第182話 憤怒と暴食
人騒がせなライネだ。
親に知らせることを忘れているくせに、結局はそのことより研究を選んでしまった。
しかたないので、俺の方から連絡するしかなさそうだ。
セトに頼んで、王都にいるムガンに娘の無事を知らせるために早馬を用意させた。
「お前も大変だな」
セトが苦笑いしながら、部下の武人たちに王都への報告書を渡していた。
元々、ハウゼンで起こったことを王都に知らせる必要があった。
そのついでとばかりにお願いしたわけだ。
「そういえばエリス様の姿がこのところ見えないけど、フェイトは知っているか?」
「ああ……エリスなら、あそこへの行くための方法を探しに行ったよ」
見上げた先、空中に浮上したガリア大陸だ。
空高くに浮いているから、歩いて上陸はできない。
ロキシーが天使モードになって、ガリア大陸へ運ぶと言ってくれてはいた。
しかし、あの姿はスノウとロキシーの力を大きく消費してしまう。ただ俺たちを運ぶために、天使モードを使うのはもったいない。
それに上陸してからが本番なのに、彼女たちがヘロヘロでは問題があった。
そこでエリスがいい方法があると言い出して、どこかに行ってしまったのだ。
エリスの良い方法とは一体何なのか、見当もつかない。
「碌でもないことじゃなければいいけど」
「フェイトってエリス様への信頼度が異常に低いよな」
「当たり前だ。今までのことを思い返したら、碌なことはなかった」
「例えば?」
「毎日、裸のエリスに寝込みを襲われそうになった。おかげで寝不足だ」
「なっ! なんて羨ましい!」
セトはエリスが大好きなようだった。
あまりいい趣味をしていないみたいだ。
「そうか?」
「お前な! あのエリス様だぞ。この王国の女王陛下で、絶世の美女だぞ。そのエリス様にあれだけ熱烈アプローチされていて、何も反応しないお前は本当に男なのか、俺としては怪しくなってくる。一体、なにが不満なんだ!」
「興奮するな。早口で喋りすぎだ!」
う~ん、最初は裸のエリスにびっくりしてドキドキしてしまった。
しかし、連日となってくると人というものは段々と慣れてしまう。
今では裸族のエリス。
そんな認識だ。
ベッドに裸で横たわっていても、いつもの風景として定着してしまっている。
「今日も裸だなと思うくらいだ」
「この!? なんて贅沢な……エリス様のお裸だぞ! けしからん! けしからんぞ! なんて羨ましいんだ!! 俺と代われ、代わってくれ!!」
「落ち着けって」
今思ったのだが、セトはおそらくエリスの色欲スキルによる魅惑にかかっているのではないだろうか。
この錯乱気味なところが特にそう感じさせる。
たぶんセトがエリスよりロキシーを敬っていたら、きっといたずらをされただろう。
エリスが帰ってきたら、所構わずに魅惑を振りまくのをやめさせたほうがよさそうだ。
本人はカリスマ性を維持するためと言っていたが、俺の領地ハウゼンで要らぬ混乱を招いてもらっては困る。
今もセトはため息を付きながらエリスの名を連呼していた。
そんな彼の背後で冷めた目を向ける幼い少女がいた。
「パパ……またエリス様のことを言っている」
「はっ! アン……これはその……」
「約束したでしょっ!」
「ごめんなさい」
どうやらセトはエリスに夢中になるのを愛娘に禁止されているようだ。
幼い娘に叱られる父親。
なんと悲しい構図だろうか。
「まだ職務があるでしょ。早く仕事に戻るっ」
「はい」
セトはしょんぼりしながら、アンに連れられて行ってしまった。
うん、このままでは親子関係の危機だ。
エリスにはセトで遊ぶなとキツく言っておこう。
「まったく、こんなときに何をやっているんだ」
女王陛下の遊びにも困ったものだ。
ため息を付いていると、後ろから突然抱きつかれた。
こんなことをしてくるのは、決まっている。
エリスだ。
やっと帰ってきたのか……と思ったが。
感触がいつもと違う。
なんというか、背中に当たる感じが違うのだ。
「ボリュームが足りないような……」
「どういうこと?」
その声で振り向くと、白い髪に褐色の肌の少女がいた。
「マイン!?」
彼女はこのようなことをしない。
「どういうこと?」
「苦しい……」
