第188話 天空の大地へ

 物言わない黒剣の手入れをしていると、時間はあっという間に過ぎていったようだ。

 これくらいでもういいだろう。小五月蝿いこいつでも満足する仕上がりだ。


 鏡のように磨き上げた刃は、俺の顔を写している。

 左目が赤く光っていた。


 意識して半飢餓状態になっているわけではない。

 気が付かないうちに勝手にそうなってしまっている。


「まいったな……」


 結局一睡もしていない。なぜなら、俺は怖かった。

 また、あの精神世界でもう一人の自分と対峙することを避けるためだ。


 たった一人であれともう一度戦えば、飲み込まれる可能性が高い。

 もうルナやグリードの力を借りることはできないのだから。


 ロキシーには頑張ってみるとは言ったものの……何かしらの糸口を見つけるまでの時間稼ぎをするしかなさそうだ。


 精神世界で会うことを避けていても、あいつは待ってくれないようだった。


「眠れなかったようですね」

「ああぁぁ……」


 仮眠をとっていたロキシーが、俺に話しかけてきた。

 天使化は体力の消耗が大きいようで、あの後すぐに落ちるように眠っていたので少し心配していた。


「そっちの調子は?」

「おかげさまで完璧です。まだ、お二人は眠っているようですが」

「あの二人はいつものことだ」


 マインとスノウは大爆睡。

 寝る子は育つと言わんばかりだ。


 この二人には緊張という言葉はないのだろう。

 苦笑いしていると、ロキシーの顔が接近してくる。


「その目はどうしたのですか!?」

「これは……その……」


 分かる範囲で事情をロキシーに説明する。

 理解の早い彼女は頷きながら、黙って聞いていた。


「暴食スキルが飢えているのとは違うのですか? それなら魔物を倒せば治まるのでは」

「違うみたいなんだ。もしそうなら、喰らいたいという強い衝動が来るはずなんだ。それが……まったくない」


 不思議だ。いつもなら勝手に半飢餓状態になったときには、その衝動があった。

 やっぱり、何かがおかしいよな。


「精神世界で襲ってきたというもう一人のフェイに関係しているんでしょうか?」

「たぶん……あいつが何かを仕掛けてきているのかも」


 黒剣を鞘に納めながら、立ち上がる。

 すると、いつもよりも体が軽かった。


「!? これは……」

「どうしたのですか?」

「体の調子がいいんだ。半飢餓状態でブーストがかかっているのもあるけど、いつも以上に力が湧いてくるし」

「いいことですね……と言いたいところですが」

「良過ぎて気味が悪いな……自分のことなのにさ。嵐の前の静けさなんてな」

「そういうことは思っていても口出さないほうがいいですよ」

「たしかに」


 良くも悪くも、ガリアに乗り込むには最高の状態だ。

 さて、マインとスノウを起こすとするか。そう思っていると、部屋のドアが開いた。


「おはようございます。ライブラ様がお待ちです」


 相変わらずメイド姿のエリスが、凛とした立ち振る舞いで現れた。

 そして品よくお辞儀してみせる。


「わかった。少しだけ待ってくれ」


 俺は寝ている二人を起こそうと振り向くが……いらぬお世話だったみたいだ。


 マインは寝癖一つなく、身支度を終えており、片手にはトレードマークの黒斧を持っていた。

 スノウも欠伸をしているが、準備万端だ。


 歴戦の武人であるマインは一緒に行動していたときからあんな感じだったので驚くことはない。


 変わったのはスノウだ。あのハウゼンの戦いから彼女に変化があった。子供っぽいところは残しつつも、思慮深さを時折見せるようになったのだ。たまに口調も大人びるしな。


「フェイトいく!」


 飛びついてきたスノウを受け止める。

 自慢の赤髪は寝癖まみれだった。俺はなんとか手で整えてやる。


「よしっ、いこうか」


 みんなで頷きあって、部屋を出る。

 エリスが案内したのは、やはり甲板の上だった。


「やあ、ゆっくり休めたかい」

「お前にだけには言われたくないな」

「あはは、今は共闘しているわけだから、仲良くしよう」

「共闘? そんな気はないくせに。どうせ、お前は来ないんだろ」

「そんなことはないさ。ほら、僕の代理を用意しているから」


 そう言ってライブラはエリスを指差した。


「強さは君がよく知っているはずだ。再調整しているから、それ以上に仕上がっているよ」

「お前……」


 ライブラを睨みつけてやるが、飄々とした顔は何一つ変わらない。

 そして、わざとらしく考える仕草をしてみせる。


「これだけだとお気に召さないか。なら、これならこれとセットならどうだい?」


 虚空から、黒い武器を取り出した。


「これは……」

「黒銃剣エンヴィー。これも再調整済みさ。ちょっと目を離している内に悪い子になっていたからね。ほら、受け取りな」


 まるでゴミを扱うように俺に黒銃剣を投げてきた。


「まあ、支援系の武器だから大した力はないだろうけど、今のエリスなら存分に扱えるだろう」

「お前は、ここで高みの見物というわけか」

「人聞きが悪いな。ここでうまくいくようにと、神に祈りを捧げているから、大船に乗ってくれていいよ」

「邪魔だけはするなよ。その時はこの飛空艇ごと地面に叩き落としてやる」

「あはは、面白いことを言うね。なら、同じくエリスの首も地面に落ちるだろうけどね」

「くっ……」


 これ以上は話をしても無駄だ。

 俺は黒銃剣エンヴィーに《読心》スキルで呼びかけてみる。


 しかし、反応はなかった。


 再調整ってやつが影響しているんだろう。エリスと同じだ。

 自我が封じられているのだろう。


「エリス、これを」


 俺は黒銃剣を無言の彼女に渡して、目前に迫るガリア大陸に目を向けた。

 これほど巨大な大地が空中に浮いているなんてな。


 遠くからでも雄大だったのに、近くだと更に圧巻だ。

 加えて、肌にピリピリと感じる。

 大陸に蠢く数多の魔物たちの魔力を。


「これは喰いがいがありそうだね」

「もう一度いう。お前だけには言われたくない」


 面白そうに笑いながら、ライブラはある場所を指差した。


「彼処に着陸しようか。いつの時代も静かな場所だからね」

「あの場所はたしか……」

「緑の大渓谷ですね」


 ロキシーがその懐かしい場所を眺めている。

 王都へ供給する希少な鉱物などを採掘する場所だったはず。

 そして俺は黒剣の鞘を作るために、魔結晶を手に入れるために訪れた。

 

 その際に目的は違えど、ロキシーと共闘することになったりして思い出深い場所でもある。


 見た目は荒廃した土地のオアシスのように見えるが、実際は化石となった魔物が積り重なって出来上がっている。


「危険じゃないのか? 大量の魔物が眠っているんだぞ」

「杞憂さ。魂を失い化石となっている。復活はできないさ」

「魂を失い? 化石に?」

「安全ということだよ」


 くそっ。答えるつもりなしか。

 まあ、ライブラが言うとおり、あの一帯だけ魔物の気配がない。


 ずっと黙っているマインを横目で見る。

 彼女は静かに頷き返した。


「安全みたいだな」

「あらら、僕って信用ないんだね」

「当たり前だ」


 わざとらしく天を仰いでみせるライブラ。

 だが、すぐに顔を俺へ向けてニヤリと笑ってみせた。


「なら、着陸するよ。期待しているよ」


 ライブラは最後の言葉を俺から目線をずらして、スノウに向けていた。

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