第177話 託された黒剣

「そんな……間違っている。みんなはここにいるはずはない」

「マイン!?」


 手に持っていた黒斧を床に落として、マインは頭を抱える。


「なんで……私は憤怒スキルにちゃんと適応したのに。だから、みんなは家に帰すって約束したのに、なんでこんなことをするの」

「マイン、しっかりしろ」


 そんな中で異形の怪物からまた一人の女性が顔を出した。

 真っ白で長く綺麗な髪、肌も同じく透き通るくらい白い。


 瞳はマインと同じように忌避されるくらい真っ赤だ。

 俺は驚きつつも、彼女の名前を呼ぼうとした。しかしそれよりも先にマインの悲鳴にも似た声が聞こえた。


「ルナァァッ!」


 ルナは何も言うことなく、ずっとマインを見つめていた。

 マインはそれだけで体が動かせなくなってしまっているようで、時おりガタガタと震えていた。


 俺は彼女の肩を掴んで、声をかけるが届きそうにない。


「フェイト、お前ならどうする? この状況で何ができる?」

「ケイロスさん?」


 異形の怪物を背にして、彼は俺に問いかけてくる。

 大丈夫なのか? そう思ったが、周りをもう一度見て、気が付いた。


 俺とケイロス以外の時間の流れが止まっているのだ。

 異形の怪物やマインも動くことなく、宙を舞っていた水蒸気の結晶すらも停止していた。


「フェイト、俺は暴食スキルを介してお前をずっと見ていた」

「見ていた?」

「そうだ。お前はスキルに取り込まれた魂を呼び起こせるようになった。だから、こうやって、俺もお前の前にやっと現れることができたってわけだ。お前には知ってほしかったんだ」


 ケイロスは異形の怪物に取り込まれているルナの頭を優しく撫でる。


「これから、こいつらは俺たちを襲ってくる。その中でマインは自責の念によって、心のバランスが崩れてスキルを制御できなくなり暴走してしまう。そんな状況で俺にできたのはマインを触発するこれを倒すことしかできなかった。結果は散々なものさ。お前はミクリヤを通して、この先も覗いたんだろ?」

