第178話 エリスの魔眼
視界には地下都市グランドルが広がっていた。
俺たちは現実世界に戻ってきた。
目の前には角を生やしたマインの姿があった。
『フェイト! マインの心は取り戻せたが、まだ憤怒スキルの影響下にある』
「ああ、マインを止める」
シンの進行状況も横目で見る。精神世界へ旅立ってからほとんど時間が経っていないようだ。
グリードの言っていたとおりだな。
マイン自身にもう戦う理由はない。スキルによって無理やり戦わされているだけだ。動きが打って変わって、悪くなっている。
これなら、俺でもいける。
精神世界でやったように暴食スキルの力で、彼女を憤怒スキルから解き放つんだ。
身をよじって黒斧を躱す。そして、マインのがら空きとなった横腹に黒剣を斬り込む。
「グリード、調整を頼むぞ」
『任せろ。フェイト、楽にしてやれ』
ごめん、マイン。
横一閃が、きれいに決まる。
同時にマインの瞳に宿った怒りの色が緩んだのを感じた。
『でかした!』
手からも黒斧が滑り落ちていく。
俺を見る瞳は段々といつものマインに戻っている。
「マイン!」
倒れ込む彼女を受け止めて、俺は心底安堵した。
こんな戦いは二度とゴメンだ。
腕の中で彼女の額に生えていた二本の角にヒビが入り出す。
「よかった。本当によかった」
「……フェイト。私……」
「今は何も言わなくてもいいよ。ずっとマインに頼ってばかりだったんだからさ。これからは俺もマインに頼られるように頑張るよ」
「うん」
「だからさ……これからも、よろしく!」
マインは大きく目を見開いて、静かに頷いた。
二本の角は更に大きくヒビが入り、限界まで達したところで、粉々に砕け散った。
彼女は力をかなり消耗したようで、俺の腕の中で眠るように気を失ってしまった。
なんにせよ大罪スキルの力を引き出したのだ。暴食スキルと似たような疲労感が襲ってきたのだろう。
どこに寝かせたらいい? 今はまだ戦闘中だ。
『フェイト、あそこの建物の中へ』
グリードが言うところを見ると、亡者の一人がこっちに向けて手招きしていた。
「信用していいのか?」
『同じガリア人のよしみってやつだ。それに亡者が俺たちに干渉する術はない。こいつにはこれで十分だ。お前が一番よく知っているはずだ。マインは強いってな』
マインを寝かせて、亡者にお礼を言う。
戦いの最中だというのにスヤスヤと眠りやがって、困った憤怒さんだ。
グリードの言うように、シンがマインに何かしようとしても、彼女なら問題なく反撃するだろう。
眠っていても、いつでも戦えるようにしているのが、マインなのだ。
『よく勝てたものだぜ』
「あれは、勝ったとは言わないさ。それに元々勝ち負けじゃなかった」
『だな。しかし、勝ち負けをはっきりさせないといけない奴がいる』
「シンだな」
今だに銃声が鳴り響いている。エリスが頑張っている証拠だ。
シンが地上にあるハウゼンに住まう人々を生贄とする前に倒す。
「行ってくるよ、マイン」
マインを亡者に任せて、俺は建物を出た。
シンは先程より上昇している。
「グリード、準備はいいか?」
俺は黒剣から黒弓に変えながら言う。
『待ちくたびれたぜ。じゃあ、頂こうか』
「持っていけ、俺の10%を!」
イメージするんだ。ケイロスのようにもっと第一位階の奥義を使いこなすんだ。
精神世界で示してくれた手捌きや集中力を自分の中に落とし込んでいく。
禍々しく成長していく黒弓を片手に標的を見据える。
狙うはシンではない。彼が地上に出るために足場としている場所――赤く透明な幹に狙いを澄ます。
エリスの銃弾を持ってしても、吹き飛ばすことができなかった。なぜなら、穴が開いてもすぐに再生してしまうからだ。
あれをなぎ倒すには、再生を上回る火力をぶつけるしかない。
『この感覚は!? フェイト……お前……まさか』
集中しろ。ブラッディターミガンの本来の威力を極限まで引き出すんだ。
視野に入る世界の魔力の流れに乗せて、黒き稲妻のような一撃を放つ。
「いっけぇぇぇっ!」
ケイロスのおかげだろうか。暴食スキルでの戦い方を見せてもらったことで、俺の戦いに幅というか余裕が生まれてきた感じがする。
黒き一撃は、寸分違わず赤く透明な幹を吹き飛ばした。
「よしっ」
『一気に詰め寄るぞ』
崩れゆくそれの頂上にいるシンが、俺を見て苦々しい顔をした。
「暴食! お前はなんで……いつもいつも僕から奪っていくんだ」
俺は黒弓から魔矢を連射して、シンに叩き込む。
