第4話




 走ったことだけが理由ではないが荒れた呼吸を整えて家の玄関を開ける。リビングからは複数人の男の声が聞こえた。父がまた人を呼んだのだろう、その声に少しだけ落ち着いた胸の鼓動がまた早くなる。自分の部屋まで微かにでも音をたてないように静かに移動するのは癖になっていた。見つかってしまえばその先は地獄だ、しかも今日は父の知り合いが来ているとなると更に事態は最悪な形になる。最終的には顔を合わせなければならないが、少しでもその時を先へ伸ばせるのであれば伸ばすに越したことはない。

 だが世の中がそう上手くいくわけがないのはずっと前から知っている。リビングに続く扉が開くのがいやにゆっくりに見えた。そこから顔を出したのは父だ。


「遅ぇんだよグズが!さっさと飯作らねぇかこの鈍間!!」


 その言葉と同時に思いっきり蹴られ体が壁へ叩きつけられる。蹴られた所も壁へぶつかった所も痛かったが悶えている時間なんてない、直ぐさま父に謝りながら立ち上がり自室へ走る。今日は走ってばかりな気がする。荷物を置いて部屋着に着替えたらキッチンへ行きお客さんの分も含めたいつもより多い夕飯を作る。自分の分はおにぎりをラップで包んでキッチンに隠す。おそらく今日は食べるまでに時間が掛かるであろうことは予想出来るし、おにぎりなら自室で食べても洗い物が出てキッチンへ戻る必要もない。

 急いで作ったご飯を彼らの居るリビングのテーブルへと運んだが遅いと父にまた蹴られた。知り合いの男達はそんな父と自分を笑って見ていた。


「やめろってぇ、かわいそうだろぉw」


 思ってもいないことを言いながらまだ火のついたタバコを腕に押し付けてくる。痛さに手を払いのけそうになるのを必死に抑える。ここで抵抗すればより酷い苦痛が待っている。不味いと言ってかけられた熱い味噌汁にも必死に耐え、床に散乱したご飯を雑巾で片す。すると男の一人が髪を掴んで来た。痛い。


「おいおい、こんなに汚れてしっかり風呂入ってんのか?汚ぇなあ。」


 汚れているのは彼らが味噌汁をかけてきたからだ。だがそんなこと言えるわけがない。


「俺らが洗ってやるよ。」


 ニヤニヤと笑う顔に絶望する。髪を無理矢理引っ張られて連れてこられたのは水の溜まっているお風呂場だ。お湯ではなく水であることに初めからこうするつもりだったのだろうと、今からやられることに身を固くした。

 風呂場の隅へと叩きつけられると冷たいシャワーを掛けられる。桜が散る季節とは言え水を掛けられれば寒いのは当然、必死に暖を取ろうと両腕を擦る。次々と降りかかってくる水と暴力にあまり意味は成さなかったが、やらないよりかは幾らかマシだった。

 シャワーが終われば今度は水の溜まった湯船に顔を突っ込まれる。苦しくて頭を上げたくても押さえつける手が邪魔で口から空気がゴボゴボと漏れていく。限界が来ると漸く顔を上げさせられる。慣れてしまった体は次に沈められるまでの僅かな時間を息を吸い込むことに集中する。何度も何度も繰り返される風呂場でのこれは、殴られる方がよっぽど良いと思えるほど苦しくて嫌いだ。こればかりは生存本能が働いて抵抗してしまう。抵抗すればまた殴られ、水に沈められる。

 服で隠れる場所にしか痣や傷をつけないものだから器用なことだ。傷が人に見られれば暴行や虐待を疑われるためこれはありがたかった。前の学校で一度教師に痣を見られクラスで問題になったことがある。もちろんクラスでも暴力は受けていたがそれをクラスメイトが話すことはなく、ならば家庭でのものかと教師が父に追及した。父は怒り狂いその日はいつも以上に暴力が振りかかった。


「これはお前が生まれてきたことの罪の償いだ。」


 逃げるなんて選択は端からなかった。












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