「それは……」

「俺は大切だった人を喰って、暴食スキルの贄とした。俺ができることはいつだって奪うことだけだった」


 ケイロスは悲しい顔を見せた後、ニッコリと笑いながら俺の胸を指差した。


「でもな。俺に代わって暴食スキルを継ぐ者が現れた。お前なら俺にできなかったことをやってくれる。だからな……これを託す」

「ケイロスさん……」


 彼は鞘から黒剣を引き抜いて、俺に渡そうとしてくる。


「お前には、やっぱりこっちに似合っている。俺よりもな。まあ、グリードは口が悪くて大変だろうが、うまくやってくれ。頼れるやつだぜ」

「はい」


 ケイロスから黒剣を受け取る。

 しっくりくるな。この安心感はどの武器よりも勝る。

 強く握ると、グリードが俺に答えてくれる。


「やっとここまできたか。待たせ過ぎだぞ、フェイト」

「グリード……お前。俺のことを知らなかったはずなのに」

「途中から思い出したぜ。ケイロスによって制限がかけられていたがな。おいっ、ケイロス! なぜ俺様にそのようなことをした?」

「邪魔をしてほしくなかったんだ。それにグリードは昔から変わらないってことも知ってほしかった」

「大変だったんですね……すごくわかります」

「おお、同士よ!」


 俺とケイロスで手を取り合っていると、グリードが悪態をつきながら言う。


「今はそんなときじゃないだろ。お前のせいで肝心のルナが取り込まれてしまっているじゃないか。どうする、フェイト?」

「決まっているだろ。ルナをあそこから解放する」


 止まったまま動かない異形の怪物に取り込まれている彼女をまずは助ける。

 そうしないと、今のマインには声が届かないだろう。

 ケイロスは頷きながら、俺の肩に手を置いた。


「またしばらくお別れだな」

「ケイロスさん! 手が!?」

「まあ、そういうことだ」


 俺の肩に置いた手が透けて出していた。


「どうやら時間切れのようだな。俺が消えれば、干渉できなくなる。つまり抑えていたマインの精神が直接お前たちを襲うことになる。ここは完全にマインの世界になる」

「マインの世界」

「そんないいものじゃないさ」


 ケイロスは目の前にいる異形の怪物を見据えた。


「長い間、熟成してしまいマインの心の闇は、あれと同じものになってしまっている」

「あれがマインの闇」

「そうだ。更に憤怒スキルと混ざりあった負の感情ってやつはどこまでも大きくなってしまう。最初は自分でどうにかできる大きさだったのかもしれない。それがいつしか、どうしようにもできなくなったときにな。やっぱり仲間ってやつが必要なんだと俺は思う」


 俺の横には、苦しんだままうずくまっているマインがいた。


「頼んだぞ、フェイト」


 差し出された手を俺は握り返した。


「はい!」


 ガラスが割れるような音と同時に、時間が流れ始める。

 もうケイロスの姿はそこにはない。


 それどころか、俺たちがいた地下の形が変わっていく。

 寒さはまったく変わっていない。それどころか更に冷え込んだように感じる。


「フェイト、この寒さはマインの心そのものだ。取り込まれるなよ」

「ああ、わかっているって」


 マインは今だにうずくまっており、怯えている。

 それに比べて、大人しかった異形の怪物が豹変する。まるで憤怒スキルを持つかのように怒り狂い出す。


 やつの体から飛び出している人たちも、口々にマインを罵り始める。

 ルナだけが目を開いたまま、じっとマインを見ていた。だが、しばらくして体内に引っ込んでしまった。


「ルナ……お前はそのままでいいのか」

「くるぞ、フェイト」


 地下室は時を進めるように風化していく。錆びて、朽ちて、隙間から地下水が流れ込んいた。


 異形の怪物はすべての口で咆哮する。そのまま、マインに向けて突進を始めた。

 俺はその間に入り込んで巨体を止める。


「こいつ……マインを取り込もうとしている」

「抑え込め! マインに決して触れさせるなよ」

「うおおおぉっ」


 少しずつ押し返していく。

 いけるぞ!


「油断をするな!」

「なっ!?」


 異形の怪物は触手のように手を伸ばして、マインではなく俺を取り込もうとしたのだ。


「なら、どちらが強いかを試してやろう」


 マインは言っていた。暴食スキルは大罪スキルの中で一番罪が深いと。

 あれが憤怒スキルと混ざりあっているのなら、まずはそれを分離させる。


「言うじゃないか。大罪スキル同士の力比べといくか」

「おう」


 俺を取り込めるものなら、取り込んでみろ!

 異形の怪物は触手を回して、俺を体内に引きずり込んだ。


 中はたくさんの人達の感情が混ざりあった場所だった。

 その一つ一つが小さな声でとても聞き取りにくい。


「どうした? 何もできないのか?」


 俺を溶かして取り込もうとしているようだが、異形の怪物にはその先ができそうになかった。


 まさか、こんな形で暴食スキルに助けられるとは思ってもみなかった。いつも苦しめられていたのにさ。

 マインの闇と同化した憤怒スキルには効果覿面だ。


 俺を取り込もうとして失敗した異形の怪物に異変が起こる。グネグネと動き出して、異物となった俺を吐き出そうとし始めたのだ。

 俺はこの時を見逃さなかった。心の底から彼女の名前を呼ぶ。


「ルナっ!!」


 手を力いっぱいに伸ばして、彼女を待つ。

 ルナが揃わなければ、俺たちは先に進めない。皆で帰るんだ!

 吐き出されるっ! そう思った瞬間!


「フェイト!」


 俺の名前を呼ぶ声と共に、彼女が手を掴んだ。

 この手は絶対に離さない。

 異形の怪物から吐き出されたときには、俺の目の前にルナの姿があった。


「よかった」

「ちょっと、苦しいって……私は大丈夫だから」


 抱き寄せた彼女は今もマインを見ていた。


「だらしないな、お姉ちゃん」


 ルナは異形の怪物に構うことなく、まっすぐマインのところへ歩いていく。

 あれを放っておいていいのか? マインの闇なんだろ?