抱きついた手にとてつもない力がこもり出していた。
折れる。
このままでは確実に背骨を持っていかれる。
自動回復スキルと自動回復ブーストスキルを持ってしても、治せるかどうか、怪しいぞ。
たまらず、俺は降参の仕草を送った。
「参った! 参りました! エリスと勘違いしただけだよ。他意はない」
「……とりあえず、わかった」
折れる寸前のところで解放された。
ふ~、危なかったぜ。
ガリア大陸での戦いの前に、戦闘不能に陥るところだった。
「どうしたんだ、いきなり?」
「たまにはエロの真似をしてみようと思って」
「なんでまた」
「なんとなくしたくなった」
これだ。
そう! 最近のマインは何かに付けては俺に絡んでくる。
初めは猫のようにじゃれついているのだろうと思っていた。
しかし、相手は猫の顔をした虎だ。猛獣だ。
油断をしていると、がぶり! なんてこともあり得る。
俺は警戒している。
今までの関係は常に付かず離れずといった感じ。互いに一定の距離感があった。
しかし、マインの過去の一件から、突如として一気に距離が縮まった。
彼女の方から急接近である。
俺はまだこの唐突なゼロ間合いに慣れていない。
ドキっとするから、行動に移すときは声をかけてもらいたい。
果たしてエリスの裸族のように慣れるのだろうか。
怪しいところだ。
「フェイト、聞いている?」
「なに?」
まったく聞いていなかった俺に対して、マインはご立腹だ。
手に黒斧スロースを持っていたら、フルスイングで星になっていただろう。
頬をリスのように膨らませるマイン。
どうしたものやら。なんて思っていると、笑われてしまった。
マインの笑顔。
これはだいぶ見慣れてきた。
あの無表情だったマインが取り戻した感情だ。
過去の一件から立ち直った彼女は、感情と味覚が蘇った。
新しいことを始めたいと言って、料理をロキシーに教わっており、俺はよくその実験台にされている。
料理の腕のほうは、天才的な戦いと違って、まだまだ修行が必要なようだ。
そんなマインは俺を見つめながら、恥ずかしそうに言う。
「あの時のこと……フェイトはどう?」
マインがいうあのときのこと……それはおそろく、いやあれしかない。
先日、俺が屋敷の風呂に入っているときのことだ。
侵入してきたマインと半ば強引に混浴することになった。
そこで彼女に告白された。
場所が場所だけに、内容が内容だけに、慌ててしまい。
あわわわっとしているうちに、女性陣の乱入があった。
女性陣とはロキシー、メミル、エリス、スノウだ。
マインとの混浴についてどういうことかと詰問される始末。
結局、告白は有耶無耶になってしまっていた。
「あの告白のことか?」
「そう」
「俺は……」
ロキシーが好きだ。
そう言おうとしたら、唇を指で軽く押さえられてしまった。
「知っている」
マインはその先を言わせてくれない。
それだけ言って、話を続ける。
「フェイトは嫌だった?」
「嫌じゃなかった。嬉しかった」
「なら、今はそれで十分」
「どういう意味だ?」
答えがわからずに訊く俺に、マインは嬉しそうな笑顔を見せた。
そして、長年生きてきた彼女らしい答えを教えてくれる。
「私には時間がある。途方も無い時がある。フェイトも同じ」
「それってまさか……」
マインは四千年以上生きているという。
それは大罪スキルを保持していることが関係しているらしい。
つまり、俺もこれから信じれないくらい長い年月を生きる可能性がある。
「今はロキシーに譲る。でも百年後、二百年後にはフェイトは私のものになる。それからはずっと一緒にいる」
「なっ!?」
「問題ない」
おいおい、なんていう気の長い話だ。
たしかにロキシーは普通の人間だからそこまで生きられないだろう。
「マイン……お前」
「私を助けてしまったのが運の尽き。因果応報」
「そこまで卑下することはないだろ」
「なら、善因善果!」
嬉しそうにマインはまた俺に抱きついてくる。
百年後、二百年後なんて先にことはわからない。
マインが今を精一杯生きることを選んだように、俺もその積み重ねの先によりよい未来があると信じるだけだ。
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