甘党の恋

景文日向

僕が恋に落ちたのは、ふとした瞬間だった。

あれは、大学生になったばかり。春真っ盛りのことだった。ベンチで黙々とクレープを食べていた君に、一目惚れしたんだった。黒い髪をゆるっと巻き、黒目がちで吸い込まれそうな瞳。柔らかそうな唇。そして、食事中の輝かしい笑顔。その瞳の中に僕を映してほしいと、思ってしまったんだ。甘ったるそうなクレープじゃなくて、僕本人を。

 大学は広かれど、一度気になると僕は彼女のことしか目に入らない。他の景色は色あせていった。彼女だけが僕の視界に彩を添える華だった。だが、声をかけることは出来なかった。遠目で見つめるのが精いっぱいだ。なんせ彼女とは学科が違うしとっている授業も異なる。話しかける機会が、訪れないのだ。毎日、溜息をついて過ごしていた。


 時は進み、五月の上旬。僕は高校時代からの友人__大学も一緒だ__と共に大学近くに新しく出来たカフェを訪れていた。コーヒーは僕の大好物であり、友人もそれを知っていて誘ってくれたのだ。

 席に着き、店のおすすめブレンドを注文する。やがて運ばれてきたコーヒーからは、ふわりと豆の匂いが漂う。一口飲むと、苦味が舌を通り抜けていった。なるほど、素晴らしい腕前だ。僕には挽けない良さがある。

「……お前さぁ、あのカワイ子ちゃんのこと好きなんだろ」

 それは唐突な質問だった。飲みかけていたコーヒーを空気ごと飲んでしまい、けほけほとしばらくむせた。

三月みつきに何がわかるのさ」

 やっと呼吸を取り戻したところで、そう返答する。目の前の友人、池上三月いけがみみつきは学科こそ違えど僕の大事な友人だった。茶髪の髪を短く切り揃え、紫がかった瞳をしている。目つきが鋭く、他の人々から怖がられることも多い。

「あれだけわかりやすく目で追ってたらわかるっつーの。……で、好きなワケ?」

 三月はニヤニヤしながら訊ねてくる。完全に確信犯だ。三月はいつもそうなのだ。親しくなった相手で、とことん遊んでくる。

「……別に、気になってるだけだよ」

 素直にそう白状すると、

「それを恋っていうんだろうが。あの子、同じ学科だし連絡先聞いてこようか? お前っていつも行動に移すの遅くてとろいからなぁ」

 もっともな意見が返ってきた。確かに僕は色々と行動に移すのが遅く、その結果損をしたことは数えきれないくらいある。だから三月の提案に、「お願いできるなら……」と頷いていた。その後は適当に談笑し、適度な時間でお開きになった。

 帰路の途中で、彼女の連絡先を手に入れることが出来そうという希望が思考を支配してきた。もう彼女にゾッコンだった。他のことは全然考えられないくらい。

 

数日後。三月は口元に笑みを浮かべながらこう提案してきた。

「なぁ、三人で飯行かね?カワイ子ちゃんの連絡先ゲットしたけど、よく考えたらお前が認知されてねーのに渡すのもおかしい気がしてさ」

「確かにそうだね。いつ行くの?」

 もっともな三月の提案に、僕は頷く。確かに知らない人にいきなり連絡先を渡すのは危険だ。ましてや女子だし、あの美貌だし……。

「今日。つーか、今から」

「今から⁉」

突飛な展開に僕が動揺していると、「池上くん」とか細いながら透明感のある声が聞こえてきた。

「彼がお友達?初めまして、駒井春香こまいはるかです。今日はよろしくね」

いきなりの彼女の登場に、戸惑う僕。ふわりとした笑顔を向けられ、林檎の様に真っ赤になった顔を彼女に向けながら

大崎修おおさきしゅうです。今日はよろしく」

 これを絞り出すだけで精いっぱいだった。手に汗をかきながらも、三人でランチへと繰り出す。三月が選んだのは、安価なファミレスだった。店内に入ると、僕たちのような貧乏学生が集っていた。間違いなく同じ大学に通う生徒たちだろう。適当に料理を注文し、ドリンクバーもつける。これが僕ができる最大限の贅沢だ。

「じゃあ、折角だし料理来る前に連絡先交換しとこうぜ。修もスマホ出せよ」

 三月が言う。三月が居てくれるだけで心強かった。僕と彼女の二人なら、場がもたなかっただろう。スマホを取り出すと、彼女はすぐ友達登録をしてくれた。慌てて僕も登録するが、手の汗で滑って上手くいかない。そうこうしている間に料理が運ばれてきた。三月が注文したハンバーグ定食、僕が注文したオムライス。春香さんが注文した料理は、まだ運ばれていないみたいだった。この場合、待っていた方が良いのだろうか? 三月に視線を向けると頷かれた。しばらくの間待っていると、春香さんの注文したカルボナーラも運ばれてきた。彼女は申し訳なさそうに、

「ごめんね、待ってもらって」

 と頭を下げた。逆にこちらが申し訳ない気分になり、「気にしないで」と僕はその場をおさめた。

食べ始めたのはいいものの、緊張しすぎて味がよくわからなかった。二人は当たり前だけどそんなことない様子で、「うめー」だの「美味しいね」だの言いあっている。

……三月の方が、お似合いのカップルだなぁ……。

オムライスを食べながら、どんどん自信を消失していく。料理の味なんてわかる訳がなかった。彼女の眼中に入るのはやはり、至難の業のように思えてくる。実際、三月が居なければ僕は彼女に認知されず四年間を送っていただろう。再び溜息をつきそうになったが、彼女の前だし堪えた。

