第12話 往生極楽院

 もしあの下まで滑って落ちてしまえば直ぐに救急車で運ばれて、今のあたしはまだ病院のベットの上に居たかも知れない。それを考えると石段を共に登った先にある、この日の山門はいつも訪ねた寺院より何故か印象に残った。それだけあの日の山下道子さんの支えが利いている。

 門を潜ると夕紀は、亡くなった山下道子さんの遺された遺産に付いて、電話より更に詳しく補足した。それに対して余りにも遺された遺品から、相続人を捜す手掛かりが乏しいのに同情された。

 先日はあの喫茶店で、山下道子さんの突然の死を告げられて、動揺して何も聴かずに帰ってしまった。それから少し日が経つと、どうしてもっと聞けなかったかと後悔した。そこへ実家の母から連絡を受けてはやる心を抑えた。矢張り身も知らない人にいきなり電話をするのもと、取り急ぎメールを出せば、直ぐに丁寧な返事を貰った。それで電話すれば少しずつ事情が飲み込めてもう一度、今度はゆっくりと三千院へ行きたくなった。それは死後の整理をされている夕紀さんからの苦労を聞いたからだ。電話で知る限りやり残したもどかしさが募る。これであの時に救って下さった山下道子さんに、報いられると思う気持ちで落ち着きを取り戻せた。

 先ずは拝観受付して中へ入る。客殿中書院を通り、宸殿から往生極楽院を望む階段に佇んだ。道子さんは往生極楽院に安置されてる三体の仏さんをここから眺めていた。それは直接目で触れるより、もっと鮮やかに心に触れられるからだ。それが昔の想い出を連れて来るらしい。一種の瞑想に耽っていたのだと想われる。

「ここで道子さんは昔の想い出を喋ってくれたんです」

「どんな想い出ですか」

 そこで夕紀は遺品の写真を見せて、写っているのが道子さんだと確信を得たが、一緒に写っている人については首を傾げられてしまい、それ以上は頓挫してしまった。

「道子さんの話はそれが途切れ途切れで時間が飛んじゃうの、でも亡くなって身寄りが居なけりゃあ生前に知り合った人から聴くしか無いわね」

 事件で無い以上は警察も介入しないが、そうは言っても厄介でそれでいて、チョッピリとセンチメンタルに、因果な言付けを頼まれたものねと宇田川さんはここでも理解を示した。

「でもそれって役所の仕事じゃないの大家さんは元よりあなた達も関係ないのに」

「誰も手を付けないそう言うのを無報酬でやるのがこのサークル活動なんです」

 そうか、とちょっと間を空けると「女一人」と謂う唄の最初のワンフレーズを口ずさんだ。

「随分と昔にあたしが生まれる前に流行った唄なのに結構知ってるのよね」

 とそこが恋に悩んだ宇田川さんと道子さんとの共通点らしい。

 山下道子さんは五年前に亡くなったご主人とは、知人を通じて紹介されて、半年ほど付き合ってから一緒に暮らし始めたらしい。それが四十年ぐらい前かしら、丁度今のあたしと同じ歳だと思いながら聴かされる。

「紹介した知人はご主人の知り合いだったんですか」

「そうだと思いますそこの所は余り詳しく話さなかったもんですから」

 どうしてだろう、過去を知られたくないのなら、なぜ部分的でも過去を話そうとするのか。彼女だからこそ解ってほしいものと彼女でも話せないものを、分けて語ったのだろうか。

「もっと詳しく山下道子さんの事を話せれば良いんですけどなんせまだ会ったばかりですから向こうも何処まで話そうかと警戒するでしょう。お互いの気持ちが通じるに従って小出しするのが普通ですもの。大事な物とそうでないものをその場の雰囲気で小出しすれば話が飛び飛びになるのでしょうね」

 と夕紀の不信感に先走って宇田川は説明し更に補足した。

「ひと月前に初めて会った人ですからこれから交際を続けてゆく内にもっと接点が広がりそうな人だと思っていたのに、こんなことならあの日もっと聴いておくべきだったけど、人の命なんてこれだけはいつ途切れるか解らないものだとつくづく知らされました。あの時にあたしは十五、六段もある急な石段の上から逆さまに滑り落ちて頭などの打ちどころが悪ければあたしはあの日あそこで死んでいたかも知れないんですからそれを助けてくれた山下道子さんが亡くなられるなんて判らない物ですね人生は」

 と宇田川さんはちょっとセンチメンタルにうつむかれると「山下さんは生まれはこちらですか」と美紀が突然に聞き出した。ふと彼女は気を入れ直すように顔を起こした。

「それがそこまで殆どが観光スポットの話で大半を占めていて、ふとここでこんな風に仏像やお庭をゆっくり観賞しているときにふとお互いの事を聴き合うもんですから……」

「そうか身の上話を聞きに来たんじゃないもんね観光で来てるからそれが当然なんよね」

「でも話しぶりからすると道子さんは良く聴くと、ちょっと微妙にアクセントがいつもの関西弁とは言葉の語尾が少し違うのよ」

「へえーそうなの余り気付かないなあ」

「それはあなた達は確か京大生ですね、じゃあ地方から来ている人もたくさん居てごちゃ混ぜで喋りまくっていればおそらく気付かなくてその人の癖だと勘違いするんでしょう」

「そうかなあ」

「だって夕紀さんは関西弁だけど美紀さんはちょっと微妙に喋り方のニュアンスが違うでしょう」

「そうだ、美紀は田舎から来てたんだ」

「田舎とは何よ! あそこはあれでも立派な都会じゃもんね」

「美紀さんと話して山下道子さんもここじゃないと思うの、だってあの人は良く聴くと関西弁とアクセントが微妙に違ってたそれがどう違うのかはあたしには判らないけど」

「それは良いヒントになるわね」

「お役に立ちましたかしら」

「なんせサッパリ判らなかったのがまあ僅かだけど少しは一筋の光明がやっと漏れてきたって感じなのかなあ」

「一体彼女はいつ生まれていつこの街に来たのかしら、でも亡くなった旦那さんと四十年ここで連れ添ったのは解ったけれど……」

 と夕紀は美紀を観て「あんたの生まれ故郷の方言と似ているのが錯覚じゃ無ければいいんだけどもう一人、山下道子さんと会った人がいるのよ」

「誰その人?」

うちのおばあちゃんの芳恵さんは我が家の生き字引だから美紀ちゃんを紹介するよ、まあ同じおばあちゃん子だからそこは直ぐに馴染めるんじゃないの」

「お二人ともおばあちゃん子なのじゃあご両親が忙しくて面倒を見てもらえなかったのかなんか淋しい境遇なのね」

 そうでもないと二人が言った声の調子が合って、二人は思わず顔を見合わせて笑ってしまった。なんか気が合う二人ね、と、宇田川由香さんまでが釣られて笑ってしまった。



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