第332話 獣人牧場

 責任者の男は獣人牧場へ入るために、分厚い金属製の扉を押し開けた。油を差していないようで、森に扉が軋む音が鳴り響く。いい加減な管理をしているようだ。


「修理を頼んだのだが、戦争前だと言って誰も寄越さん。旧体制派だったからってのけ者にしやがって……」

「旧体制派?」

「さすがは奇跡の子。何も知らんのだな。ヒューゴ・ダーレンドルフは革命派と名乗って、前議長に少しでも関係した者を旧体制派といって弾圧している」

「前議長は亡くなったのにですか?」

「ヒューゴに楯突く者はいなくなった。それでも恐れているんだ。前議長の体制は数千年も続いたのだ。彼に関係していない者の方が少ない。さらにタイミングも悪かった。老朽した獣人牧場を修繕するために、前議長に口利きしてもらったのだ」

「それが議長の耳に入ったわけですね」

「ヒューゴは元々獣人牧場の存在意義に疑問を持っていた。ここ1000年ほど作り出した獣人たちの農業生産が上がっていないと言ってな。やつらを育て上げるのにどれほど苦労しているのか、全く知らんくせに」


 ちょっと聞いたら、愚痴の嵐だ。相当、鬱憤がたまっているようだ。

 薄暗い通路を進むと、すぐに何段にも重ねられた数え切れないほどの檻が見えてきた。そのすべての中には獣人の幼子が入れられていた。

 責任者は腰に下げていた棒を手に持って、格子を叩いた。


「ここにいるのは、選別が終わったものを入れている」

「選別?」

「先天的に凶暴的だったり、反抗的だったりするものや、体の弱いものは弾かれる。それはブリーダーと呼ばれる職の者が行っている。今は品種改良が進んで、めったに不良品は生まれなくなった」


 獣人の子供は早くから親から引き離されて冷たい牢に入れられていた。しかも牢は異臭が漂っていた。


「臭いだろ。まだ自分の下の世話もできんからな。この時期が手がかかる」

「この子の親はどこに?」

「ブリーダーがいる繁殖場だ。次を産まないといけないからな。今は閉鎖中でまともに機能していないが」

「議長の指示ですか?」

「そうだ。ヒューゴはブリーダーに問題があると思っている。そうではないと証明するためにも、目の前にいるやつらをしっかりと育てないといけない」


 力の入った手で、またしても棒で格子を叩いた。牢の中にいる獣人の子はそのたびにビクビクしていた。だが一切声を出さない。おそらく、そうするように教育されているのだ。


「ここでは何を教えているんですか?」

「ハイエルフに従順であることだけだ。それ以上の教養はこいつらの毒になる」

「農作業の仕方は?」

「それはここから出た獣人の真似をすれば済むことだ。なぜ私たちが泥にまみれないといけない? 馬鹿げている。泥まみれになるのは獣人の得意分野だ」


 なるほど、ここではひたすらにハイエルフに従う獣人を選定しているだけだ。獣人たちが行う農作業について、指導はしていなかった。これでは生産効率は上がると思えない。

 教養は禁止されて、従順であることを強要される獣人たちに農作業の改善ができるわけもない。だから彼らは1000年もの間、成果を出せずにいるのだ。


 牢の中へ押し込められた子供たちはだれもが死んだような目をしていた。従順にするというよりも、彼らの希望をことごとく打ち砕くといった方が適切だろう。


「あの子はお腹をすかせているようですが」

「言うことをきかないので、絶食させているんだ。殴るのもいいが、これが一番効果的だ」


 あまりにも自慢げに言うものだから、黒剣で叩っ切ってやろうかと思ってしまうほどだった。ぐっと我慢して、黒剣の柄を握ろうとした手を下げた。

 獣人の子は骨と皮だけになっており、餓死寸前だった。


「もう十分では?」

「口出しは無用だ。俺は1000年以上のベテランだ。ちゃんと見極めができる。あと3日はいける」


 俺が責任者を睨むと、フッと笑われた。気にしすぎだとでも言いたそうだった。


「お気に召さないようだ。まあ……獣人牧場での仕事はいい目で見られない。いつものことだ」


 責任者は自分の仕事に誇りを持てずにいるようだ。それは獣人に対する負い目ではない。社会的に忌避される職業だからだ。獣人牧場まで案内してくれたステラも中に入ることを嫌がったくらいだ。


