 ――彼は、いったいどこへ消えてしまったのだろう。


 わたしに至らぬ部分が無かったとは思わない。しかし、たしかにわたしたちは同じ未来を夢見て互いへの愛と思いやりをはぐくんでいたはずだ。それがなぜ突然、このようなことになったのだろう。


 わたしはとめどなく溢れだす涙を拭うこともできず、彼の失踪がなければハネムーンの行き先候補に選んでいたはずの美しい修道院を見つめていた。


                ※


 わたしと彼が出会ったのは半年前、わたしが父を仕事場まで送っていった帰り道の路上でだった。


 柄の悪い思しき男に絡まれた女性を助けようとして、逆に蹴られていた彼に出くわしたのがきっかけだ。


 わたしが大声を上げて人を呼ぶとたちまち周囲に人だかりができ、男は自分に非難の目が向けられていることに気づくとそそくさとその場から立ち去ったのだった。


 わたしはそのまま彼を病院まで送って行き、診察の結果を見届けてから帰宅した。


 幸い彼は軽傷で、「あなたが通りがからなければ、一週間はベッドの上で唸っていたでしょう」と感謝の言葉まで貰うことができた。


 それからメールやSNSを通じてやり取りが始まり、お礼を兼ねた彼からの誘いがきっかけでわたしたちの交際が緩やかにスタートした。


 彼は車が好きで、わたしたちのデートはもっぱら近場のドライブがメインだった。


 わたしは運転席に収まっている彼の横顔を眺めるのが好きで、どこに行くかよりもこの時間がずっと続けばいいといつもそればかり考えていた。


 父にドライブデートに同乗してもらい、彼が車の中で交際の報告をしたのも今となっては良い思い出だ。父の反応が良かったことではずみがついたのか、報告から一週間と経たないうちにわたしは彼からのプロポーズを受けた。


 だが、結婚に向けて着々と話が進んでいたにもかかわらず、彼は突然、わたしの前から姿を消してしまった。


 よりによってドライブデートの最中に見た、得体の知れない女に誘いだされるように。


                 ※


 あの日の事は二週間近く経った今でも、はっきりと覚えている。


 いつものように待ちあわせたわたしたちは、少しだけ遠くまで足を伸ばそうと早くから車を走らせていた。


 わたしたちはいずれ行くであろうハネムーンについて、あれこれ他愛もない意見をかわし合っていた。


 わたしの希望はモン・サン=ミッシェルだったが、その頃体調を崩していたわたしは「ひょっとしたら修道院の中まで行けないかもしれない」と弱音を吐いた。


「だったらお土産を買って、近くで建物を眺めているだけでもいいんじゃないかな。有名な観光地を訪ねて回ることより、君と一緒に行くことが重要なんだからね」


 結婚式も極力、簡素な物にすることでわたしたちの意見は一致していた。彼はお金に余裕がなかったし、わたしは健康面で不安があった。希望に合った教会を探すのは大変だったけれど、披露宴は彼の知り合いのレストランでささやかに行うことがすんなりと決まった。


 ようやくいろいろな段取りの目処がつき、あとは着々と準備を進めるだけだったはずなのに、どうしてこんなことになってしまったのだろう。


 あのレストハウスの駐車場で、彼が自分を見つめている女に気づきさえしなかったら。

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