第342話 全にして個
黒い立方体がライブラの手のひらの上でゆったりと浮いていた。
それは次第に回転を始めながら、バチバチと小さな黒い稲妻を放ち出した。強い力を感じる。ライブラの手がその力によって、傷つけられているほどだった。
やつの手から流れ落ちる血の色は意外にも真っ赤だ。
「赤の色だったのか……」
「もしかして、青や黒とか思っていたのかい。君と同じ色だよ。まあ、聖獣となれば話は違ってくるかもね」
「人と聖獣……どっちが本当のお前なんだ?」
「さあね。でも、聖獣化には聖刻の力が必要だ」
俺は自分の胸に手を当てながら言う。
「神のご意志ってやつか」
「君の父親であるディーンですら抗えなかったほどの強制力さ。結果、君と望まない戦いまですることになってしまった。僕らは強い力を得る代わりに、神の奴隷として強いられていた」
「今はお前が崇拝する神が暴食スキルに喰われているからな」
「おかげで、こうやって君にも協力できている。さあ、始めるよ。準備はいいかい?」
俺はグレートウォールの前まで近づいた。汚れ一つ無い真っ白の壁が視界一杯に迫る。
「グレートウォールに接触を試みてくれ。僕はそれをアシストする」
「……わかった」
俺は意識を真っ白な壁に集中して、そっと触れた。指先に電気が流れ込んでくる感覚。それは手のひらへ伝わり、さらに肩へと上がってくる。ぞわぞわっとした不思議な感じだった。得たいの知れないものが体の中へ無理矢理入ってくるような……耐えがたい感触が襲ってきた。
前回ならこの感覚はここで終わりだった。でも、今は違う。
俺とグレートウォールの間にライブラが操るミーティアが浮いていた。黒く小さな稲妻が俺とグレートウォールを繋ぎ、掛け渡しするかのように発せられていた。
繋ぐと言っても、ミーティアから発せられた黒い稲妻が俺の腕や肩に突き刺さり、そしてグレートウォールにも同じように刺さっていた。
グレートウォールから弾かれないように、楔として打ち込まれた黒い稲妻。それによって俺の腕から血が流れて地面へとポタポタと落ちている。
さらにグレートウォールからも白い液体が流れていた。まるで血を流しているようだった。
グレートウォールから流れ込んでくる電流のようなものが全身へ伝わった頃には、俺の腕からは真っ白な血が流れ出ていた。そして、グレートウォールからは代わりに真っ赤な血がにじみ出ていた。互いの血が入れ替わっているようだった。
頭がクラクラしてきた。俺の血がどんどん吸われているからだ。
視界が二重になって、これ以上立っていられなくなるほどだった。
俺の血が染み込んだ壁はどんどん広がり真っ赤になっていく。俺はふらつきながら、グレートウォールを支えにしなければいけないほどになっていた。
もう限界だ。そう思ったとき、俺への負荷がピタリと止まった。
それと共にグレートウォールへ染み込んだ血の広がりもおさまった。
「壁の血が……」
『収縮していく』
壁に触れた手に向かって、動き出した。真っ赤な色が一層濃くなっていく。
濃密された色は黒に等しい色となって、手の中へ収まった。
そしてミーティアが俺とグレートウォールから離れて、ライブラの手の上へと戻っていった。
「第一段階はうまくいったみたいだね」
「ああ、グレートウォールと繋がっているのを感じる」
俺がグレートウォールから手を離すと、その下には黒い点があった。俺の血を濃縮して生まれたきたものだ。それがうねうねと動き出して、螺旋回転してグレートウォールに穴を開けた。いつも外へ出るための通路とは違っていた。
『グレートウォールの内部へ道か……うねっていて気持ち悪いな』
「贅沢は言ってられない」
『ライブラ、しっかりと維持しろよ』
「できる限りのことはするさ。中はどうなっているのか……見当もつかない未知の場所だ。慎重にね」
ライブラは黒い稲妻を発し続けるミーティアを俺へ向けてかざしながら言った。