「あんたはエルフの国にいたんだよな。あそこの獣人たちはどうだった?」

「ここよりは自由でした」

「まったくそんなことだから、国が滅ぼされるんだ。噂で聞いたぞ。獣人が魔物になって、エルフを食い散らかしたそうじゃないか」


 所詮は噂だ。大事なことがすっぽりと抜け落ちている。エルフの国が滅ぶきっかけを作ったのはセシリアの兄であるゲオルクだ。あえて情報を提供する義理もないので口をつぐんでいると、彼の話はまだ続いた。


「こいつらの本質は魔物だ。人の形をしているが、魔物になった途端襲ってくる。そんなやつらに教養はいらない。魔物にならないようにしっかりと管理する必要がある」

「そしてハイエルフのために食糧生産ですか?」

「何もしなければただの穀潰しだ。グレートウォールの内側に置いてやっているんだ。貢献はしてもらわなければな」


 またしても棒で格子を叩きながら声を張り上げる。


「私はこいつらを魔物からより人へ近づけてやっているんだ。感謝されても睨まれる筋合いはない! もういいだろ、俺は忙しいんだ。帰ってくれ」


 一方的な拒絶で獣人牧場の視察は幕を閉じた。

 でも長居をすれば、気が狂いそうだ。これで良かったのかもしれない。ライブラの言うとおり、獣人は家畜のように狭い檻に閉じ込められていた。ハイエルフにとって都合の良い気質を持った獣人のみが選別される施設だ。

 責任者と別れる際に、一つだけ質問した。不適格となった獣人はどうなるかだ。

 彼は殺処分した後に焼却すると言った。そして灰はゴミとして施設の裏に埋め立てられていた。エルフですら、獣人の墓地を作ることを許可したというのに……。


 俺は教えてもらった埋め立て地へ赴いた。責任者は仕事に戻り、ステラはそのような場所に行くことを嫌ったため、俺だけがこの場に立っていた。

 ずっと黙っていたグリードが埋め立て地の状況を見ながら言う。


『施設のゴミと一緒にとはな……これでは死んでも死にきれないだろう』

「なあ……エルフの国にあった獣人の墓地を覚えているか」

『あれとは大違いだ』

「それもあるけど、アビスが現れた時と似た嫌な感じがする」

『報われない魂が彷徨っているのかもな。ユーフェミアが言っていたアストラルチェイン。それが閉ざされているから、施設で殺された獣人たちの魂は星に還れずに良からぬものへと変貌しようとしていたら、かなりヤバいぞ』

「アビスが現れたのはグレートウォールが崩壊してからだ。もしかしたら、グレートウォールがアビスの出現を抑え込んでいるのかも」

『ならハイエルフの未来は暗いな。この戦争でグレートウォールを失えば、獣人は魔物となって襲いかかり、凌いでも無敵のアビスによって駆逐されるだろう。堪りに堪った大きな津ツケを支払うことになる』


 エルフの国が滅びた……あの悲惨な光景を再現させてはいけない。決してハイエルフのためではない。

 獣人たちを救い、ロキシーをグレートウォールから解放するのが魔都ルーンバッハに帰ってきた目的なのだから。


『施設を見て思ったが、獣人たちの解放したところで自立は困難だろう』

「ロキシーが戻ってくれば、いい考えが思い浮かぶかもしれない」

『そうだな。彼女の方が俺様たちよりもうまくやるだろう』


 ロキシーは王国でハート家の領主としての経験が俺よりもたくさんある。今は彼女を信じて、獣人の解放に心血を注ぐべきだ。 

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