第15話



 目を開けると白い天井。以前にも見たことがあったな。前と違うのは自分を覗いている冬木が居ることだ。頬に水が落ちる。落ちてくる涙に、あぁ泣かないで、泣かないでと手を伸ばす。冬木は俺の瞳を綺麗だと言うけれど、彼の深い海の色の瞳もとても綺麗だ。


「かなで、かなでぇ、奏。」


 彼の声が頭の中でこだまする。冬木が近付いてきて俺の手を握る。


「奏、僕のこと怖くない?」


 首を横に振る。冬木は俺の頭を撫でると額にそっとキスをした。怖くない。暖かい。なんだか嬉しくて、その温もりが離れないようにと、彼の背に腕を回す。あの男達に触れられたときは気持ち悪くて仕方がなかったのに、どうしてこうも安心を得られるのだろう。

 暫くの間冬木の温もりに浸っていたら、部屋に白衣を着た男性と女性が入ってきた。様子を見るからにここは病院なのだろう。一度俺から離れた場所で三人が小声で話し合っている。そう言えば俺はなんで病院なんかに居るんだろう。


「奏、聞いてほしいことがあるんだ。」


 冬木から話されたことに衝撃を隠せなかった。一週間前、俺は学校で酷いパニックを起こし精神科救急に搬送されたこと、その時治療を受けた際に身体の怪我について病院から冬木達へ説明を求められ、家の状況を話したこと、警察が動いたこと、現在父と連絡が取れないこと。知らない間に色々な事が起こっていた。

 情報の多さに着いていけず放心していると、部屋に更に人が増えた。警察と名乗る人達に、俺本人からしっかりと家庭内での状況を説明してほしいと言われた。

 もし、本当のことを言ったとして、父はどうなるのだろう。捕まるのだろうか。俺はどうなるのだろう。父が捕まれば俺はあの日々から解放される。しかし、俺は解放されて良い存在か、答えは否。父の言葉が、己の罪が、口から漏れ掛ける声を殺す。伝えなければならない、親子の関係は良好であると、あの時のように。逃げてはならない。逃げては、いけないのに。それすらも、言葉にできない。口からは息が零れるばかりで、喉が締め付けられる。言わなきゃ言わなきゃと焦るほど、言葉は遠くなっていく。

 あぁ、そうか、罪を償わなければと思いながら、俺は罪から解放されたかったのか。なんて、醜い人間なのだろうか、俺は。醜い。醜い。


『こいつ、顔は良いよなぁ。』


 やめて、さわらないで。


『ほら、せっかく可愛がってあげてんだから喜べよ。』


 やめて。


『抵抗なんてしていいのか、逃げんなよ。』


 ごめんなさい。


『いやぁ、最高の玩具だわ、可愛くて、可哀想で、』


 おねがい、やめて。


『醜い。』


 いたい、いたい。


『こんな醜いガキが俺の子なんて、虫酸が走る。』


 いたい。からだも、こころも、いたい。


『醜い。』


 あの男達の手が伸びてくる。やめて、お願いだから、もうやめて。触らないで。もう、


「奏ッッ!!!!」


 冬木の声にはっと顔を上げる。心臓がうるさい。呼吸も荒くて落ち着かない。大量の汗が身体から吹き出る。目の前がグワングワンと揺れる。冬木の声がしたから、きっと側に居るはずなのに、どこにいるのか分からない。自分は立っているのか、座っているのか、横になっているのかも分からない。どこ、どこに居るの、


「あい、藍。」


 キョロキョロと周りを見渡して名前を呼ぶ。すると誰かに抱き締められた。誰、誰なんだ。藍、お願い、側に来てくれ。藍。


「ここに居る、ここに居るよ、奏。」


 すぐ隣から冬木が呼び掛けてくれて、漸く自分を抱き締めているのが彼だと分かった。抱き締め返すと、彼のいい香りが心臓を落ち着かせた。


「大丈夫、大丈夫。」


 トントンと赤ん坊をあやすように背中を叩いてくれる冬木の首筋に顔を押し付ける。いつの日か聞いた、あの落ち着く鼻歌が聞こえてくる。俺がしんどい時、いつだって助けてくれるのは、この温もりだ。これがあれば、これだけあれば、俺はもう十分幸せなのだ。冬木さえ居てくれれば、それでいい。

 頑張るから、これからもずっと頑張るから、だから、お願い。側に居てくれ。離れないで。置いて行かないで。


「すみません、今日はここまでにしてもらって良いですか。今の状態で話すのはきっと難しい。彼が真実を話せる心の準備をさせてください。あと、先生、ここに二人ほど友人を呼んでも良いでしょうか。」


 冬木が何か話しているが、今はただ彼から与えられる温もりに浸っていたかった。話していないで、歌ってほしい。あの歌をもっと聞かせてほしい。そんな思いが伝わったのか、再び歌いだしてくれたそれに耳を傾ける。とても暖かくて心地が良いこの歌はなんという名の歌なのだろう。題名を知らぬこの歌は記憶に刻まれて離れない。あぁ、好きだ。目を閉じて聞き入っていた。





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