手からは相変わらず、血が滴り落ちていた。やつにも負荷がかかっているようだった。
あまりグレートウォールの中で長居してしまうと、帰れなくなってしまうかもしれない。
俺がライブラの手を見ていると、やつはグレートウォールにできた黒い穴を片方の手で指差しながら言う。
「旅立ちの時だ。グレートウォールを調伏するために」
「行ってくる」
『あとは頼んだぞ』
俺は真っ暗な穴へと踏み込んだ。何も見えない闇の世界かと思った瞬間、別世界が俺の前に広がっていた。振り返っても、そこにはライブラの姿はない。
ただひたすらに青い海が広がっていた。そして遠浅から絶えず波が俺の足元へ打ち寄せてくる。空を見上げれば、海と同じくらい青い空が広がり、所々で白い雲が勢いよく流れていた。空だけが時間を早送りしているかのようだった。
『お前が以前、話していたグレートウォールの世界と一緒だな』
「ああ……あのときはここでロキシーと会ったんだ」
以前にグレートウォールに接触したとき、俺の精神体だけがここへやってきた。そのときは時間が加速して、瞬く間に世界が生命の進化の流れを見せつけられた。
そして、時の流れが止まったときに、ロキシーと再会したのだ。彼女から獣人たちの解放を頼まれて、元の世界に送り返された過去があった。
今度は肉体を伴って戻ってきた。精神体だった時以上に、ずっとこの世界の異常さを感じる。
『ここはどこか彼の地と似ているな』
「精霊が集まってできた場所……三賢人が作ったものなら、繋がりがあるのかもな」
『彼の地は出来損ないの神によって、世界が保たれていた。もしかしたら、同じような存在がいるかもしれん』
俺はしゃがみ込んで、海水をすくい上げながら言う。
「この海水も、たぶんグレートウォールを構成する精霊なんだろ。だけど……ベリアルやウンディーネのような意志は感じない」
『末端に過ぎないからだろう。集合体として、この世界を構成するためには、すべての精霊が意志を持ったら、まずいのかもな』
「統率する存在がいて、他の精霊はすべてを従属しているってことか?」
『その方が自然だ。それにこの世界は意志を持った何かにコントロールされているような歪さを感じる』
「時間の流れが場所によってバラバラだしな」
青い空、青い海がどこまでも続く世界はどこか幻想的で、それに加えて場所によって時間の流れが異なっており、目まぐるしく変化していた。現実世界でこのようなあり得ない光景は、グリードが言ったように彼の地と似ているように思えた。
何が起こってもおかしくはない世界。そんなものが俺の視界一杯に広がっている。
「彼の地では魂の流れで、どこに向かったらいいのかがわかったけど……」
『全方向が同じ景色だしな。それに導いてくれるものもない。何か感じるものはあるか?』
「いや、前に来た時と同じさ。俺は精霊じゃないから、ダメなのかも」
『「あっ!? それだ!!」』
グリードも俺と同じことを閃いたようだった。
ダークエルフの国での戦闘訓練で習得した新しい力——精霊獣との同化だ。
俺の手持ちの精霊獣は、ベリアルとウンディーネの二頭。
ここは扱いやすいベリアルの力を借りたいところだが、足元には海原が広がっている。相性の良さではウンディーネが好ましい。
ダークエルフの国で収監されてから、ずっとウンディーネとの対話を続けてきた。以前よりも、指示を聞くようになっている。身の内に顕現させて、暴走するということはないだろう。
「ウンディーネでいく」
『使いこなして見せろ』
攻めの姿勢はグリードの大好物だ。すぐに賛同してくれた。
俺は精霊獣ウンディーネの名を呼び、身の内に顕現させる。足元の海水が大きく波立って、打ち寄せてくる波を相殺していった。
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