3 情報屋

 小男が存曽奈県湯馬に着くと、雪が止んだ。往来は旅客や荷車、人力車が行き来してにぎわっていた。建物も新築のものが多かったが、道は泥沼だった。一歩ふみだすたびに、足が地面に沈みこんだ。小男の脚絆は黄褐色になっていた。

 裏通りに入る。酔っぱらいが、塀にもたれかかってイビキをかいていた。その向かい側で、野良犬が浮浪者のはらわたを貪っている。物陰からは、男の荒い息づかいと、女の押し殺した嬌声がする。道のぬかるみは、泥なのか糞なのかわからない。文字どおりの悪所だった。

 小男の足下に、酔っぱらいが転がっていた。小男はその腹をつま先で小突いた。

 酔っぱらいが呻いた。「畜生」目を開けようとするが、瞼があがらない。仰向けになって、眉間にしわを寄せ、「なんだよ、寝さしてくれよ」

竹嶋染五郎たけしまそめごろうの店はどこだ」小男が訊ねた。

「知らねえよ」低く呻き、身体を左に捻って丸くなる。「失せろ。いまいいとこだったんだ。寝させてくれ」

 小男は酔っぱらいの正面にまわり、力をこめて腹を蹴った。酔っぱらいは苦痛の呻きをあげ、目を半分開いた。

「なんなんだよ!」酔っぱらいが叫んだ。手で腹をおさえ、もだえている。「なんの恨みがあるってんだ畜生!」

 小男はしゃがみこみ、左手で酔っぱらいの胸ぐらをつかんだ。抑揚のない、低い声で訊ねる。「竹嶋染五郎の店はどこだ」

「知るか、ボケ」酔っぱらいは罵った。「いきなり人様の腹ぁ蹴っ飛ばすようなのに、教えてやる義理はねえ」

 小男は無感動な目で酔っぱらいをにらんでいた。右拳を握り、肩の上に据えようとした。が、目があるものをとらえた。酔っぱらいの股引きの左側、腿のあたりから下が、風になびいている。左脚が欠損していた。

 小男は目を酔っぱらいに向けなおし、拳をおろした。無感情な声で訊ねる。「戦さに行ってたのか」

「ああ?」酔っぱらいはふともがくのを止め、小男の醜い顔をにらんだ。「ああ、行ったさ、行ってやったさ。蝦夷くんだりまで行ってやったさ。糞ったれの糞弾くらって、このザマさ!」右手で股引きの左側をつかみ、ヒラヒラと振る。「おかげで今じゃ毎日、乞食の真似事だ! 呑んでねえとやってらんねえ!」右手は股引きをはなし、小男の合羽を握りかえした。「だから放っといてくれ。同情するならカネよこせ。できるか? できんだろう。じゃ、とっとと出て失せろ。おめえに話すことなんざ──」

 酔っぱらいはぽっかり口を開けたまま、黙った。目は驚きと物欲しさに震えていた。

 小男の右手が、十圓紙幣をつまんでいた。

「俺は戦さ帰りは敬ってんだが」小男がいった。「そうか、じゃあ仕方ない。ほかを当たらせてもらうぜ」紙幣をしまおうとする。

「竹嶋の店なら、ここをずっと行って右に曲がったとこだ」酔っぱらいがいった。早口ぎみだった。「さ、言ったぜ。傷痍兵は敬われるべきだよな、俺もそう思う」紙幣に手をのばす。

 小男は鼻を鳴らした。指先から紙幣をはじく。紙幣は明後日の方向に舞っていった。酔っぱらいはそれに飛びつき、泥濘みに顔からつっこんだ。小男は目尻に苦々しげなしわを浮かべ、その場を去った。

 竹嶋染五郎の女郎屋は、奥まった所にあった。昼間だが、中からは愉しげな声がした。小男は店にはいった。

 店の中では、女たちが酒盛りをしていた。三味線に笛太鼓を破茶滅茶に打ち鳴らし、はげしく踊り、大口を開けて笑い声を立てている。

 女のひとりが小男に気づき、右手を腰にあて、左手に徳利を持って近よってきた。帯の上の乳肉がたわわに盛りあがり、襟元から谷間がのぞくほどだった。が、酒と化粧と口の臭いがきつかった。

