BLOODY BOUNTY

宇山遼佐

第一章 黄金の三悪人

1 昔々、極東のどこかで…

 その舟に乗っているのは馬が一頭、船頭をのぞいて人が二人──中年男と老人──だけだった。積荷はない。船頭は櫂をあやつり、舟体を枯れ草だらけの茶色い岸からはなし、舳先を上流のほうへと向けた。やがて、ゆっくりと進みだした。陽が昇った。西と北につらなる山々の雪化粧が、青白く光りはじめた。

 乗客の中年男は洋装だった。すこし黄ばんだ白シャツにネクタイ、そのうえに濃紺の長着を着て、フロックコート、丈の長い二重回しを羽織っている。下穿きは黒いズボン、舶来のブーツを履いている。山高帽を目深にかぶり、猛禽を思わせる鋭い顔つきに鷲鼻、灰色の口髭を小粋に整えている──開花の紳士といった具合だった。眉間にしわを寄せ、装丁の厚い本を読んでいる。表紙には〈THE BIBLE〉とあった。

 向かいにはこぢんまりとした老人が坐っていた。灰色の無精髭がコケのようにびっしり生えた顔をしかめ、中年男を見つめている。いぶかしげな目だった。

 舟のきしむ音と、舳先が水をかき分ける音だけが流れている。中年男は老人を気にしていなかった。目は一心に聖なる文句を追い、指はページの端をつまんだり弾いたりしている。

 老人が下唇を垂らし、切りだした。「おめえさん、どこから来なすった」慎重な発音だった。

 中年男はちらりと目を上げた。すこしのあいだ老人の顔を見つめ、また本に目をもどし、低い声で、「遠くからだ」

「遠くから?」老人は訊ねた。片眉だけ吊りあげ、「遠く、つっても色々あらぁ。どこだ? 東京江戸か?」

 男はこたえなかった。ゆっくりとページをめくる。

「言えねえってか」口の端を舐めて、「おめえさん、やくざか?」

 中年男の目が老人の顔に向いた。ワシのような目だった。

 老人は微笑んだ。苔むした頬がしわくちゃになる。「図星だな」

 中年紳士は鼻を鳴らした。「だったらどうするのだ」

「べつにどうもしねえよ」身体を揺らす。「おれはただのじじいだ。こないだまで奉公に出てたただの老いぼれだ。喧嘩は得意じゃねえや」前のめりになって、「まあ、先は長えからな、まさに乗りかかった船ってやつだ。ちぃと暇つぶしにつきあってもらいてえってわけだ」

「ふうん」紳士は軽くうなずいた。鼻を鳴らして、「ことわる」顔を下に向けなおし、読書をつづけた。

「なぜ」

「講釈できるほどのことはしておらんからな」

「なにも忠臣蔵やれって言ってんじゃねえよ」老人はいった。「つまらなくたっていいんだ。おめえさんが旅先で見聞きしたことでも話してくれりゃいいんだ。俺は老いぼれだ、退屈したら死ぬんだ。だから、な?」

 紳士は目を合わせず、「じゃあてめえが勝手に喋っとくさな」

「ふん」老人はしかめ面になった。「畜生め」鼻をすすって、「愛想のねえ野郎だ」鼻の右端をおさえ、川面に向かって鼻水を飛ばし、顔をしかめてもういちど鼻をすすった。ため息まじりにフン、と吐き、「まあいい」左頬を掻いて、「じゃあ俺が話してやる。おめえさんがどう思おうが、勝手にくっちゃべってやる」

 中年男は、どうぞご勝手に、と言わんばかりに肩を軽くすくめた。

 老人は身の上話をぶちはじめた。話はかれの記憶のかぎり過去から続いた。中年男はおざなりな相槌を打ちながら読書を続けた。舟足は遅かった。時たま岸を歩いている百姓とあまり変わらないほどだった。朝陽は昇りきっていた。遠くの山は灰色になっている。

 老人の話は続いていた。

「そこで、野良犬みてえなザマだった俺を拾ってくだすったのが守岡の旦那だ。守岡の旦那は根芭陀のあたり占めてた親分でな、俺はそこで奉公することになった。得体の知れねえ百姓あがりだってのに、ホントよくしてもらったね。おかげで飢えずに済んだし、お縄になるような真似せずに済んだ。こらぁ、たいへんなご恩だよ、まったく」

