第2話




 いつまでも教壇に突っ立っているわけにはいかない。強ばる体に渇を入れて彼、冬木の隣の席へと座る。吐きそうになって口元を手で押さえた。彼がこっちを見ているのがわかった。今すぐにでも舌を噛みきって死んでしまいたい衝動に駆られるが、父の言葉が脳内に響いて出来なかった。

 朝のHRが終了すると自分の周りに人が集まる。

「どこの学校から来たの?」

「何でこの時期に転校?」

「部活は何処に入る?」

 たくさんの言葉が掛けられるたびに体の震えが強くなって返事なんて到底できるはずがない。口から出てくるのは言葉を成さないものばかり。怖くて仕方がない。あまりの恐怖に叫びそうになった時、隣の冬木が言った。

「皆、そんな一気に話しても聖徳太子じゃないんだから聞き取れないよ。転校生なんて珍しいし気になるのも分かるけど、彼も転校してきたばかりで緊張してるんだからその辺にしてあげて。」

 驚いた、彼はこんなに話すような人だっただろうか。記憶の中にある彼の姿と言えば、無口で無表情、無関心。まるで人形の様で不気味だと噂されていたし実際そんな感じだった。それと...。


『綺麗だね、君の瞳。』


 聞こえてきたのは隣の彼のものよりもう少し幼い声だった。その一言が始まりだった。

 小さい頃からこの瞳が嫌いだった。両親のどちらにも似ていないこの瞳は母親が不倫していた男の瞳とよく似ていた。俗に言う政略結婚で結ばれた二人の間に愛なんてものはなく、生まれたのは別の人間との子供。両親はその子供が実の二人の子ではないことを隠した。知られれば自分たちの身分に傷がつく。

 不便はなかった。食事はしっかり食べさせてもらえていたし、学校も通わせてもらった。暴力が振るわれることはなかった。

 愛もなかった。母は子供の瞳を見て別の男の名前を呟くのだ。愛おしそうに。そしてもう一度子供を見るとその表情は冷たいものに変わった。父は目すら合わなかった。家のなかはいつも冷たくて寒い。周りの友達は暖かそうだった。

 だから冬木の言葉に心底苛立った。この瞳を、綺麗だなんて言ったあいつが憎かった。殴って、蹴って、物を隠して。どれだけ酷いことをしても、あいつは真っ直ぐ自分の瞳を見ていた。いじめられていることさえ無関心な様子のあいつは、いつも自分の瞳をまるで宝石でも観るように見つめてきたのだ。

 中学3年に上がると冬木は転校した。これでもうこの瞳を見られなくて済むのだと思っていたら、今度は自分の番だった。殴られて、蹴られて、物を隠されて。自分の言葉は誰にも届かなくなっていた。友達だった人も、教師も見ないふり。加担する者も居た。高校に行ってもそれは変わらずむしろ悪化した。同じ中学から多くの生徒が上がってきたその学校では、人をいじめた悪として速攻で噂が広まった。まぁ、その噂は真実だからどうしようもなかった。

 両親は子供がいじめをしていたことを知るとそれはもう怒り狂った。

自分たちの身分に傷をつけた

ここまで育ててやった恩も忘れて

出来損ないが

自分たちの汚点だ

汚らわしい

お前さえいなければ

 そんな言葉が暴力と共に降りかかって漸く自分がしてきたことの悪行に気が付いた。初めて両親が話しかけてくれた言葉は自分の存在を否定するものだった。初めて目が合った父親は憎いものを見る顔をしていた。初めて触れてくれたその手は俺の体にいくつもの痣を作った。何処にも居場所などなかった。罪を償う為に死のうともしたがそれは父親により止められた。

「生きて償え。お前ごときが死んで楽になれると思うな。」

 生きることが苦しくて、でも死ぬことも許されない。

罪を償い続けるしかなかった。

人が怖くなった。自分が心から嫌いになった。









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