「いらっしゃあい」女がいった。小男の肩に手を添える。「おねえさんたちに何か用かい、坊ちゃん」

「竹嶋染五郎に用がある」小男がいった。平然とした様子だった。「どこにいる」

「あら、旦那の客かい」女は猫なで声でいった。右手は小男の肩を撫で続けている。「ちょっとお待ちね」店の奥を向いて、「旦那ぁ! 旦那にお客さんだよ」

 奥、暖簾の向こうから「おう」と応える声がした。男の声だった。

 男と女のかまびすしい笑い声が近づいてきた。奥の暖簾が勢いよく開いた。

 ひどくのっぽな男が、両手を派手にあげてやって来た。竹嶋染五郎だった。女たらしの顔には見えないが、前後左右に女を侍らせていた。

「ようこそ、閣下、将軍さま、大統領!」竹嶋がいった。両手を広げている。歌うような調子で、「そこいらの安い女郎屋なんぞと一緒にしてくれるな、ここは上物揃いだ! 若すぎるのから年増すぎるのまで、あんたの好みに合ったのがいるぜ! さあ好きなのを選んでくんな!」

「いや」小男がいった。肩にかかった女の手を払う。「欲しいのは女じゃない」

「女じゃない?」竹嶋は丸い目を見開いた。茶化す。「じゃあなんだ、酒か? 酒も上物揃いだぜ」

「酒でもない」

「じゃ、なんだ」竹嶋は肩をすくめた。「俺は坊主じゃねえんだ。禅問答ならよそでやってくんな」

「言わなくてもわかるだろう」小男の口角が吊りあがりだす。「あんたの米櫃に用がある」

「なるほど」竹嶋はうなずき、微笑んだ。ヤツデの葉のような手を打ち鳴らし、周囲をとりまいている女たちに言う。「さあ、カワイ子ちゃんたち、俺が恋しいのはわかるが手をはなしてくれ。俺はいまからこの御仁と大事な話をするんだ。それが終わったらまた可愛がってやるから」

 女たちは愛想よく返事して、散った。

「ささ、閣下、将軍さま、大統領」竹嶋は小男に歩みより、右手をその肩においた。左手で奥を指し、「話は奥でしよう。ここは小鳥の籠だ。うるさくってかなわねえ」

「舌でも切っちまえ」歩きだし、小男がいった。「それと、俺のことは〈カラス〉でいい。鼻につくならテメエでもアンタでもいい」

「そうかい」竹嶋はうなずいた。左手で暖簾をかき分ける。「じゃあ、テメエ、なにが欲しいんだい」

「情報と、火薬」小男はこたえた。上唇をめくり、歯をのぞかせる。「それと、いちばん別嬪で、なおかつ乳のでけえ姐ちゃんをくれ」

「ごうつくばりだ《欲深い》ねえ」竹嶋は笑った。客間にあがり、長火鉢の前にどっかりと腰をおろす。懐から煙管をとりだすと、手慣れた手つきで煙草をつめ、火をつけ、口と鼻から煙を吐きだした。「で、なんの情報が欲しいんだい?」

 小男も腰をおろす。煙管をくわえ、火鉢につっこむ。一服して、「ここいらの、自由党どもが根城にしてる場所の情報だ」

 竹嶋の顔から笑みが消える。「ちと高くつくぜ、そいつは」

「かまわねえ」小男は懐から紙幣の束をとりだし、長火鉢の上に投げた。「カネならある」

 竹嶋は煙管を耳の前にすえ、札束を見下ろしていた。鼻を鳴らし、「こんな信用ならねえモンじゃなあ」煙管の先で札束を押しかえす。「近ごろは金札作りが流行ってんだ。どれが本物かわかったもんじゃねえ。もうちょっと、形のあるモンじゃねえとなあ」