エリスも好機とみて、攻撃を加速させる。
「くそっ、マインはやられたのか? あの一瞬で何をした?」
「マインは初めからこんなことを望んでいなかった。彼女はお前の仲間じゃない。俺たちの仲間だ!」
間合いに入ったタイミングをみて、黒弓から黒鎌へと変える。
シンが壁のようにして召喚する赤い魔物たちを斬り裂く。
もし、これがスキルに起因するものなら、この刃の前には無力だ。それに今の俺なら、どんな強力なスキルでも押し負ける気がしない。
「くっ……ここまで来たのに、また邪魔をされてしまうのか。うまく行っていたのに……僕は彼女の願いを叶えたいだけなのに、また……邪魔をするのか!」
「邪魔をするさ。ハウゼンに住む人々は、決してお前のために生きてきたわけじゃない」
「僕はまだ負けていない」
赤い瞳で俺を見つめて、体の動きを封じようとする。
これは王都セイファートで受けたものと同じだ。
「なにっ」
あのときの俺なら、うまく動けなかっただろう。だけど、あれは俺にとって、遠い過去に思えることだ。
それくらいの瞳力で俺が止められるわけがない。
「また……か。こうするしかないのか……」
当然にシンが俺に背中を向けて、逃走を試みた。
「逃げるのか!?」
「僕は永遠だ。チャンスなんていくらでもある。今は見逃してやる」
お前がそれを言うのか。
俺の前にまたしても赤い魔物が割って入ってきた。その数にはきりがなくて、次々と湧いてくる。
しかし、シンが逃げる先にエリスが立っていた。
「色欲か……お前では僕を止められない。大罪スキルの中でもっとも弱いお前では無理だ」
脅しのつもりなのか、シンはエリスにそう言い放つ。
そのまま、手を鋭い刃に変えて、襲いかかった。
「丁度いい、お前だけでも暴食から奪ってやる」
だが、シンはそのまま動きを止めてしまった。
俺は赤い魔物を斬り払って、近づいたときの彼女の瞳は真っ赤に輝いていた。
何らかの魔眼を使用して、シンの動きを止めたらしい。
「フェイト、早く。長くは持たないよ」
エリスの目からゆっくりと血が零れ落ちていた。
無理をさせまいと思っておきながら、負担をかけてしまった。
これ以上は彼女に魔眼を使わせるわけにはいかない。
「グリード、俺の20%を持っていけ」
『決めてしまえ、フェイト!』
黒鎌は俺の力を吸って、成長していく。三枚刃の大鎌へと変貌を遂げた。
俺は渾身の力で《デッドリーインフェルノ》を動けなくなったシンに叩き込む。
「ガハッ」
シンの上半身と下半身は斬り分けられて地面に倒れ込んだ。下半身は奥義の力によって、崩れ落ちていく。
さすがは集合生命体だ。俺としては、この一撃でシンのすべてを喰らうつもりだった。頭の中に無機質な声が聞こえないのなら、この攻撃ではシンを倒せていないことを示している。
案の定、上半身になってもシンは生きていた。
それでもシンの力の大部分を奪うことに成功したようだ。
俺たちを追いかけていた赤い魔物が崩れ落ちて跡形もなく消えてしまったからだ。
地面を這いずり回って、無様だった。
「また分体の目覚めを待つわけにはいかない。ここまで来たのに……ミクリヤ助けて。僕はまた失敗してしまう」
まるで子供が母親に助けを求めるかのようだった。
ミクリヤという名前は聞いたことがあった。精神世界でケイロスと親交があった研究者だ。
こんな姿を見せつけられると、黒鎌を握る手が鈍ってしまいそうだ。
『フェイト、やるんだ』
「君は優しい。だけど、これは生かしてはおけない。僕が代わりにとどめを刺してあげたいけど、その力はないから……残念だけど、君にお願いするしかない」
グリードとエリスに促されるように、シンの魔力の流れをしっかりと調べていく。
彼の核は頭にあるようだった。先程切り裂いたときは腹にあったのにな。
よく見ていくと核が体内で動いていることがわかった。だから、先程のデッドリーインフェルノを受けて生きていたのか。
だが、そのからくりがわかってしまえば、容易い話だ。
「グリード、俺から20%を持っていけ」
『今度こそ、決めろよ。これ以上のステータス低下は危険だぞ』
二度目となる第二階位の奥義を発動させる。
力が抜ける感覚と共に、三枚刃の大鎌へ成長を果たす。
「くそぉ……」
シンの体内で核が逃げ惑うように動き回っていた。
それでも、これほど簡単なことはない。マインとの戦闘に比べれば、容易い。
「これで終わりだ!」
