探偵物語
タカキ
第1話 「辞めてくんない」と言われた
「なあ、斉木。お前さ、会社辞めてくんない」
営業部長の浅野の突然の発言。
言われた斉木ジローは「はあーっ?」と変な声を上げた。
東京にある株式会社TOWA本社。その会議室の中では月に一度の打合せが行われていた。斉木は会議の為に埼玉工場からの参加だ。
工場の稼働状況から、協力工場の状況、様々な問題点、改善案などの報告をして、席に腰を下ろしたところでの浅野の「辞めてくんない」発言だった。
浅野は斉木と同期だ。
「浅野。突然何言ってる」
「突然?何言ってる?。俺はずっと言って来たよなあ。仕事ができないくせに会社にぶら下がり続けるのは迷惑だってな。斉木課長」
浅野が自分のことを嫌っているのを斉木は知っていた。
まあ、好き嫌いは誰にでもあるし、会社なんて仕事をこなしてなんぼだと考える斉木が甘い考えなのかもしれなかった。
「営業の苦労も知らずにお前はすぐにこの受注は無理だのなんだの。工夫してとにかくモノづくりをするのが工場だろ。そんなお前が課長じゃ工場のみんなの士気も下がるってもんだと思わないのか」
「何言ってる。受注をしてから自分の懐であっためて、それを忘れて、客先から催促があって慌てて生産しているのが工場だ。営業の苦労だって?」
「それこそ工夫しろ!受注の予測して在庫を持つなどあるだろう」
「一年前に営業が見込みで工場に作らせ、すぐに仕様が変わりすべて廃棄になったのを忘れたのか。それを最小限の被害で抑えたのが現場の俺たちだ」
「ち、違う。その件は工場の勇み足だ。正式に工場に依頼はしていなかった」
「ふうん。それならばその時の記録を全て見せようか。今、工場からメールで取り寄せる」
「今はそんな話をしているんじゃない」
「じゃあどんな話なんだ」
会議室には西日が差し込み、浅野の部下が立ち上がりブラインドを調節した。
「まあまあ」
ここで社長が口を挟んだ。穏やかな笑顔で。
「まあ、今、早期退職制度をやっているし、斉木君もまだ五十前だし再出発もいいんじゃないか」
斉木は社長の言葉を受け、改めて集まった会議のメンバーを見渡してみた。
常務、諸々の部長たちは納得したようにうなずいている。
専務は出張中で不在。
神奈川県の工場から工場長の代理として出席している課長である斉木がアウェイな状況だった。結果は会議が始まる前に決まっていたようだ。
まあいいか。
早期退職なんてあったのか?詳しくは後で総務の人間に確認しよう。退職金でかなりの金額になる筈だ。
47歳独身で会社所有の旧いアパートに一人住まいだ。
悪い給料ではなく、散財もしなかった斉木にはまあまあの貯金もある。
好きに生きようか、俺、斉木ジローは思った。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
鈴木美枝子は株式会社TOWA埼玉工場に勤務していた。
斉木課長の補佐的な事務の仕事をしていた。
短大を出てこの会社に就職して二年目になる。
同期の子らには斉木ジローは人気が無く、その下で働くことを同情されたが、美枝子にとっては斉木はどちらかというと好ましい人物だった。
初めて顔を合わせた時は類人猿的な特徴的な顔立ちにぎょっとはしたものの、見慣れてくるとそうでもない。むしろ可愛らしいとも思ってしまう。
第一、仕事は出来た。
それよりも疑問なのが本社の営業部長の浅野が人気があり会社での地位が上だという事だ。
かなりの頻度で工場に顔を出し、あちこちに声をかけ、威張り、仕事が出来るアピールをし、営業の大変さを語り、工場はもっと要領よくやれとのたまい、「こんなところまとめている工場長は大変ですよね」と、上にはゴマをする。
また、ここの工場長の仕事のやらなさ。
今日は月一の会議の為、斉木は本社に行って不在だ。
本当なら工場長の仕事なのに。
面倒な仕事を全て斉木に任せている為、仕事の流れも分からなくなっていて、会議に出ても何も発言できないだろう。
今も美枝子は忙しかった。
工場内から色々と報告が上がり、色々と処理していく。発送の連絡、材料の手配、客からのクレーム、その対応。
そして今、営業からの受注の連絡を受けて納期の確認。
「そんな納期じゃ無理ですよ」
「なんとかするのが工場だろ」
営業は電話で切れる。いつもの事だ。無理なことを無理だというのは我儘なのか。
出来るだけ早く出来るようにスケジュールを組む。間に合わない部分を外注に回すように発注の準備。発注書を作り、自分のハンコを押し、立ち上がる。
斉木が不在の為、工場長のハンコを貰うためだ。
はやく斉木が帰ってくれれば良いのにと考えながら工場長室のドアをノックし、開けた。「失礼します」ソファーの先にこちらを向いたデスクでパソコンを開いた工場長がいた。何を見ているんだか。
「発注書の印を貰いに来ました」
「おう、美枝子ちゃん。はいよ」
発注書を受け取り眺めながらハンコに手を伸ばす。が、手を止めた。
