野村陸人

緊張

「お風呂先使っていいよ」


 彼女が取っていたホテルを急遽二人にしてもらい、僕と彼女は同じ部屋に泊まることになった。僕らが西城に騙され、彼女に罪悪感という十字架を背負わされたと知って、僕は心の底から自分の行動を後悔した。


 今まで彼女と接するときに感じていた予防線を、今日はすべて取り払おうと思う。僕はこれからも彼女のそばに居たいし、彼女をこれまで以上に愛しているから。


「ありがとう」


 荷物を持たずに会社から飛び出してきてしまったせいで、着替えがない。下着はコンビニで買い、事なきを得たが明日も砂まみれの服を着なければいけない。


 フフッと彼女の笑い声が聞こえてくる。


「どうしたの?」


 僕は彼女の方へ振り返って尋ねる。


「どんな動きしても砂が落ちてくるの」


 確かに、もうすでに床が砂まみれで、足を上げると砂が落ちていく。


「ほんとだね」


 僕は笑って自分の服を脱いだ。


「僕は明日もこの服着なきゃいけないのに」


 彼女は未だに笑っていた。


 シャワーを浴びて、ホテルで用意しているバスローブを着た。


「陸人のバスローブ姿、なんか新鮮だね」


 僕の姿を見て彼女はそう言った。


「たしかに、二人でホテル行ったことなかったもんね」


 うん。と返事をすると彼女は着替えを持って風呂場に向かう。なぜか彼女の入るシャワーの水の音に緊張が走る。僕は童貞じゃないのに。ドキドキして、体が若干震えていた。


 気を紛らわすために、僕は自分の髪の毛にドライヤーをかけた。適当に髪の毛を乾かしていると、彼女が風呂から上がる音がする。ピタ、ピタと裸足の足音がこちらに近づいてきて、僕の心拍数がだんだん上がっていく。


 彼女に背を向け、僕は何食わぬ顔でドライヤーをかけ続ける。


「ねぇ」


 彼女の声に僕はドキッとして、肩を上げた。


「な、なに?」


 僕の背中に彼女は顔をくっつけた。


「緊張してる?」


 彼女の顔が見えないから、僕はなんて答えるか迷った。正直になると決めた僕は、うん、と答えた。


「私も」


 僕から顔を離した彼女。僕はドライヤーを止めて彼女の方へ振り返る。バスローブ姿の彼女は頬を赤らめて、うつむいていた。僕は彼女の手を引いて、彼女の顔に触れた。


「顔、見して」


 僕がそう言うと、彼女はゆっくりと顔を上げて僕を見上げた。潤んだ瞳が、僕の欲を刺激する。僕は、ダメだと首を横に振った。


「可愛いけど、ちょっと待って」


 彼女を抱きしめて僕はそう言った。濡れた彼女の髪の毛から、やけにいい匂いがして、それがまた僕を情欲的にさせる。


「どうして?」


 彼女は僕の胸元をぎゅっと両手でつかみ、唇を噛んで僕を見つめている。こんなにあざとい彼女を僕は知らない。


「君に聞きたいことがあるんだ」


「なぁに?」


 僕は彼女をベッドに座らせて、彼女の手を握る。


「今まで聞いちゃいけないことだと思って、ずっと聞かずにいたことがたくさんあるんだ。でも今日、それを思い出せるだけ全部聞いてもいいかな? もし答えたくなかったら無理にとは言わないけど、君のことを教えて欲しい。僕はもう、越えられない壁を持ち続けて君といるのは嫌なんだ」


 僕は真剣な眼差しで彼女を見た。彼女はゆっくりと頷いて、僕にぎゅっと抱き着いた。


「嫌いにならないでね」


「なるわけないよ」


 嫌いになれるのなら、とっくに嫌いになっている。僕は君を嫌えないんだ。


「上手く言葉にできないかもしれないけど、答えるよ」


「ありがとう」


 彼女の額に僕は軽く口づけをする。


「まずは、君のご家族のことを教えて欲しい。多分あまり仲が良くないんだよね? 何かあったのかい?」


 僕は彼女を傷つけないよう、ゆっくりと言葉を選びながら彼女に聞いた。


「私のお母さん、いわゆる毒親なんだよね。暴言とか暴力とかが当たり前で、私はお母さんが嫌いなの」


 だからさっき西村さんに、あなたがお母さんならよかったのに、と言ったのか。僕はようやく納得した。


「なるほどね。だから青森から遠い福岡に就職したんだね」


 彼女は一度頷いた。


「だから私は、自分が親になることとか家族を持つことにすごく嫌悪感があるの。それで恋愛が上手くいかないこともあった」


「そうだったんだ、知らなかった」


 僕は彼女と結婚したいと思っていたけれど。彼女はそれが嫌だったなんて知らなかった。


「でも陸人は結婚したいし、子供も持ちたいよね。だからいつかはちゃんと話して別れなきゃって思っていたんだけど、陸人が好きだからなかなか話せなかったの」


 僕は彼女の頭を何度も撫でる。


「僕は君がそばにいてくれるなら、どんな形でも構わないよ。このまま仲のいい恋人同士でいてもいい」


 その言葉を受けても、彼女はあまり嬉しそうな表情を浮かべない。

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