第108話 静かな異変

 ラーファルによって大きな被害が出てしまった軍事区の復興はもう少しで終わろうとしていた。軍事区に並び立つ高い建物の明かりは戻り、そこで働く研究者たちが忙しなく働き、今までに失った時間を少しでも取り戻したいと言わんばかりだ。


 ロキシーの部下である壮年の男ムガンには、そこで働く娘がいるのだが、寝る間も惜しんで研究に没頭しているようで、全く家に戻ってこないと嘆いていた。


 彼は俺のことをガリアで会ったときから気に入っていたみたいで、事あるたびに酒場に誘われる仲になってしまった。今も日が暮れてから行きつけの酒場で、彼と酒を飲んでいる最中である。


 ムガンは酔うとよく喋る。その話のほとんどは年頃の娘がガリアの失われた技術の研究にしか興味ないという内容だ。


 父親としては彼女の将来をあんじて人並みの家庭を持ってもらいたいと、ワインをガブガブと飲みながら熱弁を振う。そんな娘が最近、俺にご執心なのでムガンは酒を一緒に飲むたびにいろいろと聞いてくるのだ。


 ムガンは勘違いしている。


 彼女が興味があるのは、俺が持つ暴食スキルと黒剣グリードだ。いつもそう言っているものの、彼には信じてもらえないようだった。


「フェイト、娘のライネと今日も何をしていたんだ?」

「いつものやつだよ」

「本当か?」

「なら、次は付き添ってくれよ。そのほうが助かるし」


 今日は昼過ぎから、軍事区にあるライネの研究室に行って、身体検査を受けていたのだ。


 なんだかよくわからないゴテゴテとした機械が付いたヘルメットを被らされて脳波と呼ばれるものを計っていた。この前は注射で血液を取られたし……こういったら何だが、俺は実験動物のような感覚をたまに覚えてしまう。


 グリードも似たようなことをされていたけど、最後にピカピカに磨いてもらえるので、苦ではないようだ。あと、ライネにやたらと褒められるので気分がいいらしい。


「そうだ、ライネに言っておいてくれ。明日からは用事ができたから当分行けないってさ」

「ああ、わかった。話はロキシー様から聞いている。確かにホブゴブの森で不穏なことが起こっているのは俺の耳にも届いていたからな。ゴブリンに異変が起こっているそうだな」

「王都へ往来する行商人に被害が出ているらしい。まだ事態は大きくないが、芽は早く摘んでおいたほうがいいからな」

「ゴブリン程度に聖騎士様が二人とは大袈裟過ぎる感じもするがな……」


 ムガンは眉間にしわ寄せながら、手に持ったワインを飲み干した。


 すると、酒場のマスターが空になったワイン瓶を下げて、片手に持っていた新しい物を俺達のテーブルに置いた。そして、困った顔して言うのだ。


「何やら、物騒な話をしているな。しかし、ここへ出入りする武人たちもその噂をよく口にしているよ。儂のような商売人としても、早く収まってほしいものだ。期待してるよ、フェイト」

「善処します。酒場への仕入れにもう影響が出ているんですか?」

「いや、まださ。だけど、この前の騒ぎになったはぐれ魔物リッチのようなことはゴメンだ」


 俺は飲もうとしていたワインを吹き出しそうになった。そんな俺の様子に満足したマスターは他の客の注文を取りに離れていってしまう。


 口を袖で吹きながら肩を落としていると、ムガンがニヤニヤしながら言ってくる。


「あのリッチ騒ぎは儂もよく知っているぞ。お前はなんだかんだ言って、いろいろなところで大暴れしているよな」

「やめてくれよ」

「ハハハハハッ……悪かったよ。明日はよろしく頼む」


 ワインの栓を開けて、俺のグラスになみなみと注ぎなら言うムガンは、どこか不敵な笑みをこぼしていた。彼がこういった顔するときは、ろくなことがない場合が多い。


 俺はその理由を予想してみて、頭を抱えてしまう。


「まさか、あの子も来るのか?」

「察しが良いな。まあ、そういうことだ。あいつの面倒はお前が見てくれ、くれぐれもロキシー様に迷惑だけはかけないようにな。儂が日頃どれだけ苦労しているかを思い知るといい」

「うあああああぁぁぁ」


 あの炎の魔剣使いの少女がやってくるのか……。あの子は俺を目の敵にしているんだよな。


 いつもはその間にムガンが割って入ってくれて助かっているのに、今回はそれが無しときた。


「ムガンはなんで今回は同行しないんだ? 彼女の保護者なのに」

「保護者じゃないわい! 儂はエリス様のお供で少しの間、王都を離れることになった。てっきり、話はいっていると思っていたが」

「へぇ~、初耳だな」


 エリスはラーファルの研究していた内容の確認がほぼ終わったと言っていた。俺が知っているのはそれくらいで、詳しい内容は今度会ったときにじっくりと話す予定だったのだ。


 ムガンが言うには、ここから東に行った山岳都市テンバーンにラーファルのもう一つの拠点があるそうだ。そこをエリスに同行して、更に調べるという。


 俺はそのテンバーンという都市に行ったことないので、どういったところかと聞けば、四方八方が高い山々に囲まれており、都市は標高三千メートルくらいの場所にあるみたいだ。