 小男は札束をとりながら、「つまり?」

「わかるだろぉ」竹嶋は笑みを浮かべた。歯の隙間から紫煙を洩らし、「丸くて、光ってて、落とすとチリンと嬉しくなる音がする、この世でいちばん強いアレだよ、アレ」

 小男はちいさく舌打ちすると、こんどは巾着袋をとりだした。紐をとき、中から五十銭銀貨を一枚とり、竹嶋に投げわたした。

「毎度」微笑む。左手の中で銀貨を回しながら、「たしかに、ここいらに自由党はいるぜ」

「どこにいるんだ」

 こたえなかった。左の親指と人差指をこすり合わせている。

 小男はもう一枚わたした。

 竹嶋は歯を見せた。「どうも。この町にはいねえよ」

「それで?」

 竹嶋は唇をすぼめ、チッチッチッ、と鳴らした。左手の中で、銀貨を投げてはつかんでいる。小男は眉をひそめ、また一枚投げた。

「遠く離れたところにいる」煙管の灰を捨て、煙草を詰めようとする。

 小男の肩が揺らいだ。合羽がひるがえり、左手が竹嶋の胸ぐらをつかみ、左足といっしょに竹嶋を押し倒した。銀貨と煙管が床におち、煙草が散らばった。右手は拳銃を握っている。

「俺も禅問答は嫌いなんだ」小男が顔を近づけ、低い声でささやいた。銃口を竹嶋の左顎に押しつけ、親指が、音をたてて撃鉄を起こした。「銀貨のかわりに鉛のカネをくれてやろうか? 地獄の火車を雇えるくれえにはなるぞ」

 竹嶋は顔を引きつらせ、両手を軽くあげた。「わ、わかった、悪かった」声と息が震えている。左の人差指で銃をさし、「だ、だから、こ、こいつを、引っこめてくれ」

 小男は口角を歪めるように微笑んだ。「良い子だ」左手と左足をはなし、元の位置にもどる。拳銃はしまわない。親指は撃鉄をおさえている。「だがこいつは引っこめねえ。こいつは仲介人だ。商いのビジネス・トークには仲介人が必要だ。だろ?」

「そ、そうだ、そのとおりだ」竹嶋は何度もうなずいた。顔には引きつった笑みが貼りついている。

「じゃあ、話してもらおうか」

「わ、わかった」竹嶋は唾を呑みこんだ。息を整え、「ここいらに自由党はいねえ。それは確かだ。だが、根城にしてる場所なら知ってる。ここから南に行った──翟沙洲県の峠町だ。連中はそこを根城にしてる。が、俺としては、旅行気分で会いに行くのはオススメしねえ」

「なぜだ?」

「連中は、自由党の中でもヤベエ連中だからだ」竹嶋は続けた。「天下獲るためなら誰彼かまわずぶっ殺すような奴らだ。もっぺん戊辰のときの戦さみてえなのやらかそうとしてるってな噂もある。俺もなんべんか、鉄砲の世話してやったこともある。ちょっとした軍隊みてえなモンだ。命が惜しいなら行かないほうが賢いってもんだ」

「そうか」小男は素っ気なくいった。

「そうか?」竹嶋は繰りかえした。短い眉が八の字に吊りあがる。「おめえ、命が惜しかねえのか?」

「惜しくない」小男はこたえた。口角は歪んでいる。「惜しむような命でもねえからな」

 必要なだけの火薬と鉛を受けとり、小男は女郎屋をあとにしようとした。竹嶋と女たちが見送りに出てきた。ノッポの態度は元のお調子者に戻っていた。

 小男の背中に、竹嶋が声をかけた。

「しかしまあ、最近は自由党追っかけるのが流行ってんのかねえ」

 小男は立ち止まり、頭をわずかにうしろに捻った。「どういうわけだ?」

「なあに、ちょいと前にも、自由党の場所を教えろって御仁が来てね。必死に引き留めたんだがなあ」

「そいつは、なんて奴だ?」

「むかし《瓦解前》の馴染みさ」竹嶋がいった。「俺の知るかぎり、いちばん勇敢で、いちばん賢く、いちばんの銃の名手だった──まあ、もう十何年も前の話だがな。名前は──濱田実貞はまだみちさだ

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る