第7話 四輪駆動車


退職届を提出した次の日は土曜日で休日だった。


昨日は斉木は自分でも辞める事を決めたことを工場長に伝え、何とか納得してもらった。

社長と常務に怒鳴りつけるのは辞めて欲しい。


斉木は日課のランニングを終え、汗をぬぐいながらアパートの鍵を開けた。

夏の終わり、九月になったばかり。日差しが強い。

シャワーを浴び、体を冷やす。


リーバイスをはいて、ヘインズの白いTシャツを着た。


斉木はアパートの自室を見渡す。

間もなくここを引き払うことになる。

1DKの単身者用の会社のアパート。二十数年間を過ごした部屋で感慨深くある。

そしてまた、長く居すぎたような気がする。


部屋の隅にシングルベッドがあり、部屋の真ん中に小さなローテーブルがある。

ベッドの反対側に20インチのテレビ、DVDプレーヤー。テレビ台の中には数枚のDVD。その隣は小さな書棚があり、仕事関係の本が半分、趣味の小説が半分。

部屋に見えるのはそれだけだ。


クローゼットには衣類の他、長期出張に使用していた大きなスーツケース、最近は使っていないキャンプ道具が入っている。


台所のキッチンには最低限の調理道具。小さなテーブルと椅子。テーブルにはノートパソコンが置いてある。小さい冷蔵庫の上にオーブントースター。炊飯器は数年前に壊れた際処分して無い。今は米は鍋で炊いていた。


洗濯機置き場はあるが、空いたスペースになっている。洗濯は週一コインランドリーに行っていた。


狭いが洗面所があり、そこに二つの引き戸がありそれぞれ浴室とトイレだ。

洗面台にはお気に入りのメルクールが置いてある。


玄関に下駄箱があり、仕事用の革靴が二足。それにスニーカー、トレーニングシューズ、ワークブーツがそれぞれ一足ずつ入っている。


長い間生活していたわりに物が少ないのは斉木がつとめて努力してきた結果だ。

一年前、ランニングを始めたきっかけと同じ理由だ。

 

 ここを出る時には最低限の荷物を持って出る。

不要なものは処分する予定で、粗大ごみの出し方をネットで確認しようと斉木は思っている。


ボストンバッグに少しの手荷物と薄手のフィールドジャケットを入れた。

ワークブーツを履き、車のキーを手にしてアパートを出た。


アパートの駐車場には斉木の車が止まっていた。古い四輪駆動車だ。

社会人になり二年目にローンを組み購入し、それから乗り続けている。


国産の4ドア。ハードトップ。角ばったデザインに惚れている。

紺色のランドクルーザー70。マニュアル車だ。

最近ではあまり乗る機会は少なく、月に一度ドライブに出かける程度だ。


ドアを開け助手席のシートにバッグを放り、ドライビングシートに座る。

キーを差し込みエンジンをかける。

 オイルが回るまで少し待った後、クラッチを踏みギアを入れ車を出した。


 少し走り、牛丼屋に入り朝食を食べた。

 その後、洗車場に行き、車を洗う。水を全体にかけ、洗剤をブラシにつけて全体を洗う。屋根は置いてある脚立を使った。

高圧洗浄機にコインを入れて、水の洗浄のボタンを選択し、ノズルを持ち、車に向けトリガーを引き、高圧で噴射される水で洗車をした。

その後、車を移動させ拭き上げる。そして固形のワックスを塗っていく。比較的大きい車なので時間がかかる。

タオルでワックスを吹き上げていく。紺色のボディーを磨き上げる。

終わった時は一時間以上かかっていて、Tシャツは汗だくになっている。

替えのTシャツはバッグに入っていて手早く着替えた。

リーバイスは乾くのを待つしかない。

ワークブーツを履くにはまだ暑い季節だったが、四輪駆動車に乗るときの斉木のこだわりだった。


燃料のゲージを見ると半分を切っていて、ガソリンスタンドに入り給油する。


 目的を決めずのドライブだが、海を見ようと考えた。首都高に入り都内を抜けて国道一号線に入る。途中道をそれて江の島方面へ向った。

 渋滞が激しいところが何か所があり海沿いの道に出るのに三時間近くかかった。


 腕時計を見るととっくにお昼を過ぎていたが、そのまま江の島を過ぎ、海沿いの道を走っていく。途中コンビニエンスストアでコーヒーを買って休憩をする。


 海を眺めながら走り熱海を過ぎたところで小さな食堂に入り、やや遅すぎる昼食をとる。海鮮丼は絶品だった。


 伊豆の海岸沿いを走っている。ラジオを小さな音で流していたが斉木はふと思いつき、CDの再生ボタンを押した。

ホイットニー・ヒューストンの歌声が流れた。

このCDは十年以上このプレイヤーに入ったままになっている。

 美紀のCDだ。


 昔、斉木が正月で実家に顔を出した時の事だ。皆が酒を飲んでいた。

 どういう経緯かは覚えていないが、兄の嫁の美紀が急遽、親戚の家へ行かなければならない状態だった。

 兄は相当飲んでいるし、美紀も進められて多少アルコールが入っていた。

 斉木だけが来たばかりで素面だった。


「ジロー乗せて行ってよ」と美紀が言った。


 斉木は車に戻った。少し待つと軽く身支度を整えた美紀が助手席に「悪いね」と乗り込んできた。

「いや、いいよ。どこ?」

 場所を聞き、斉木は車を出した。

 どんな会話をしたかは覚えていないが、音楽かけていい?と美紀は持ってきたCDをプレーヤーに入れた。

 ホイットニー・ヒューストンのベストアルバムだった。

 斉木はケビン・コスナーが好きだったのもあり趣味がいいなと思った。

 それと、会話の中で、「あんたの兄貴、一郎さんはすごい人だよ」と美紀が言ったのだけ記憶に残っていた。

 片道三十分をかけて送り、美紀が用事が済むのを車の中で待つていた。


 毎年、正月に帰そうと思うのだがいつも忘れてしまう。もっとも美紀も覚えてはいないだろうが。


 斉木はそんな事を思い出しながら、今は亡きホイットニーの歌声を聞きながら四輪駆動車を走らせる。アルバムが三周目に入ったところでラジオに切り替えた。


 ヘッドライトが必要になって少しした頃、白浜の手前に駐車場を見つけたので車を入れた。10台ほど停められる駐車協でトイレもあり、自動販売機があった。

 斉木はドアを開けて外に出た。少し肌寒く、フィールドジャケットに袖を通した。

車の先にはベンチがあり、フェンスの先には海が広がっている。

 斉木は暫く海を眺めた後、車内に戻った。


 錫製の8ozスキットルボトルを取り出した。

中にはバーボン、ワイルドターキーが詰めてある。

 フロントガラスの向こうの海を眺めながら一口喉に流し込む。

ワイルドな味がする。同じものでも【BARクロスロード】で飲むのと味わいが違う。


 ゆっくりとバーボンを楽しんでいる間、何台かの車が駐車場に訪れ、そして去って行った。


 眠くなり斉木はスキットルのふたを閉めるとシートを倒し、横になった。

後ろのシートに置いてあった毛布を掛け、眠りについた。



 朝、斉木が目を覚ますと駐車場はいっぱいになっていた。空はまだ夜だが水平線はほんのりとオレンジ色に染められていた。

 三脚とカメラを準備し、夜明けを待つ人たち。

 斉木はトイレに行き、自動販売機でコーヒーを買って車に戻った。


 そして、段々と空が明るくなり、太陽が昇り始めたのを見て斉木はエンジンをかけ、駐車場を後にした。


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