 そこまでは細い山道を使って行き来するしかなく、住むには適さないというのだ。


 では、なぜそのようなところに都市があるのかというと、周りの山々から希少な鉱物が産出されることや、古代のガリアの遺跡などがあって失われた技術を発掘もされている。


 表立って、民には口外されていなけど、王国には無くてはならない場所の一つだった。


 どうやらガリアの技術はこの王国内でも、いろいろな場所に点在して今も残り続けているらしい。


 てっきり、俺はガリア大陸内のみだけで、王都で研究されている技術を取ってきているのだと思っていた。ムガンの話を聞くに、そうではなかったようだ。


「なるほどな。テンバーンのお土産を期待しているからな」

「旅行じゃないんだよ。そんな物を買って帰る暇があるかっ!」

「だろうな。エリスが付いているから、大丈夫だろうけど。無茶はするなよ」

「わかっている。フェイトたちが戦った痕を見て、つくづくそう思ったわ」


 互いにワインを飲み交わし、最近の王都軍の状況や、王都の王様としてエリスが表立って姿を表したことでどのような影響が出ているかなど、話し込んだ。


 そして、また内容は娘のライネの話に戻ってくるのだ。見た目は、こんなにいかつい顔をしているのに、愛娘の話になれば頬をほころばせる。人の親とはそういうものなのだろう。


 酒場を見れば、商人や武人など顔を赤くして、酒を飲み干しては騒いでいた。ここだけ切り取れば、王都セイファートにまた平穏が訪れるだろうと誰もが信じているように感じられた。


 しかし、不穏な気配はゆっくりと確実に忍び寄ってきていたのだ。俺とロキシーが原因を突き止めた頃には、既に王都へ暮らす人たちへの大きな被害が発生してしまった後だった。


 だけど、あのときの俺たちには何がどうなっているのかなんて、予想だにできなかったんだ。


★☆ ★ ☆


次の日、俺はとても元気な声によって、眠りから起こされてしまう。ここのところ、夢の中――精神世界でグリードとルナにひたすらしごかれている。


 初めの内はグリードと戦っているのだが、次第に戦いが激化していってルナを巻き込んで怒らせる。というのが繰り返されていている感じだ。


 あの世界はルナが作り出したものなので、彼女だけが無敵だ。だから、最終的に俺とグリードは白旗を上げて許しを請う流れとなっている。


「今日もまだ眠たそうです。早く起きてください、フェイトさん!」


 頭にメイド用のカチューシャを付けた少女が俺を起こしてくれる。九歳になるというのに子供っぽさがなくて、とてもしっかりしている。


 あれから長くなった淡いピンク色の髪を仕事の邪魔にならないように左右に束ねて、今日もそれを右へ左へと揺らしていた。


 この子……サハラとの出会いは、ロキシーの使用人になる前まで遡ってしまう。暴食スキルに目覚めたばかりだった俺は、偶然にも人攫いの男に誘拐されていた彼女に出会った。柄にもなく助けようとしてピンチに陥ってしまったりもした。


 そして、格上の敵だったけど、グリードのその場の機転によってなんとか倒せたのだ。

 彼女は持たざる者で、第一陣となる王都からバルバトス家の領地への移民の中に入っていた。そのときに王都を旅立つ人々を見送っていたら、サハラは俺の顔を覚えていてくれたようで、駆け寄ってきてくれたのだ。


 どうやら、サハラはあのときのお礼がちゃんと言えていないことをずっと気にしていたようだった。


 なんでもいいから役に立ちたいと言われてしまい、あのときはかなり困ったものだ。ちょうど横にいたアーロンが、閃いたような顔をしてあっけらかんと言ってみせる。


 それを聞いて、頭を抱えてしまったのも今になって思えば、良い思い出だ。


 バルバトス家には使用人がほとんどいないという問題を抱えていた。だから、アーロンはやる気があるのなら、メイドをしてみるかと誘ったのだ。


 サハラはその提案に二つ返事で了承してしまう。俺はその横で成り行きを見守りつつ、状況を飲み込めずにいた。


 そしてサハラに眠りから起こされているこの日常に、まだ慣れていないのだった。


「えっと、おはよう」

「おはようございます」


 ベッドから立ち上がり、欠伸を一つ。横目でサハラを見ると、テキパキと乱れたベッドの上を直し始めていた。


「アーロンは屋敷からもう出ていった頃かな」

「はい、今日もいつものようにお城へ行かれました。あっ、メミルさんも今日は同行されています」

「そっか……メミルと一緒か」


 少しホッとしてしまう俺がいた。メミルがこの屋敷の使用人としてやってきて一ヶ月ほど経った。その間に仲良くなったかと言われると、頷けない感じだ。


 お互い過去にいろいろとあったことで、なんとなく距離感が掴めずにいたからだ。決して憎しみ合っているとかいう感じはなくて、逆に気を使いすぎると言ったほうがいいだろう。


 だから、アーロンがお城へ行ってしまい。かつ、サハラが用事や買い物などで出ていったときが特に困った時間だった。広い屋敷で二人っきりになったときのピリピリとした空気は思わず自室へと逃げ出したくなる。


 なんとかしないとな……と思いつつ、ここまでズルズルと来てしまった。


メミルからも俺との関係をうまくしたいという気配を感じる。たまにチラチラを俺のことを見ているからだ。そして、何か言おうとして、思いとどまりどこかに行ってしまう。


 どうしたものやら……。悩める俺を見かねたサハラが言ってくる。


「メミルさんと仲良くなりたいなら、お食事でもお誘いになったらどうですか。私としても、お二人が素直になってもらえると、仕事がしやすいです」

「はい……全くそのとおりです」


 九歳の女の子に諭される俺。情けなすぎる……。


 壁に立て掛けているグリードが、その様子を見てゲラゲラと笑っているように見えた。

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