第310話 騒がしい朝
朝日が差し込む窓から城の外を眺めていると、部屋をドアをノックする音が聞こえた。
「フェイト、ちょっといい?」
「どうぞ」
セシリアの声だった。昨日の疲れ切った様子で心配したが、元気な声なのでゆっくりと休めたようだ。ドアを開けた彼女の顔を見て、それは確信に変わった。
「どうした? こんなに朝早くに」
「それが……マックスが目を覚ましたの」
セシリアはどこか困ったような顔をしていた。そして左手で右手の手首あたりを隠している。
「暴れたのか?」
「そうなの。今はダークエルフの兵士たちに捕まって縛り上げられているわ」
「セシリアは大丈夫?」
俺は彼女のところへ行き、手首を見せてもらう。思ったよりも深い傷だ。
「噛まれたのか」
「これくらいは後で精霊術で癒せるわ。それよりも早くマックスのところへ行ってあげて」
『今度は飼い主としてお呼ばれか』
「マックスはもう魔物じゃない。歴とした獣人だ」
『なら人として躾は早くしないとな』
俺は黒剣を腰に下げて、セシリアと共に部屋から出た。
マックスは兵士たちの数名に怪我を負わせてしまったという。今は城の地下にある牢で幽閉中だ。
『兵士たちを傷つけて、よくそれだけで済んだな』
「ナハトの眷属ってことで、穏便にしてもらえたのよ。私がもっとしっかりしていれば……」
「セシリアだけのせいじゃない。俺だって別の部屋にいて、セシリアだけにマックスの面倒を見させていたんだから」
マックスは俺の想像以上に暴れていた。目を覚ました彼女はセシリアが休んでいる隙をついて、部屋からそっと出ていったらしい。そして城の外に飛び出して、歩き回っているところを兵士たちに発見されて、大暴れしたというわけだ。
セシリアは不覚にも兵士の知らせによって目を覚ました。その時に、マックスがいないことを知り、兵士と一緒に彼女のところへ行った。しかし、言葉は通じることなく、右腕を噛みつかれたという。
「すぐに俺にも声をかけてくれたら良かったのに」
「フェイトは疲れているようだったし、私の責任でもあるから……」
『まあ、マックスがいないところで言っていても始まらん。さっさと牢へいくぞ』
セシリアの案内で城の地下へと降りていく。行き交う兵たちの数が増えている。今回の騒ぎに浮き足立っているように見えた。
地下は湿気を帯びており、少しだけ寒かった。
カビの生えた石の階段を降りた先に、無数のアダマンタイトの牢が並んでいた。
今も使われている牢だった。犯罪を起こしたと思われるダークエルフたちが収監されていた。
ある者は俺の姿を見て、慄き怯えていた。他の者は奇声を上げて、口から泡を拭く者までいた。
どうやら、過去の俺は彼らにとんでもない恐怖を与えたらしい。
怯える囚人の中で、一人の老婆が俺を見つめていた。なぜこのような者が? と思ってしまうほど、彼女は痩せ細っており、見た目の印象からは囚人らしさが全くと言っていいほど感じられなかった。しかも、彼女の牢だけ、他と比べて生活に必要な調度品が揃っていた。
俺が近づくと、彼女は嗄れた声で囁いた。
「奇跡の子よ。戦いを呼ぶ破滅の子よ。また我らに苦しみを与えにきたのか」
通り過ぎようとした俺に投げかけられた言葉に、足が止まった。
その時、檻の隙間から老婆の手が伸びてきて、俺の服の袖を掴んだ。
華奢な体とは思えないほどの力で、俺を引き寄せた。
「人の皮を被ったバケモノよ。消え去れっ!」
この老女にも俺は何かしたのだろうか?
