第232話 目覚めの時

 ザックスに焦りの色が見え始めていた。

 尖った耳の先が、真っ赤になっている。目をキョロキョロさせた後、ゲオルクの顔色を伺った。

 俺も釣られて、ゲオルクを見た。


「うっ……」


 ザックスの声にならない声が聞こえてきた。

 そんな声が出てしまっても仕方ない。俺から見ても、悍ましいほどの形相をしていたからだ。

 いつも飄々としていた顔は跡形もなかった。それどころか、ゴミを見るかのような目で口元は酷く歪んでいた。


 ゲオルクからのプレッシャーで、ザックスは降参することは許されないだろう。

 あの様子から察するに、背けばエルフといえど転生の儀のようにグレートウォールの上から突き落とされて、追放されてもおかしくはなかった。

 ザックスも俺と同じことを思ったのだろうか。精霊獣ベリアルに命令する。


「ベリアル、やつを殺せ! これ以上の醜態は許さぬ」


 しかし、ベリアルはその声にすぐに従わなかった。値踏みするような目で主であるザックスを見たのだ。

 ザックスは大きく舌打ちをしながら、再度命令する。


「誰かのおかげで、顕現できていると思っている。お前ら精霊は、俺たちのエルフの道具に過ぎないことを忘れたのかっ!」

「やめなさい。精霊をそのように粗末に扱ってはなりません」


 見かねたセシリアがザックスを叱責する。しかし、彼は聞く耳を持たなかった。

 ザックスが何やらつぶやく。すると、ベリアルの目の色が変わった。

 真っ赤な目で、理性を失った獣のように喚き散らした。それと同時に周囲の気温が更に一段と下がった。

 露天に並んでいる野菜や果実が氷付いている。

 観客はすでに、ゲオルクたちとセシリアを残して、家に逃げてしまったようだ。


「街中でなんてことを、精霊獣の力を解放するとは何事ですか! あなた自身も襲われかねないですよ」


 ベリアルをコントロールするために、力をセーブさせていたらしい。その束縛を解いたということか?

 コントロール不能の精霊獣なんて、魔物と変わらないだろう。

 いや理性をなくしている分、魔物よりもたちが悪いぞ。


「よくやった。これは決闘だ。最後まで戦え、ザックス・スナイダー」


 ゲオルクの言葉に、ザックスは一礼して帯剣を引き抜いた。

 やっと、ここから真の本気で来るようだ。俺は暴走ベリアルとザックスを相手にするわけか。


 俺が心配することは一つ。この決闘で街に損害を与えないように精霊術で守っているセシリアだった。


「抑えられそうか?」

「ええ、でもそれほど長くはもたないわ」

「十分だ」


 暴食スキルが俺に戻ってきた。しかし、他のスキルは機能しない。

 ステータスはどうか? 鑑定できないので正確にはわからない。それでも体は恐ろしいほど軽く、そして力強い。

 先程のベリアルの冷気を直撃しても、凍傷を一つも負っていなかった。


 折れた黒剣グリードを見ながら思う。すべては元に戻っていないけど、少なくとも……また戦える力はある。

 お前も戻ってこいよ、グリード。


 セシリアが作ってくれた檻の中で、ベリアルが最初に動いた。狙ったのは俺だった。

 暴走しているからザックスとの共倒れになるかと、淡い期待はいとも簡単に裏切られた。


「いいぞ、ベリアル。どうやら、お前が嫌いのようだ」


 ベリアルの攻撃を躱したところで、死角から剣撃が割り込んできた。

 それを黒剣で受け止める。


「騎士のくせに卑怯だな」

「エルフのことを全く知らないようだな。結果が全てなのだ」

「勝てば、すべてが許されるのか?」

「違う。勝てば、俺はゲオルク様に認められて、更に上に行ける」


 鍔迫り合いをしながら、相手の力を推し量る。

 剣の技術は洗練されており、無駄がない。エルフは長生きなので、途方もない年月を修練していたのかもしれない。

 それでもアーロンに比べれば、遥かに劣る。


 押し合いをやめて、黒剣でザックスの剣を受け流す。そして、バランスを崩したところに軽く足払いをする。

 ザックスは有り余る力の行き場が狂って、地面に転げてしまった。


「足元が遊んでいるぞ」

「おのれっ」


 ザックスだけと相手をしていられない。彼を足蹴りして、距離を取る。

 すぐに、襲い来るベリアルの爪を躱す。触れてもいないのに、爪に帯びた冷気で服が凍りついた。


 威力の増した冷気は少し厄介だな。


 これ以上は好きにさせておけない。躱し際にベリアルの左腕を切り落とす。


「ガギャアアアアァァ……ギッギギ」


 ベリアルだけが苦しんでいた。ザックスにはダメージが入っていない?