振り下ろした《デッドリーインフェルノ》。核に呪詛を送り込むことで、必ず相手に死を届ける奥義――。
キィィィーン。という金属同士がぶつかり合う音があたりに鳴り響いた。
デッドリーインフェルノが止められてしまったのだ。
それをやってのけたのはシンではなく。俺にとって望まぬ人だった。
「フェイト、それはまずい。せっかくここまで来たんだ」
「父さん」
黒槍で俺の奥義を容易く受けて止めてみせた。
ニヤリと笑うとそのまま押し返してきた。
「どうやら、間に合ったようだな。こいつには、この黒槍をもらった借りがあるし。それ以上に、彼の地への扉はどうしても開いてもらわなければいけない」
「それくらいで、こいつの味方をするのか。なんで、父さん……」
睨み合っていると、エリスが倒れ込む音がした。
「エリスっ!?」
「おっと、忘れていた。彼女には眠ってもらっている。魔眼を使われたら面倒だからな」
「父さんは何をしようとしているんだ?」
黒槍を向けながら、父さんは懐から真っ赤な石を取り出した。あれは王都の研究施設から奪った賢者の石だ。
あれはシンの分体でもある。
「俺の方でかなり育てさせてもらった。お前もこっちへくるか?」
「それはもう僕じゃない。そっちに行ったら、僕ではなくなる。ただのあなたの道具だ」
「だとしても、少なくともお前の願いは叶う。なら、選ぶまでもないだろう」
しばらくしてシンは頷いた。
「フェイト、そういうことだ。悪いがこの戦いはここまでにしてもらおう」
「父さん……」
「そんな顔をするな。お前に言っておくが、ライブラは今回の一件が成功しようがしまいが変わらない。地上のハウゼンを含めて、この地下都市ごと消滅させる気だ」
「あいつは彼の地への扉が開くのを防げたら、ハウゼンには手を出さないと言った」
「だから、約束を守ると本当に思っているのか。あいつの目的はこの世界の均衡を崩す者の排除だ。つまり、今ここにライブラにとって都合の悪い者たちが一同に集っている。この好機を逃す男ではない」
父さんは手を上げて、俺たちの頭上を指し示した。
「感じるだろ。この一帯を覆い尽くすような得体の知れない力を?」
意識を集中させて、地上を……更にはその上空まで魔力の探知を広げる。
「これは……なんてことだ」
「ほらな。あれはずっと俺たちの頭上で気配を消していた。そして、今動き出したってわけだ。さあ、どうする。ここで俺と戦って、時間を費やすか? それとも地上へ戻り、迎え撃つか?」
「俺は……」
黒鎌から黒剣に変えて、父さんに剣先を向ける。
「やるか? 俺は構わない。お前の決めたことなら、最後まで付き合ってやる」
「それはいけません!」
睨み合う俺たちに割って入ってきたのは、ロキシーだった。
彼女は目を覚ましたスノウを連れて駆け寄ってくる。
「今はそのようなときではないです。スノウちゃんも同じように言っています。地上へ戻りましょう」
「だけど、それじゃあ……彼の地への扉が」
「上にはあなたの領民たちがいるのですよ。フェイ!」
ロキシーはスノウからハウゼンの危機を聞いて、居ても立っても居られなくなり、俺のところへやってきたのだった。
このまま父さんと戦えば、おそらく消耗した俺では分が悪い。
どちらにせよ時間がかかり過ぎるだろう。その頃には上空に控えるあれによって、俺たちはハウゼンもろとも焼き払われている。
俺は黒剣を鞘に収めた。
「いい子だ。あと、ライネもここに来ている。お前に会いたがっていたぞ。この娘のことも任せておけ。悪いようにはしない。さあ、いけ」
「フェイ! 早く」
くそったれ。シンを倒せなかった。
それどころか、彼の地への扉が開くことを許そうとしている。
地上へ駆け出す俺に向けて、ロキシーが元気づけてくれる。
「大丈夫です。だって、フェイは第一の目的を達したではないですか?」
「マインのことか」
「はい、私はそのことが嬉しいです。扉が開いて何が起こるのかは私もわかりません。ですが、今ある生命を守ることよりも、大事なことはないです。それはフェイにしかできません。ですから、今はハウゼンを守ることに集中してください」
「ロキシー……そうだな。急ごう!」
「はい!」
俺たちはここまで来た道を逆走して駆け上がる。
時折、地震のような揺れが発生し始めている。一体、地上で何が起ころうとしているんだ。
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