第16話



 どれくらい時間が経っただろう。いつの間にか室内には俺と冬木しか居なかった。顔を上げた俺の頬を両手で挟んで瞳を覗き込まれる。俺も真似るように、冬木の瞳を覗く。自分の瞳を見られるのはとても嫌だったのに、冬木にだけは嫌悪感を抱かなかった。むしろ、見つめてくる彼の瞳を見るのが好きになっていた。


「綺麗だ、心から愛おしい。」


 そう言った冬木が俺の額にキスをする。何度も何度も。額、瞼、耳、頬と落ちてくる唇にくすぐったくて笑ってしまった。笑った俺に困惑したのか、もう一度近付いてきた冬木が一瞬固まると、俺の唇のすぐ横にまたキスをした。何故かちょっと残念に思った。物足りなさを感じて、冬木の服を引っ張り、もっと、と要求する。見開いた瞳が揺れるが、一度瞬きすると、顔を近付けてきた。心臓がドクンと高鳴る。




「あ゛ぎもどぉ゛ぉ゛ぉ゛お゛お゛お゛お゛お゛!!!!!起ぎだのがぁ゛ぁ゛あ゛!!!よがっだぁ゛ぁ゛あ゛あ゛!!」


 もう少しで触れるというところで、大声を上げて扉を開け入ってきたのは、顔を涙と鼻水と涎でグシャグシャにした夏原だった。顔面洪水警報発令という言葉が浮かんだ。彼のすぐあとに春日部も入ってくる。彼も涙目だった。心配、してくれていたんだな。そう思うと嬉しかった。自然と頬が緩む俺と反して冬木は不貞腐れていた。なんか、前も見たことがある気がする。


「空気読めよこのポンコツ。あと顔汚い。」


「んだとコラァ!出会って早々暴言とはそれでも生徒会長かぁあ!!」


「あ、もしかしてお邪魔した?」


「最悪のタイミングだよ。」


 キーッキーッと怒る夏原とニヤニヤしている春日部、不貞腐れる冬木。いつもの光景に頬がどんどん緩んでいく。やっぱり、ここが、この人達が、好きだなぁ。怒っている夏原はどこか鳩のソウに似ていて、あの子は元気だろうかと夕陽で彩られた窓の外を眺めた。

 一通り喧嘩を終えたのか、夏原達が近付いてくるも途中で歩みを止め、不安そうに俺を見てくる。なんだ、なんでそんな所で止まるんだ。冬木の側に椅子がちゃんと2つ分置いてあるし、座ればいいのになぜ来ないのだろうと首を傾げる。


「あ、秋元、この間はごめんな。お前のこと怖がらせちまって。そんなつもりじゃなかったんだ!ただ俺は、お前のことが心配で!だから!!、ほんと、ごめん。」


 眉を下げた夏原が謝ってくるがよく分からない。確かに最初の頃は夏原達にビビっていたが、今は何ともない。むしろ、彼らが好きだ。彼らの側がどれだけ安心するか。そう想いを伝えると何故か夏原達は目元を押さえて仰ぐ。確かこれ、たまに冬木がやっているやつだ。流行っているらしい。流行とは難しい。


「奏、君が一週間前にパニックを起こしたのは、体調の悪そうな君を夏原が心配して手を差し伸べた時なんだ。たぶん、君に暴行を加えた男達の姿が重なってしまったんだろう。」


 そうか、俺は、夏原にあの男達を重ねて、拒絶したのか。彼がどれだけ優しい人間か知っているのに、俺は、信じなかったということか。その事実に落ち込む。


「奏が罪悪感を抱く必要はないよ。君も夏原も悪くない、悪いのは父親達だ。」


 少し、頑張ってみようか。そう話す冬木は夏原と春日部を俺の側へ呼ぶと、彼らと手を繋ぐようにと言った。たぶん、俺がもう彼らを怖がることがないように、彼らが俺は怖がらないと分かるように、俺達が互いに一歩近付けるようにと考えてくれたのだろう。優しく見守ってくれる冬木に感謝をして、夏原と春日部の手を自ら掴む。出会ってすぐの頃は俺の方が震えていたのに、今は彼らがその手を震わせている。だから、冬木がいつもしてくれるみたいに、安心してもらえるように親指で彼らの手の甲を撫でながら、微笑み掛ける。ここにきて漸く、二人の心からの笑顔を見られた。




 冬木は夏原と春日部にも俺の家でのことを話したらしい。二人なら必ず力になってくれるからと。俺はそれに心から喜ぶことは出来なかった。この二人ならきっと力になろうと動いてくれるだろう。でも俺は、