 彼らは繋がっており、ダメージを共有しているはずではないのか?

 俺の疑問に、ザックスがご丁寧に教えてくれる。


「ベリアルは暴走しているのだ。俺との繋がりは、無いに等しい。ベリアルを斬って、俺にもダメージを食らわそうとしても、無駄だ」

「なるほど」


 セシリアが作ってくれた檻も、そろそろ限界に近いようだ。所々で、結界にひび割れが生じていた。

 俺はベリアルを見据える。

 今なら精霊獣だけを喰らえるチャンスだ。決闘に勝つためとはいえ、ザックスを殺してしまっては、今後このエルフ街で暮らすには禍根が残るだろう。

 しかし、繋がりが無いに等しい今なら、精霊獣だけを奪って無力化できるかもしれない。


 暴食スキルが精霊獣を喰らえればの話だが。


 ものは試しだ。やってみるしかない。


 ザックスの剣撃を掻い潜り、左腕を失ってもなお戦意を喪失しないベリアルに斬りかかる。

 精霊獣の急所はどこか……わからない。それでも、頭を飛ばされては生きてはいられないだろう。


 ベリアルの右爪を躱して、首をはねた。


 宙を舞う首を見ながら、確かな手応えを感じた。

 体が光の粒子となって、消え始めたからだ。そのベリアルだった光の粒子は俺の胸へと吸い込まれていく。


《暴食スキルが発動します》

《解析中………………》

《精霊獣ベリアルを取得しました》


 よしっ、喰らえた。なんだろうか……この今までにない高揚感は……。

 暴食スキルに新たな味を覚えさせてしまった。

 出来損ないの神にも影響はなさそうだ。喰らったことで、俺に大きな負荷がかかっていない。

 上出来じゃないか! 大成功だ。


 俺が精霊獣ベリアルを喰らったことに、セシリアやゲオルクやその部下たちは驚いていた。

 そんな中で一人だけ納得いかない奴がいた。

 決闘していたザックスだった。


「一体、何をした。俺の精霊獣が呼び出せない。精霊術も使えない。お前は何をした! フェイト・バルバトスっ!!」


 彼の持っていた剣は地面に投げ捨てられている。精霊獣を失ったことで、決闘どころではなくなってしまったようだ。


「これは俺が生まれ持った力だ。誰にも奪われない特別な力だ。なのになぜ……使えない。現れてくれないんだ」


 俺は無様なザックスを見下ろしながら、獲得した精霊獣ベリアルを呼んでみた。

 光の粒子が形を成して、ベリアルが顕現した。先程まで俺を親の仇の如く襲っていたベリアルとは違っていた。

 俺に跪き、指示をいつでもしてくれと言わんばかりの懐きようである。


「あはははぁぁ……そんなことが、あってたまるか。ありえない! それは俺のベリアルだ」


 今まで研鑽してきたものが、音を立てて崩れ落ちるかのように、ザックスは膝を付き倒れ込んだ。

 そして、泣き叫んでいた。エルフとして精霊獣を失ったことは、あまりにも受け入り難いものだったようだ。


 セシリアの精霊術による結界は、すでに解かれていた。

 決闘には勝った。ザックスの命を奪わずに済んだ。代わりに彼の精霊獣ベリアルを奪った。


 ゲオルクは今回の決闘に、何故か満足しているようだった。部下の騎士に命じて、咽び泣くザックスを何処かに連れて行かせた。そして、俺に向けて笑顔で歓迎してくれる。


「決闘、見事だったよ。約束通り、ルイーズ島のエルフ街に住まうことを認めよう。ようこそ、フェイト・バルバトス」


 そう言って、ゲオルクは立ち去っていった。騒ぎが静まった広場には、俺とセシリアのみが残された。

 エルフたちは、まだ家に隠れて出てこようとはしなかった。精霊獣を奪った俺を恐れているのかもしれない。


 折れた黒剣を鞘に収めようとしたとき、異変に気がついた。


「どうしたの、フェイト?」


 心配してセシリアが声をかけてくる。

 俺は黒剣をひたすらに見つめていた。そして、今起こっていることを彼女に伝える。


「黒剣が少しだけ元に戻っている」

「えっ」


 驚いて覗き込むセシリアも、しばらくして頷いた。

 短剣ほどだった黒剣の長さが伸びている。完全に元に戻った訳ではない。

 だけど、確かに変化していた。


 そして、あの懐かしい声が聞こえてきた。俺様ないつもの調子で、俺に問いかけてきた。

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