「こんなに外注に出すのか」
「突然の受注ですから、受注の連絡は工場長も分かりますよね」
工場長は慌ててパソコンをいじる。美枝子の予想では、風俗サイトを慌てて閉じて社内のシステム画面を開いたのだろう。
「これは急だが、それでも・・他をずらせば」
「なら、ずらせる案件を教えてください」
「それはうまく調整してもらって」
「誰が、誰に連絡すればいいんですか」
「うーん。今回の件は無理だと営業に言って調整してもらってくれ」
「営業には“何とかするのが工場だろ”って言われましたが・・・分かりました。工場長から無理だと言われたと営業に伝えます。」
「まて、いや、発注するか・・・。斉木君のハンコを押して発注していいよ」
「斉木課長は本社に行って不在です。ハンコは預かっていません」
「ぐぬぬ」
ぐぬぬって言ったよ。
もちろん社内で全てまかなえればそれは一番良いのだがキャパシティーというものがある。工場長の誰にでもいい顔をする性格。まずい事は斉木のせいにする性格。
その時、工場長のデスクの電話が鳴った。
「はい、私だが、んっ斉木君からか、つないでくれ。・・あー斉木君か丁度良かった。いやっ。ちょっと仕事の話なんだけ、・・うん、うん、本当か!なんでだ!・・うん、うん、浅野君がそんな事を?・・・社長、常務も・・専務は、そうか出張中だったな、今日は戻るのか、・・・そうかもうこんな時間か、明日は会社に、うん、うん、明日話を聞こう。うん、わかった。美枝子君にも伝えておくよ。お疲れ様・・」
工場長は顔色をなくし電話を静かに置いた。
そして、
「斉木課長が会社を辞める様だ」
美枝子は言葉を失った。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
今回の会議に斉木は会社のライトバンで来ていた。本社に運ぶ品物があったからだ。
駐車場からシルバーの車を出した。ドアにはTOWAと会社名が入っている。
本社に会議に来るたびにいつも宿泊するホテルがある。
この宿泊は数少ない斉木の喜びの一つだ。
渋谷の地下駐車場へ車を滑り込ませる。
駐車場内にあるエレベーターを使う。
ドアが開くとホテルのロビーにつながっている。
小さなホテルで名前は【ブラックナイト】俺のお気に入りだった。
一年ほど前に偶々見つけ、本社に来るたびに利用している。帰れない距離ではないので自費である。
フロントでカギを受け取り駐車場とは別のエレベーターに乗る。
全体的に雰囲気が好きだった。
少し古臭い感じ、だけど不潔さはない。
歴史ある高級なというのではない旧さ。場末感。
鍵がカードキーではなく昔ながらのカギというのも斉木の好みだ。
古いアメリカの映画に出てきそうな雰囲気がある。
自分の中のハードボイルドな気持が疼く。
荷物を置き、顔を洗った。
鏡に映る顔はなじみの顔で類人猿に似ている。実際学生時代にはその関連のあだ名を付けられていた。俺自身は味のある顔で悪くないと考えている。
整髪料を使い髪を撫でつける。
全身鏡を見てみる。
ワイシャツのボタンは一つ外されている。グレーの目立たないスーツは良い具合にくたびれている。新品だったり高級すぎたりするのは良くない。
ロングコートを着たいが今はまだ夏の終わり。
ハットも被りたいところだが自分に似合ったものをまだ見つけていない。
エレベーターでロビーに出る。
奥に地下に降りる階段があり、そこを降りる。
降りたところの左側にも階段があり通りに繋がっていると思われる。
右側には木製の扉がある。
扉の上には【BARクロスロード】
斉木はその重厚な扉を開いた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
美枝子の頭の中は真っ白になっていた。なんで斉木さんが辞める話になってるの?目の前では工場長が本社に電話をかけている。
「常務っ常務に代わってくれ、帰った?社長は・・そうか、じゃあ浅野君は今すぐ回してくれ大至急だ。・・・・接待で出ただと。分かった」
電話を置き美枝子に向き直る。「ダメだ連絡が付かない」と悔しそうな顔。
「明日、本人と話をして本社にも撤回するように動く」
わからない。この工場長は斉木の事を疎ましく思ってるわけじゃないの?都合よく仕事をこなす斉木に辞められたら困るってこと?
「斉木課長は今どこに」
「今日は直帰すると、もうこんな時間だしな」
壁の時計を見ると午後六時半。今日は車で出かけている。今から工場に向かえば渋滞もあり午後九時を回るだろう。
ふと思い出した。
それほど斉木とプライベートを語る仲ではないが、本社に行くたびにお気に入りのホテルに泊まり、お気に入りのバーに行く事を聞いたことがある。特徴的な名前を思い出した。
渋谷のホテル【ブラックナイト】その地下にある【BARクロスロード】だ。
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