第94話 血の渇き
俺は構わず、噛まれたまま黒剣を押してラーファルを一気に後方へと連れていく。
そのまま研究施設の外壁にぶつけて、アーロンの下へ飛び退いた。
「アーロン、怪我は?」
「大丈夫だ。しかし、少しばかり血を流し過ぎたか」
傷はステータスのおかげで、塞がりつつある。
地面にはそれまでに流してしまった多すぎる血が広がっている。俺から見てもアーロンの顔色はよくない。
それでも、彼は立ち上がる。そして、ラーファルがいる方向へ目を向けた。
崩れた外壁。その下から、積み上がった瓦礫を吹き飛ばしてラーファルが現れる。アーロンや俺が付けた傷はすっかり直っている。頭の一部が欠損、さらに胸にあれほどの大穴が空いたにも関わらずだ。
不死身であり、もう人ではないか……。人間の急所――失えば即死となる頭や心臓に攻撃を加えても、動くのだ。
人の皮を被った化物。そんなラーファルにアーロンは言う。
「そうなることが、果たしてリナ・ブレリックの望みだったのか?」
「うるさい、黙れ」
「もし実の我が子にこのようなことを望んだのなら、悲しいな。ラーファルよ」
「黙れと言っているだろうがっ! くっ」
突然、ラーファルがその場で膝を付いた。そして、呼吸が荒く、何かに耐えているようだった。
この感じは俺と似ている。暴食スキルが生き物の魂を喰らいたいと俺に訴えかけてくる……飢えに同じように見えた。
俺はガリアでハニエルを喰らった時に、ルナの力を得た。彼女が暴食スキルを抑えてくれるおかげで、今では少しばかり魔物の魂を摂取するだけで均衡が取れている。
でも、それは半飢餓状態までだ。もし暴食スキルのすべての力を引き出してしまえば、ガリアで天龍と戦ったように戻ってこれなくなってしまう。
ロキシーに、あれほどまでしてもらって救われた命だ。もうあの力は使わないと決めている。
それに本当の飢餓状態に至ってしまえば、暴食スキルは間違いなく彼女を……欲するだろう。
ルナはロキシーを柱と表現した。もし暴食スキルを治めるための人柱だったら、考えただけでも恐ろしい。
そして、目の前にいるラーファルからも、そんな自分では抑えきれない衝動をまざまざと感じられるのだ。
「クソッタレ、こんな時にまたか……チッ」
悪態をついて舌打ちするラーファル。何かに抗うように己の髪を掻きむしる。
そして太ももに巻きつけてあったケースから、二本の細長いガラス瓶を取り出す。
中には赤い液体が入っており、それを一気に飲み干したのだ。
「これだけでは、まだ足りないのか」
ラーファルの異変に伴って、ナイトウォーカーたちの規律が乱れていくのだ。いつの間にか、この騒ぎを聞きつけた聖騎士たちや兵士たちが、遠くの方で応戦し始めている。
その中には王直轄である白騎士二人の姿もあった。
アーロンに顔を向けると、頷いて言う。
「王命が他の者たちへ届いて、やっと動き出したようだな」
「あの動きの鈍ったナイトウォーカーなら、彼らでもなんとかなりそうですね」
「そうだな、あとは」
再び、アーロンはラーファルに目を向けた。
「ラーファル、その力はお前には過ぎた力なのだ。強大な力には、代償がつきものだ。そして同じように責も生じる。しかし、お前はその力すら向き合おうとしていない。儂が知っている者は、その力に恐れながらも向き合い前に進もうとしている」
「何を言うっ! そいつだって俺を憎み、力を欲したはずだ。そう思うほどに痛め続けてやったんだからな。なあ、フェイト……俺が憎いだろ」
ラーファルは俺を挑発してくる。それを遮るようにアーロンは続ける。
「お前たちになにがあったのかは、儂が知る由もない。ラーファルの言うとおりだったのかもしれん。だが、初めはそうだったとしても、ハウゼンで儂と会ったフェイトの目にはそのような色はもうなかった」
俺の肩に手を置いたアーロンは力強く頷いた。
それに応えるように、俺は今言えることを伝える。
「ラーファル、お前は可哀想なやつだよ」
「やめろっ、お前にだけは言われたくない。ハドを殺したあの時を思い出してみろ、あの憎しみを!」
