第14話 お狐さま in 過去話




 昔々あるところに、小さな村がありました。

 ある日、村にたくさんの恐ろしい鬼がやってきました。


 鬼は村を荒らし、村人達に供物を捧げるように言いました。

 月に一度食料と、生贄として美しい娘を捧げるようにと命じたのです。

 逆らえば、皆殺しにすると鬼は村人達を脅しました。


 村が全滅するよりは、と村人達は仕方が無く鬼に従う事になりました。

 

 鬼に生贄を捧げる日が来ました。

 生贄には、村で一番の美人と言われる村長の娘が選ばれました。

 村長故に一番に責任を取るべきだという責任感と、美しい娘という事で最初に白羽の矢が立ったのです。

 娘は村の為になるのであればと、快く生贄の任を引き受けました。


 供物と生贄は鬼の住む山の前に立てられた祠に納めることになっておりました。

 その日の前日、娘は供物となる食料と、最後の晩餐として食事と共に祠に閉じ込められました。両親も村人達もひどく悲しみましたが、娘は最後まで笑顔でおりました。


 娘が一人祠の中に入り、用意された食事に口をつけようとすると、祠の片隅に痩せ細った狐が居る事に気付きました。

 物欲しそうな顔で娘を見ている狐を見て、娘は自身の最期の食事を狐に与えようと思いました。


「お食べ。私はもうお腹を空かせる事はないから。」


 狐は娘から食事を与えられました。

 腹を空かせた狐は娘からの施しを受けました。

 そして、与えられた食事を食べると、狐は再び祠の隅に戻ってしまいました。


 やがて、夜が明け鬼が来ます。

 大きく恐ろしい鬼。娘は既に覚悟を決めておりましたが、鬼を目の当たりにして今更になって怖いと感じました。

 鬼が手を伸ばし、娘を連れ去ろうとします。


 その時、祠の隅にいた狐が鬼に飛び掛かりました。

 鬼の腕に噛み付き、その爪を鬼の目に突き立てました。

 鬼も腕を振り回し対抗しましたが、狐はすばしっこく鬼を惑わし、次から次へと噛み付きひっかき鬼を傷付けていきます。

 やがて、ボロボロになった鬼は慌てて祠から逃げていきました。


 娘は狐に救われました。

 それは果たして与えられた食事に対する恩返しだったのでしょうか。

 狐は鬼を追い払うと、娘を一度だけ振り返り、そのまま祠から出て行ってしまいました。


 以降、鬼が村を訪れる事はなくなりました。

 娘は狐に救われた事を村人達に話し、村人達は娘が無事に帰った事を喜び、鬼から娘を救った狐に感謝の意を伝えたいと思いました。


 こうして、鬼達を追い払った狐は、村人達に神様として祀られる事になりました。

 村を、人々を、生贄になるところだった娘を救った狐は神様となって、今も多くの人々を守っています。






 その化け狸はとても弱く小さな妖怪でした。

 百鬼夜行の群れの中で一番弱い化け狸は、いつも一番後ろを歩き、いつも苛められておりました。

 それでも、はぐれの妖怪が生きて行くには百鬼夜行や神の元に下らねばなりません。そうしなければたちまち人間に祓われるか、他の妖怪の糧にされてしまうだけです。

 生きる為には仕方が無いと、化け狸はどれだけ苛められ弄ばれても我慢しました。


 ある日、化け狸のいる百鬼夜行の前に、一匹の狐の妖怪が立ち塞がりました。

 それは、人間に崇め奉られ、神へと昇華した妖怪でした。


 人間の巫女のような姿を取りながら、狐の耳と数え切れない程の狐の尾を生やした、きらきらとした黄金色の長い髪をゆらゆらと揺らす、美しい妖怪でした。

 かつて鬼を調伏したが故に、金剛鬼伏百尾稲荷こんごうきふくひゃくびいなりの異名を与えられた狐の妖怪は、三珠みたまと名乗りました。

 人間の里を荒らそうとする百鬼の前に立ち塞がった三珠に、百鬼の主は牙を剥きます。