「お前さぁ、一体何でそう頑固なわけ?」


「え、頑固。」


 夏原が怒った顔で言う。


「頑固だろうが。もうお前を助ける準備は出来てる。皆お前のこと待ってんだよ、お前が助けを求めること。ちゃんと言葉にしなきゃ、何も変わらないんだぞ。」


「......。」


「いつまでそうやって黙って、閉じ籠ってるつもりだよ。」


「巴ッ」


「雫は黙ってろ。秋元、お前が閉じ籠ってる理由は父親か、冬木か?」


「ッッ!!」


「え、僕?」


 夏原の言葉に動揺を隠せなかった。それは図星だと伝えている。


「中学で冬木をいじめていたって聞いた時、俺は不思議で堪らなかった。どう考えたってお前は人のこといじめられるような性格じゃないって、人にビビっていつも震えて、俯いてばっかで、初対面でも分かるわ。


 信じられなかった。分からなかった。なんでいじめたんだろうって。


 だから冬木に無理矢理聞き出した、いじめたきっかけをな。冬木の一言から始まった。お前の瞳を褒めたそうだな。今も正直聞いているこっちはうるさいくらいよく言ってるのに、お前はそれに対して嫌な素振りを見せてない。隠してるようにも見えない。むしろお前は嬉しそうで。余計に混乱したわ。じゃあなんで中学の頃は受け入れられなかったんだ。


 不思議で仕方なくて、でも必ず理由はある。理由なく人を傷付けるようなやつじゃねえ。むしろ、ずっと誰かに傷つけられているんだって察してた。いつも服の下見られないように隠してたし。冬木が裏でコソコソやってたのも知ってた。


 お前には悪いが独自の方法で調べさせてもらったぞ。勘違いすんなよ、お前を嫌ってとか、疑ってとかじゃなくて、お前が好きだから、友人だから、信じていたから、何がお前を動かしたのか、傷つけたのか知りたかった。友人のために力になりたいって思うのは間違いじゃねえだろ。


 お前の母親は夫に内緒で別の男と関係を持っていた。その男はオレンジ色の瞳が特徴的だったらしい。そりゃあ嫌だよな、自分は不倫相手との間にできた子供ですって主張する瞳を褒められるなんて。」


 冬木が隣で息を飲んだ。知らなかったんだろうな。


「秋元は冬木をいじめた。自分の境遇を呪って、その怒りを冬木にぶつけたんだろ。それは間違っていると俺は思うぞ。」


「やめろ夏原ッッ!悪いのは僕だッ!」


「巴ッッ!!」


 夏原を止める冬木と春日部に首を振る。夏原は正しいのだ。俺は理不尽な怒りを冬木へぶつけていたんだ。なんで自分がって。愛のない家族へ、愛してもらえない自分への怒りを。


「中3で冬木は転校して、その後、俺達の学校に来るまで、今度はお前がいじめられた。途中から抵抗すらしなくなったらしいな、父親からの虐待と同じように。助けを聞き入れてもらえなかったから?諦めたから?いや違う、それを受け入れたから。受け入れようとしたからだろ。


誰かから言われでもしたんじゃないか?償えとか、そういったもの。だから今も、こんな状況になっても助けを求めないんだろ。求められないんだろ。」


 お前頭悪いんじゃなかったのかよ。なんでそこまで分かるんだ。全て彼の言う通り。そう、


「これは、俺が生まれてきてしまった罪の償いだから。」


「ふざけるなよ。」


 ドスの効いた夏原の声と共に胸倉を掴まれる。


「そんな罪あって堪るかよ、そんなもんを償っている思ってんなら大間違いだ。お前の行動は何一つ正しくねぇ!冬木に謝ったんだろ、冬木はそれを許したんだろ!?ならそれで終わりだ!!これ以上何も必要ねえだろ!!もうとっくに罪は晴れてんだよ!お前の耐えているその行動に、何の意味もねえぞ!!!んなことやって何になんだよ!?お前は一体何を頑張ってるんだよ!!」


 夏原から目を逸らせない。彼の、声が、言葉が、頭に、ガツンと殴りかかってくる。けどそこに痛みは、ない。あるのは、困惑。俺のしてきた全てが、否定されていく。流れる涙を拭う余裕もなかった。


「過去に、自分に、閉じ籠って、どうやって生きていくんだ!?どうやって進んでいくんだよ!?ありもしない罪背負ってんな!!」


 夏原の言葉が俺に縛りついた鎖を千切っていく。彼は俺の胸倉から手を離すと、今度はそれを差し伸べてきた。


「いいか、これは逃げるんじゃねえ、前に進むんだ。お前にとってめちゃくちゃ勇気のいることだって知ってる。だけど俺達を信じろ、お前が転けそうになっても、俺達が何度だって立ち上がらせてやる。何度だって引っ張ってやる。手を掴むのはお前しかできねぇ、けど、一度掴んでくれたら、二度とその手離さねぇ!!」


 夏原に冬木と春日部も寄り添う。手を伸ばせば届く距離に彼らが待っている。さっきとは逆だ。進むため、か。償うのではなく、進むために、生きる。生きたい、彼らと、一緒に生きたい。幸せに、なりたい。


 彼らの手を掴み、今まで喉に突っ掛かって出てこなかった言葉を紡ぐ。




「お願い、助けて。」




夕陽に照らされた彼らの笑顔は、とても綺麗だった。




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