セシリアが見かねて止めに入る。
「やめてください。手を離して!」
「うるさい。国を滅ぼしたエルフが偉そうに!」
「えっ……」
いきなりの言葉に虚をつかれてしまい、セシリアは老婆から手を離してしまった。
この老婆は牢屋に入っているのに、なぜエルフの国が滅んだことを知っているんだ。
彼女は俺たちにぶつぶつと何かを呟き続けていた。
まともに会話できる状態ではないことに俺たちは気が付いた。それでも俺の服の袖を掴んだままだった。
困っているところに、フレディが颯爽と現れて、強く握られた老婆の手を優しく解いていった。
「アナスタシア様、このようなことはおやめください」
「誰だ、お前は」
「フレディ・テイラーです。お忘れですか?」
「……知らん」
フレディは少々困った顔をしながら、アナスタシアという老婆をしばらく見ていた。
「昔はすばらしい方だったんですよ」
「この人は?」
セシリアが聞くと、フレディは俺たちの方へ顔を向けた。
「ユーフェミア様の母君です。今は錯乱されており、牢に閉じ込めております」
「君主のお母様を……」
「こうなられても、発言力は未だにあります。良からぬ者に利用されないための処置です」
「何も牢に入れなくてもいいのでは?」
「ナハトの指示でもあります。そうですよね?」
フレディは俺に同意を求めてきた。俺は返事に困ってしまった。
頷いた方がいいのはわかっている。でも心情が許せなかった。
「少し優しくなられたようだ。以前のあなたなら、アナスタシア様を寄せ付けることはしなかった」
「俺はもう気にしていない」
「そうですか。ユーフェミア様にもお伝えしておきます」
ユーフェミアは自分の母親ですら、牢に閉じ込めてしまうのか。目的のためなら私情は挟まない性格なのかもしれない。
アナスタシアは俺をじっと見ていた。
「行きましょう。あなたの眷属が待っています」
フレディに促されて、牢獄の奥へと進む俺の背中に向けて、金切り声が駆け抜けてきた。
「お前のせいで、ダークエルフの世界が滅んでしまう。誰か、あのバケモノを止めろっ!」
フレディはその声を聞いて、悲しそうな顔をしていた。
「アナスタシアは、どんどん酷くなる一方です」
「何かきっかけがあったのですか?」
セシリアの言葉にまたしても、フレディは俺の顔を見た。
「アナスタシア様はナハトを目にしてから変わってしまわれた。代々君主は、星見という未来視ができる者が務める慣わしです。アナスタシア様は、ナハトを通して見た未来に耐えられなかった。いままで自身が積み上げてきたダークエルフの世界が失われることに絶望してしまわれた」
「ユーフェミア様は受け入れたと?」
「滅びゆく大地にしがみつくより、聖地を奪還して新しい世界を築くことを選んだのです。たとえ我々の同胞のほとんどが息絶えようともです」
その言葉には、フレディ自身も命を捧げることに迷いがないように聞こえた。
俺は彼にどう声をかけていいのか……迷っていた。ナハトなら未来のために死んでくれとでも言うのか。馬鹿げた話だ。
「恵まれているエルフにはわからないことです。ここに住まえば、少しはわかってもらえると信じています」
「……肝に銘じます」
三賢人に見捨てられた種族。ダークエルフの何が気に食わなかったのだろう。
「もうすぐ、眷属を捉えている牢です」
マックスは一番奥の牢に入れられていた。格子は他の牢に比べて、数倍の太さだ。
しかも手枷と足枷まで付けられて、冷たい床に転がされていた。
「セシリアさんに噛み付いたため、厳重にしております。アダマンタイト製の拘束具です。そう簡単には破られないはずです」
フレディが檻の前に近づくと、マックスは足枷を引きちぎって飛び上がった。
そして、襲い掛かろうとするが、分厚い格子によって阻まれてしまう。閉じ込められていることが気に入らないようで、唸り声をあげて怒っていた。
「少々捕まえる時に兵士たちが手荒な真似をしてしまったようです。申し訳ありません」
「アダマンタイト製の拘束具を簡単に壊されたぞ」
「どうやら、力が強まっているようです。牢が破られる前にナハトが来てくれて、私たちは安堵しております」
さあ、どうぞと言わんばかりに、フレディは俺に荒くれたマックスがいる牢の中へ手を向けた。
我を忘れて怒り狂っているマックス。どう鎮めたらいいのやら……。
困った俺はセシリアを見る。どうやら、彼女に噛み付いた時よりも怒りを爆発させているようだ。もう彼女の手に負えないのだろう。必死に首を横に振っていた。
こうなったら、やるしかない! 俺がマックスを獣人化させてしまった責任はこれからたくさん取っていくのだ。出だしで挫けている場合ではない。
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