「……あのときの俺は否定しない。だからといって、今でもあのままではいられないんだ」
黒剣をラーファルへ向けて、詰め寄る。いくら不死であっても、変調をきたして力が衰えつつあるのなら、拘束することは可能だ。
真っ二つにしたハドは未だに再生中で、元通りには至っていない。主であるラーファルの力が弱くなった証拠でもある。
案の定、ラーファルは黒槍の空間跳躍攻撃をせずに、俺を懐へ入れてしまう。
再び重なり合う、黒剣と黒槍。今度は俺の方がラーファルを押している。
「お前には聞きたいことがある。どこでその力を手に入れた? その黒槍もだ」
「聞いてどうする? 俺がそれを正直に言うとでも思うか」
「なら、言わせるまで」
少しずつ少しずつ、黒剣を押していき、ラーファルの左肩へ食い込んでいく。
薄っすらと苦悶の表情を浮かべ歯を食いしばる。
不死だとしても痛みはあるようだった。それなら、俺に頭を吹き飛ばされて、アーロンに胸に大穴を開けられた時の痛みは、想像を絶するものだっただろう。
お前……そこまでしてでも。
そんなことを思ってしまった俺の目をラーファルは睨み返す。
「ハド、この出来損ないが! 俺の命令を聞け! 動きやがれっ」
再生中のハドが中途半端に引っ付いた体から、背中にある黒い翼を動かして飛び上がる。
アーロンがすぐさまハドに攻撃を加える。しかし片羽のみ切り落としただけ。
飛び出した勢いは殺せずに、俺とラーファルが対峙している場所に突っ込んできた。
たまらず、俺は飛び退いてハドを躱す。
そしてハドは俺とラーファルの間に入るように立ちはだかった。
「ハハッハ、偶には使えるじゃないか」
ラーファルはハドを盾にしながら、外壁の穴が空いた場所から研究施設へ入っていく。
そこは俺が最初に忍び込んだブレリックの研究施設だった。
「邪魔をするな、ハド」
折れた聖剣を振り回して、俺の行く手を阻もうとする。
ぱっくり割れたままの頭では、俺をしっかりと捉えるのも難しいようだ。
容易く腹を切り飛ばし、上下に分断する。
俺は死ねないハドを転がす。この状態でも少しでも再生しようとしていた。
後ろからアーロンの声が聞こえる。
「ハドとナイトウォーカーは儂に任せろ。ラーファルを追え、お前のためにも決着をつけろ」
「はい、アーロンも無理はしないでください」
傷は完全に塞がっているみたいだけど、失血が多かった。本来なら安静にしておいたほうがいい。アーロンは戦いの場で弱音は吐かない人だ。この場は甘えさせてもらおう。
ラーファルを追って、建物内に入っていく。
どこへ行ったのか。上か……それとも地下か?
「きゃああぁぁ……」
聞こえてきたのは、俺がハドによって吹き飛ばされた時にできた穴からだった。
この穴は地下へと続いている。
先程の悲鳴はラーファルによって襲われた人のものだとしたら……奴がいるのは地下になる。
ナイトウォーカーの研究をしていたのも地下だった。奴にとって必要なものがそこにある可能性は高い。
それに先程の声には聞き覚えあった。そう、ラーファルの妹であるメミルだ。
ハドに吹き飛ばされる前まで、俺はメミルを抱えていた。ラーファルがここへ降りて、メミルを見つけたのかもしれない。
妹に手をかけたのか……。嫌な予感しかしない。
思わず、柄を強く握ってしまったみたいで、グリードが《読心》スキルを通して言ってくる。
『おいおい、ここまできて先に行かないのか?』
「今飛び降りようとしていたところさ。なあ、ラーファルは大罪スキル保有者になったのかな」
俺は穴の中へ飛びながら、グリードに聞く。
『それは保有者であるお前が一番わかりそうなものだが』
「なんというか、似ているようで違う。変な感じなんだ」
『フェイトにしては、なかなかいい線を言うようになったじゃないか』
「なんだよ、それ!」
『もうすぐ、わかるかもしれないぞ』
ハドを発見した場所。幾つもの巨大なガラスケースの中を赤い溶液で満たして、いろいろな生き物が収められた部屋が見えてきた。
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