「人の神に堕ちた愚か者。人に与して我らが道を邪魔しようというのか。人に従い、あやかしに仇をなすつもりか。」


 そんな問いに、三珠はくすくすと笑って答えます。


わしわしの心に従うのみよ。お主等の行く里には、大層美味な酒があっての。田を荒らされては困るのじゃ。」


 人間達の作る酒のため。あくまで自身の望みの為に、三珠は百のあやかしの前に立ち塞がりました。

 いくら神格を得た妖怪と言えども、百鬼に敵うはずもありません。

 たった、ひとつの酒の為に立ち向かうなど馬鹿げていると、化け狸は思いました。




 百鬼の中でも上から数えたほうが早い強さを持った妖怪が、あっさりとねじ伏せられたのを見て、百鬼も百鬼夜行の主も震え上がりました。

 それよりも弱い妖怪達は勝てる筈がないと悟り、それよりも強い妖怪達は正しく三珠の実力を理解しました。


「次は誰じゃ。纏めて掛かって来ても良いのじゃぞ?」


 百鬼の主は恐れおののき、百鬼を纏めて三珠にけしかけました。

 強い妖怪達の中でも頭の悪いものは、数を揃えれば勝てると安直な考えで突っ込みました。

 弱い妖怪達は主の制裁を恐れて、怯えながら三珠に襲い掛かりました。

 賢い妖怪達はどさくさに紛れて、その場からこっそりと逃げ出しました。


 三珠に襲い掛かった全ての妖怪が、あっさりと動かなくなりました。


 百鬼の主は頭を下げて、三珠に許しを乞いました。

 従えた者達をけしかけておきながら、自身は戦う事もせずにあっさりと三珠の前に頭を垂れました。

 それを見た三珠は、つまらなさそうに言いました。


「久しく楽しめそうないくさじゃと思ったのにのう。興が削がれた。儂の気が変わる前に、百鬼を捨てて去るがよい。命だけは見逃してやろうぞ。」


 三珠がそう言えば、百鬼の主は配下の者達を見捨てて一目散に逃げ去りました。

 そして、主が逃げ去ったのを見て、三珠は不思議な術を行使し、傷付いた妖怪達に力を分け与えました。


「お主等も早々に散るがよい。儂に楯突いた無礼は見逃してやろうぞ。これに懲りたら二度と儂の視界に入らぬ事じゃ。」


 三珠が告げると、妖怪達もたちまち散り散りに逃げ去ってしまいます。

 そんな中、化け狸を始めとした弱い妖怪達は、散り散りにならずにその場に残っておりました。

 残った弱い妖怪達を見て、三珠は不機嫌そうに眼を細めます。


「なんじゃ。儂の機嫌が悪くない内に散れと言ったじゃろう。」


 弱い妖怪達は、三珠に頭を垂れます。


「我々は個々では生きられぬ弱いあやかしです。どうか、三珠様にお仕えさせていただく事はできぬでしょうか。」


 弱い妖怪の一匹がそう言えば、三珠はふぅとつまらなさそうに溜め息をつきます。


「どうして儂が貴様等の面倒を見なければならぬのじゃ。儂は弱き者のお守りをするような慈悲深い神だと思うなよ。」


 踵を返して去ろうとする三珠は、背中を向けたまま言います。


「面倒を見るのは御免じゃ。何処へなりとも行くがよい。儂の気分が変わらぬ内にの。」


 三珠はそうとだけ告げると、とっとと歩き始めました。





「……どうしてお主は付いてくるのじゃ。」

「何処へなりとも行くがよいと仰ったので。」


 化け狸は三珠の後についてきました。

 小さな化け狸を見下ろし、三珠は不機嫌そうに顔をしかめます。


「確かにそうは言ったがの。」


 そうとだけ言って、再びとっとと歩き始めます。

 三珠は面倒を見るのは御免と言いながら、勝手に付いてくる化け狸を振り払う事はしませんでした。

 振り返りもせずに三珠は後ろからとことこと付いていくる化け狸に声を掛けます。


「お主はあの時儂に掛かって来なかったの。儂が怖かったんじゃないのか?」


