第75話 真に迫る

 死体となって横たわるノーザンを眺めていると、お決まりの声が聞こえてきた。


《暴食スキルが発動します》

《ステータスに体力+2.0E(+8)、腕力+1.8E(+8)、魔力+2.1E(+8)、精神+2.4E(+8)、敏捷+1.4E(+8)が加算されます》


 これがEの領域のステータス。あれっ!? スキルに追加がない…………。暴食スキルの狂乱と共に遠のく意識の中で、ノーザン・アレスタルの存在に違和感を感じずにはいられなかった。


 気がついたら俺は何故か、真っ白な空間にいた。


 どうしてだろうか、ここに来たことがある記憶がある。思い出せそうなのに、何かが引っかかっているように後もう少しで出てこない。


 どこまでも真っ白な世界を見回して、思い出そうとしていると、突然一人の少女が現れた。


 その少女もまた、あまりにも白かった。この世界の一部だと言ってもおかしくないくらいに。


 彼女は俺を見て、ため息をつく。


「あれほど、無茶をしないでって言ったのに……私だけでは、そろそろ限界なのに」


 彼女はそう言って、足元の白い地面を指差した。すると、薄っすらと下の暗闇が見えてしまう。そこからは得体の知れない者たちの怨嗟の声が響いてくる。


 本能的にわかってしまうほど、恐怖に満ち溢れた世界がこの下にあった。それを見せつけられて、やっと俺はここを思い出した。夢で一度だけ見た場所だ。


 この目の前にいる少女も知っている。そしてこの人は、


「君は……俺が倒した機天使の中にいた娘だよね」

「ええ、そうよ。よかった。初めてだね、ちゃんと話せるなんて」


 無表情だった彼女は初めて笑って、自分の名を口にする。


「私はルナ。そうだ! お礼を言っておくね」

「何の礼?」


 首を傾げる俺にルナは呆れる顔をした後、すごく真面目な顔をして言う。


「私を殺してくれて、ありがとうね」


 なんて返していいかのか、わからずに言葉を失ってしまう。俺の中で彼女を良くも悪くも殺してしまったことに、罪悪感を感じ続けていたのに……。


 そう言われて、正直喜んでいいのか、わからなくなってしまったのだ。


「そんな顔をしないで……当人が良いって言っているんだから、あれはあれで良かったのよ」

「……それでも俺は……良かったなんて言えない」

「強情な人なのね。まあ、ここから見ていた分にはなんとなく分かっちゃったけど」


 なんだろうか……サラッと俺のプライバシーを侵害しまくることを言ってのけたような。


 そんな俺の心情なんて、お構いなしにルナは話を続ける。この一方的な物言いは、マインを連想させられる。顔もなんだか似ているし。


「ちょっと、聞いているの?」

「ああ、それでここはなんなんだ?」


 ルナは、こいつ全然聞いていなかったなっていう顔しながらも、教えてくれる。


「暴食スキルに喰われた者たちが集まる精神世界みたいなものかな。そして、この空間は私の力によって作っているのよ」

「ふ〜ん」

「その顔!? あまりわかっていないでしょ! いいのかな、私がこの空間を展開しているおかげで、暴食スキルの影響を受けにくくなっているのに、そんな態度でいいのかな!」


