第37話 永遠の恋の定義

 桜木にそう云われれば美紀としても機嫌を損ねない為にも無下には出来ない。そこが美紀の辛いところだ。

 米田と一緒に歩き出した美紀は一度だけ振り返ってあたしを見た。そこには勝利者も敗者もなかった。ただ漂う脱力感に頭の中がおおわれていたのは確かだろう。

 最終電車から一本手前の電車には数人の乗客しかいなかった。 桜木は入場券で改札を通り抜けて待機中の電車の中で夕紀と一緒に待ってくれる。

 二人きりになると急に何から話して良いか戸惑うと、余計に何を言って良いのか解らない。いつも大学の構内か学食で、普通に知り合って二年になるが、こんな彼を目の前にしたのは初めてで無理もない。呼び出しても重ねた議論を沸騰させて居るばかりだからこんな静かな、まして夜更よふけの時間に二人きりで会う事はなかった。

 意識すればするほど切り出す言葉がなければ、自然と飛び出した言葉は今までの延長になってしまった。

「今まで活動の一環としてお年寄りとは結構接してきたけれどこれだけ深くその人の生き方にまで踏み込んだことはなかったのにねぇ」

「あの人達にも当然だけれど我々と同じ年代を過ごしたひとときが有ったんだ」

 そこで桜木は少し笑った。

「まあ当たり前と云えば当たり前だいきなり老人になれないのは解りきったことなのに年寄りが年寄りとしてしか見ないのは彼らが自分たちの青春を語らなくて今の生活しか語らないからだろう」

「想い出を引き戻せる物が身近にないのも一因するわねだからあたしたちはさっきのカラオケ店で歌った昔の曲を歌ってあげるのよ」

 電話一つ取ってもそうだ。プッシュホンで押すだけだから。でも昔のダイヤル式は回した数字が元に戻る時間がある。特に大きい数字ほど戻る時間が長く、そこに雑念が入ると戻る直前に受話器を切ってしまう。今のスマホにはそんな余計な詮索時間がないってお年寄りが言っていた。

「そうだなあデジタル信号は一かゼロの二つしかないから中間の曖昧な物は全て切り捨ててしまう薄情なもんだ」

「恋もそうなるのかしら」

「だって恋も好きか嫌いかその二つの選択肢しかないだろう」

「言葉ではね、後は婉曲表現もあるけど鈍感な人には通じないからね。それで聞くけどどうして美紀を米田君に押し付けて追い返したの」

「あれは成り行きで夕紀が突然に米田の肩を持つからだよ」

「それって期待していた?」

「可笑しな事を云うなあ」

「そうかしら」

「そうだろう」

 とさも解ったように云うから面白い。この手の事には慣れてないらしい。いかにも読書三昧漬けの缶詰青年だから、少しはお陽さんに当てなくっちゃ。それで今回は呼んだがなかなかどうして、あたし達よりお年寄りに寄り添うすべを心得ている。なのに発車の時間が迫りだしても全く動じないのが滑稽こっけい過ぎて、お年寄りしか脈がないらしいと夕紀は話題を変えた。

「恋愛小説と今度の道子さんの恋とはどっか共通点でも見つかった」

「あれほど滝川さんを思いながら徹底して身を隠す人も珍しい、小説じゃあ手紙ぐらいは人伝でなんとか届くのにあれじゃ恋物語は繋がりそうもないなあ」

「でも小説は借り物、フィクションの世界ですものなんか接点の一つぐらいは残すでしょう。そう謂えば桜木君は見事に見つけたんだあの旧姓のハンコを。どうしてあんな大事な物を茶箪笥の引き出しの外に普通は置かないよねえ」

「まあなもっと大切な箱に入れてタンスなら中だろうなあ。でもあれは嫁ぎ先でない旧姓の印鑑だからまして旦那さんが亡くなっても山下姓だから何処にも使えないだろう」

「でもあの印鑑がなければ永遠に道子さんの身元は解らないでしょうね」

「そうだなあDNAを保管した処で名乗り出る人は居ないのだから合わせようがないわな」

「桜木君が見つけなければあの茶箪笥を買った人もあの引き出しを抜ききって暗い奥を点検して矢張り見つけても茶箪笥の持ち主が解らなければ一緒でしょう」

「それもそうだ北山や石田がリサイクルショップ店に名乗り出る訳ないもんなあ。時の人としてテレビや新聞に載らない限り道子さんは永遠に無縁仏になるけれど幸い遺骨はお姉さんから分骨して貰って滝川さんが面倒を見るそうだから」

「ねえ、もしかして五十年後にあたしたちがああ謂う形で巡り会ったらどうする」

永遠とわの恋か……。そうだなあそれは唯識問題だなあ」

「アッ、電車が出るから桜木君は降りないと」

「いやこの重大な永遠のテーマになり得る問題は今結論を考えないと答えが出ない気がする」

 と謂う間に電車は発車したが、慌てる夕紀にはお構いなしだ。桜木は腕組みをしたままウ〜ンと唸って八瀬駅まで見送ってくれる。

「果たしてそんな小説は俺の知る限りはない、だからこれは今だから考え得る価値がある」

「恋とはかなりかけ離れているけどそれってどんな価値なの」

 こいつはどんな恋物語にも法則があるなんて、とんでもない妄想を抱いてるんじゃないだろうね。

「それで五十年後だけど一緒とは限らないし、ひょっとしたらお互いに別な人と一緒に暮らしていたかも知れないじゃないの」

「おいおいそれじゃあこの問題の根幹がすり替わって来るんじゃないのか」

 そんな問題ではない、これは人と人が求め合う恋をなんて考えてんの。

「まあそんな考えもあるけれど」

 別にあたしと桜木君とは限らないけれど、これは永遠のテーマだと言っているが、取り敢えずは参考意見として言っただけ。そう大袈裟に二人に拘って扱う問題でも無いだろう。所詮は五十年後の世界は誰も判らないと夕紀には言いたい。一方は独身でもう一方は子供や孫に囲まれて五十年後に再会も有るかも知れないが、両方、或いはどちらか一方が再会を望めばそこにはもう恋物語の欠片もないのだろうか。

「それはもう昔を懐かしむだけの二人っきりの同窓会のようなものじゃないの」

「そこに愛は見つからないのかとすれば寂しくないか」

「そう思えば会わないでしょう」

 滝川さんの思いと道子さんの思いはズレてはいない。ただ心の中にとどめたい人とそうでない人の違いだと夕紀は思う。

「会えば滝川さんはまた道子さん以外の夢に肩入れしてしまうのが怖いのよ」

「なにか別な物に打ち込む、それも男のロマンだと思うし、それを認め合うのも愛じゃないか」

「そんな浪花節の世界に身を置ける人じゃないのよ」

 ダメだ。これだから本から得た知識人の意識改革は一筋縄ではいかない。

 電車は丁度終点の八瀬駅に着いた。彼がここまで見送ってくれたのは、この答えを知りたいからだ。でもそれは千年経とうが、理屈で愛は叶えられない。それは彼がそのまま乗る折り返しの電車の中で考えろと言いたい。

 

 

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