 化け狸は、多くの妖怪達が襲い掛かった中で、唯一逃げもせず襲い掛かりもせずに三珠をじっと見ておりました。三珠はしっかりとその様子を見ていたようです。

 化け狸は見惚れておりました。

 気高く、神々しく、荒々しく、美しく、強い妖怪の、神様の姿に。


「怖いとは思いませんでした。」

「そうか。お主の目は節穴じゃのう。」


 化け狸は三珠の後ろに付いていくようになりました。

 一目惚れしたその姿を、もっと見ていたいと思ったからです。

 三珠はどこまで付いていこうとも、化け狸を拒む事はありませんでした。

 

 化け狸がお腹を空かせれば、食べ物を分け与えてくれました。


「儂は空腹が嫌いじゃ。見るのも御免じゃ。じゃから、儂の前で腹を空かせるな。」


 化け狸が苛められていれば、相手を懲らしめてくれました。


「儂は弱い者が嫌いじゃ。儂の前で弱い姿を晒すな。」


 凍える様な寒い日には、化け狸をふかふかの尾の中に包み込んでくれました。


「儂は寒い思いが嫌いじゃ。見ていて寒くなるような格好はするな。」




 三珠という神様は、絶対に誰かの為に何かをしようとはしません。

 自分が気に入るか、気に入らないかが全てです。

 

 三珠の後ろに付いていく妖怪は、化け狸以外にも次第に増えていきました。

 誰も彼もが三珠が救おうとした訳ではありません。通りすがりにたまたま助かっただけの者達でした。

 それでも、ほんの少しずつ、彼女の後ろには妖怪達が増えていきました。


「お主等、ぞろぞろと増えすぎじゃ。呼ぶのに困るから、お主等に名前を授ける。」


 そして、三珠は一番最初に付いてきた化け狸に"分福ぶんぶく"という名を授けました。


「お主もいい加減しつこいからの。もうお守りは御免なのじゃ。少しくらい儂の役に立て。儂に福をもたらす存在となれ。故にお主は"分福"じゃ。」


 名無しの化け狸は分福になりました。

 名前が貰えたこともそうでしたが、三珠に仕える存在となることを認められた事が分福にとっては何よりも嬉しい事でした。


 多くの妖怪達が、三珠の後ろを歩き、時に離れて行きました。

 それでも、先頭を歩く分福は、ずっと三珠の後ろを歩き続けました。




 三珠の式神"分福"は、出会ってからずっと三珠と共に歩み続けました。部下として、長年苦楽を共にした友として、次第に次第にただ歩くだけでは無く、言葉を交わし、共に過ごすようになりました。




 式神分福は、三珠―――みたま様に対する想いを、現代に至るまで未だに捨てずに、歩み続けています。





 これからも、一緒に歩み続けていくのだと思っていました。


 冷たくなってきた透きとおる小さな手をぎゅっと握りしめて、分福はみたま様に語りかけます。


「今まで、なんて言わないで下さい……! これからもずっと一緒に居て下さい……! 私の主は……私が一緒に歩きたいのは……あなただけなんです……!」


 分福はぽろぽろと涙を零しながらも、口元を緩ませます。

 そんな分福の顔を見て、みたま様はふふと笑いました。


「……わしも今だから言うよ。お主が付いてきてくれて、本当は嬉しかったよ。素直になれなくて……すまんかったの……。」






 そして、あまりにも呆気なく、その小さな身体はふっときえてしまいました。

 分福がぎゅっと握りしめていた感覚が、すかっと空を切り、体温がすぅっと消え失せてしまいました。

 まるで最初からそこにはなにもなかったかのように、めくれた布団だけが残されていました。


「みたま……様……!」


 分福の目から止めどなく涙が溢れます。


「みたま様ーーーーーーーーー!!!」


 分福の慟哭が、主を失った三珠神社に響き渡りました。




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