「あれではないわ。だってもうフェイトの暴食スキルによって力が弱められたわ。私が開放されたのが証拠。本当の問題は別にある」


 今だにうずくまって怖がるマイン。

 ルナはしゃがみ込んで、彼女をそっと抱き寄せた。


「もう大丈夫だよ。そんな仮面を被って強がらなくても、大丈夫だよ」


 その声はきっと誰よりもマインの心に届いたのだろう。


「お姉ちゃんは何も悪くない。私たちはお姉ちゃんを恨んでなんかないんだよ。ずっと伝えられなくてごめんね」


 ルナは俺に教えてくれていた。マインは後悔して苦しんでいるのではないかと。

 自分だけ憤怒スキルに適応して、残ったルナたちを見捨ててしまったということを。


「あそこを出れるのは、たった一人だけだった。ただそれがお姉ちゃんだっただけのこと」

「……でも」

「悪い大人が嘘をついただけ」


 マインは苦しそうに泣いていた。


「もういいのよ。もうわかっているんでしょ。みんなは、どのようなことしても帰ってこないって。それ自体がお姉ちゃんが許されている証拠よ。そして、私はお姉ちゃんが大好き」


 彼の地への扉が開かれようとしている。その中で、蘇らない人たちがいる。

 彼らはもうこの世に未練がないから、戻ってくることがないという。


 俺の父さんは蘇った。だけど、母さんは生き返らなかった。

 その理由はルナが言ったとおりだ。


「まだ、完全に開けばみんな帰って来られる。そのためにお金もたくさん集めた。みんなで私たちだけの村を作ろうって約束したから」

「お姉ちゃん……もう一度言うわ。もういいの。私はそれを伝えたかったの。こうやって会えるのも、これで最後」

「いや。ルナっ!!」


 泣きじゃくるマインをルナはゆっくりと胸から離した。


「らしくないな。みんなの憧れだったお姉ちゃんはどこにいったの?」


 ルナは俺をちらちらと見て、話を続ける。


「今のお姉ちゃんの仲間は私たちじゃない。今を生きて、お姉ちゃん」

「ルナ」


 体は今という現在にあるのに、心が過去に囚われていては、本来一つのものが離れ離れになってしまっている。体と心が引き裂かれた状態では辛くて苦しいはずだ。


 たとえ、マインのような天才的な武人だったとしても、信じられないくらい長い年月をそんな状態で生きていけば、どこかがおかしくなってしまう。


 俯いていたマインがポツリとこぼした。


「……怖い」


 それを聞いたルナがニッコリと笑いながら、俺を見た。


「大丈夫だよ。だって、今のお姉ちゃんにはここまで駆けつけてくれる仲間がいるじゃない。だからね……フェイトと仲良くしなよ。そうしないとね……許さないんだから」


 マインの頭を優しく撫でる手が……ルナの手が薄っすらと消えかかっていた。

 俺はそれに気が付いて、声をかけようとするが、ルナに首を振られる。


「フェイト、お姉ちゃんのことをお願いね」

「ああ……」


 マインに近づいて、手を取ろうとするがまだやることがあると断られる。


「あれを倒す」


 指差したその先には異形の怪物。

 今も怨嗟の声を発していた。だが今のマインにはそれを受けても、先程のようなことは起こらない。


 彼女は黒斧を手に持つと、異型の怪物に向けて大きく振り上げる。


「お姉ちゃん、今まで守ってくれて……ありがとう」


 ルナの言葉と共に、黒斧は振り下ろされた。


 異型の怪物は砕け散り、光の粒子となって消えていく。それと入れ替わるように、あれだけ凍てついていた気温が、暖かくなるのを感じた。


 消えゆく世界の中で、マインは俺を見つめながら言う。その顔は晴れ晴れとしており、見ているこっちも元気がでてきそうになるほどだ。


「フェイト……だ……」


 その先は最後まで聞き取れなかった。

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