 マジか……思い返してみれば、機天使ハニエルを喰らってからというもの、俺の中の暴食スキルは異常なくらい落ち着いていた。


 多少、訓練と称して飢えに耐えることをしてきたけど、それでもずっとおかしいと思っていた。今その答えがわかってしまった。


 まさか、喰らった相手が俺を守ってくれていたなんて……。


「どうしてそんなことを」

「だから、言ったでしょ。殺してくれてありがとうって。そのお礼よ。……だけど、これ以上は無理みたい。私はあなたの柱になれそうにないみたい」


 真っ赤に染まった瞳で、ルナは悲しそうに白い世界を眺める。

 いつの間にか、彼女と話している間に、世界にほころびが生じていた。


「天竜は喰らうべきじゃない。喰らってしまえば、もう私の力ではどうしようもない。あなたがあなたではいられなくなる……絶対に」


 だからといって、ここで止まるわけにはいかない。ここから出る方法を聞こうと思っていたら、足元の地面が綻びによって、ぽっかり穴が空いてしまう。


「うああぁぁ」


 あわや暗闇の底へ落ちそうになった俺を助けてくれたのは、見知らぬ赤髪の男だった。俺よりも年上みたいで、背がうんと高い。


 そいつは悪態をつきながら、偉そうに俺の手を掴んで引っ張り上げてくれた。


「全く……返事がないと思ったら、こんなところにいたのか。俺様だけでは、限界だ。もうすぐ天竜の束縛が消えるぞ」

「その声……まさかグリードなのか!?」

「ああ、そうだ。仮初めの体だがな。それと礼を言うなら、そいつに言うのだな。俺様をここへ呼んだのもそいつだ」


 グリードは面倒くさそうに、ルナを指差した。知り合いなのか、なんだか居づらそうな顔をしている。

 いつも武器であるグリードしか知らないので、人として表情を持つ姿は新鮮だった。


「おい、そんなにジロジロと見るな」

「……もしかして、お前って元は人だったとかなのか?」

「チッ。そんなこと、今はどうでもいいだろが。いくぞ、時間がない」


 それも、そうだ。グリードが帰る道を知っているのなら助かる。


「グリード、力を貸してくれ」

「当たり前だ。だから、俺様はここへ来たんだ」


 俺はルナに向けて言う。


「それでも天竜を倒すよ。飼い主を失った天竜をあのままにはしておけない」


 ルナは何も言うことはなかった。ただ静かに頷くのみだ。


 俺にグリードが手を出してきて、握手を交わす。すると光りに包まれて、気がつけば元の場所――ガリアに戻ってきていた。俺の右手で黒剣グリードをしっかりと握っていた。


「帰ってきたのか……」

『そうだ。手間を掛けさせやがって』

「ごめん」


 上空には光の十字架による束縛で身動きがとれない天竜。しかし、その束縛が薄れていて今にも解けそうになっている。ここまで劣化してしまうと、どんなことをしても瓦解するのは時間の問題だろう。


 俺はふと、地面に転がっているノーザンを見る。こいつを喰らっても、ステータス以上の恩恵は得られなかった。大罪スキル保持者なら、それ相応なスキルを得られてもおかしくはないのだが。


 その疑問をグリードが《読心》スキルを通して答えてくれる。


『あれはただの傀儡だ。どうやら、本体はエンヴィーだったみたいだな。まさかあいつにそんな機能が備わっているとはな。人を操るか……まあ、あいつらしいと言えば、そうか』

「なら、放っておくわけにはいかない」


 黒剣を振り上げて、地面に転がった黒銃剣の破壊を試みる俺をグリードは止めてくる。


『無駄だ、やめておけ。大罪武器は、破壊不可能だ。例え、大罪武器同士でも破壊できない』

「でも、このままだと癪だから」


 黒剣を打ち付けてガリアの彼方へと飛ばしてやった。あそこまで飛ばしてやれば、そうそう傀儡は出会えないだろう。


「思いのほか、飛んでいったな」

『ハッハッハ、エンヴィーが死ぬほど悔しがって飛んで行くのを容易に想像できる。よくやった!』


 上空では、光の拘束が瓦解していく。天竜のお出ましだ。


 飼い主を失い、傷ついた天竜は怒り狂い、暴走し始めている。やはり、このままにしておけば、防衛都市バビロンまで進行して、襲いかねない。


「やるぞ、グリード」


 最後に大暴れしてやる。持てる力のすべてを掛けて、あの天空を統べる化物を地に落とそう。


 不思議と今ならなんでもできるような気がするんだ。

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