 紳士が口を開いた。「で、その恩を仇で返した、と」

「なんだって?」

 岸のほうで誰かが叫んだ。二人はそのほうを向いた。

 やくざだった。三人いた。舟に向かって叫んでいる。先頭の者は長脇差(ドス)を振りかざしていた。

 老人は舟底に腹ばいになった。顔と息が恐怖にひきつっている。見あげると、紳士は平然としていた。懐から舶来のパイプを取りだしてくわえ、マッチで火をつけている。一服し、冷たい風に紫煙を吐きだすと、這いつくばっている男のほうを見て、口角を吊りあげた。

「安心しろ」紳士がいった。「俺の客だ」

 やくざは土手を駆け下り、舟を追ってきた。口々に、待て、止まれ、この野郎、と喚いている。

 紳士は腰をあげた。船頭を見て、「止めるな」といった。船頭は口をぽかんと垂らしたままうなずいた。

 紳士は馬の左脇まで行くと、むしろを縛っている縄をほどいた。むしろは重さを持って開いた。

 むしろには、小銃ライフルや拳銃が留めてあった。

 やくざは後方四十間(約72メートル)ほどに迫っている。

 紳士は口笛を吹きながら得物を選んだ。スペンサー銃を選びとった。腰につけた胴乱から弾薬を三発抜きとり、銃床部の蝶番を開いてばね管を抜きだし、管状の弾倉にひとつずつ込めてゆき、管を挿し戻す。それが済むと、把手のような形をした用心鉄を下に引き、一拍おいてもどす。装填の音を愉しんでいるようだった。銃床を右肩に当て、龍の頭のような形をした撃鉄を起こし、やくざどもに狙いを定めた。

 先頭のやくざは冷たい川に入るかどうか、走りながら迷っている様子だった。

 短い、雷のような音が響いた。やくざの頭は吹き飛んだ。赤白い肉が後ろの三下どもに降りかかった。そのまま川に倒れた。後ろの二人が足を止めた。

 紳士は用心鉄の梃子をすばやく動かし装填した。左目尻のシワを深くし、茶色っぽい歯をみせて、うろたえている二人に狙いをうつした。

 三下ふたりは竹槍を捨て、逃げようとしていた。が、鉛玉はすぐに追いついた。雷声が連続し、やくざどもは死んだ。

 銃床を肩から離し、中年男は息をついた。用心鉄を下げて空薬莢をだし、むしろにくくりつけた。パイプをくわえ、また火を点ける。

 老人が身を起こし、中年男の背に声をかけた。「て、てえしたもんだな」上ずった声だった。「夕べ、瀬島一家の西尾ってシケたやくざがぶっ殺されたってのは、あんたの仕業か」紳士は答えなかった。老人は笑みをつくり、続けた。「しっかし、てえしたもんだ。こうも鉄砲が上手え奴は知らねえ。おめえさん、戊辰の戦さに出とったか?」

「ああ」紳士はこたえた。振りむきはしなかった。「まあな」

「どっちだった?」老人は訊ねた。「官軍か、徳川か、いや──どっちでもいいか。しかし、その腕じゃあ、ずいぶん手柄があっただろなあ」

「幕軍だった」飾り気のない声だった。「が、手柄はない。敗軍だからな」ささやくように続ける。「戦さは終わった。遠い昔にな。だが、戦さは負けるもんじゃない。負けて滅んで、待っているのは陰気な日々だ。何かに恨みを持つしか支えがなくなる。それでも生きて行かねばならん。やくざのような真似をせんことには、食い扶持にすら困る。まったく、なぜ死ななかったのか」

 老人はキョトンとしていた。「え?」

「つまりだ」紳士は左手でパイプをつかんだ。紫煙を吐いて、「年貢は納めるべきときに納めておけ、というわけだ」振りかえる。右手は輪胴式拳銃リヴォルヴァー──S&W model 3──を握っていた。銃口は老人のほうを睨んでいる。「三下の吉平」

「へ?」

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