オムライスを食べ終えると、二人とも完食していた。どうやら随分ゆっくりと食べ進めていたみたいだ。

「遅くなってごめん」

 と謝ると、

「私、これからデザート食べるから大丈夫だよ。大崎くんは何か食べないの?」

 どうやら春香さんは甘党らしい。メニューのデザートページを真剣そのものの顔で見つめている。

「じゃあ、チーズケーキ食べようかな……」

 かくいう僕も甘党である。訊かれたら食べる、そういう主義だ。コーヒーに合うお菓子となれば、やはりケーキ類になるだろう。クッキーなども合うが、ファミレスのメニューに載っている訳がなかった。

「チーズケーキ、いいな……私も同じのにしようっと」

 春香さんはチャイムを押して注文し、今度はあっという間にデザートが運ばれてきた。ファミレスと侮るなかれ、大変美味しいチーズケーキだった。濃厚で、味わい深い。春香も満足したようだった。僕はその様子の春香を見て満足していた。笑顔の彼女は眩しくて、やはりこの感情は恋なんだなと思わせられる。


 会計をし、ファミレスを出る。午後の授業まではまだ時間があったので、大学構内のベンチでお話しすることにした。

「……駒井さんって甘党?」

 先ほどから訊こうと思っていたことを、率直にぶつける。彼女は髪を指先で弄びながら、

「うん。でも、大崎くんもそうだよね?」

 と質問返しをされてしまった。

「うん、まぁ……。三月は全然違うんだけどさ、僕はコーヒーに合う甘いものをずっと探してるんだ」

 未だに至高なものは見つかっていないけれど。その言葉は飲み込んだ。

「コーヒーが好きなの?」

 春香さんは僕の目を見て訊ねてきた。黒目がちな瞳に吸い込まれそうになる。

「うん、高校生の頃から凝っててさ。気合入れるときなんかは、絶対コーヒー飲むよ」

 その言葉に反応したのは、春香ではなく三月だった。

「お前はいつも気張りすぎなんだよ。あ、三限始まるから俺行くわ。後は二人でごゆっくり」

三月はそう言い残し、退散してしまった。残された僕と春香さんは、しばらくの間沈黙に支配されていた。

「そういえば駒井さん、三限大丈夫なの?」

 沈黙していても仕方がないので、訊ねることにした。三月と春香さんは同じ学科のはずだ。だとしたら授業に行かなければいけないのではないだろうか?

「大丈夫。池上くんとは学科が一緒でも、学んでることは違うから」

「そっか」

 再び訪れる沈黙。必死に打開しようとあれこれ考えるが、何も思いつかなかった。それを打開したのは、彼女の方だった。

「ねぇ、もし迷惑じゃなければ修くんって呼んでもいいかな?」

 唐突な提案だった。彼女に認知して貰ってから、急激に距離が近くなった気がする。

「勿論大丈夫だよ。…………逆に、僕も春香さんって呼んでもいい、かな?」

 ぎくしゃくした受け答えになってしまった。彼女は頷き、

「じゃあ、これからは修くんって呼ぶね。改めてよろしく」

「こちらこそよろしく……」

これが、彼女との邂逅であった。


時間というものはあっという間に過ぎていくもので、気が付けば僕らは一緒にいる時間の方が長くなっていった。呼び方も呼び捨てに変わり、初めて会った時から半年が経とうとしていた。

「ねぇ、修」

 春香との関係性に変化があったのも、この頃だった。僕が春香に誕生日プレゼントをあげたのだ。貧乏学生にしては特上のブランド財布。春香が好きな桃色のそれを渡したとき、彼女は声を上げて喜んでくれた。彼女が上機嫌なのを見計らって、僕は想いを打ち明けることにした。

「……春香」

「どうしたの?」

 半年間、ずっと言えなかった想い。それを口にするのは容易なことではなく、しばし固まってしまう。彼女が不審がってこちらを見ている。それはわかっているのだが、言葉にするとなると照れくさい。

「……春香、一目見た時からずっと好きだった。良かったら。僕と付き合ってください」

 おそらく真っ赤な顔をしながら、何とか想いを紡いだ。もしここで振られたら、今までのような関係性には戻れなくなるだろう。もう寒くなってきているのに、汗をかく。春香はしばらく沈黙した後「ふふっ」と笑い、

「こちらこそ。よろしくね、修」

と、承諾してくれた。半年間想い続けたものが、報われた瞬間だった。そこからは有頂天になっていたので、よく思い出せない。が、春香曰く大変な喜びようだったらしい。人は極端な喜びがあると、案外忘れてしまうんだなと実感した。


これが今から十年前の話である。

十年間、ずっと良好な関係だった訳ではなかった。春香と僕は食の趣味も合うし、頻繁にデートに行っていた。将来は結婚しようと、言い合っていた。最初の頃は良かった。些細なことですぐ相手に惚れ直していた。だけれど、僕が就職したあたりから歯車は狂っていった。

 僕が就職したのは、所謂ブラック企業というものだった。厳しい上司に大量の仕事。春香と同棲を始めたのもこの頃からだったものの、家に帰れない日々が続いた。春香の気持ちが段々僕から離れていったのも、そうだ。他の男に浮気されたわけではないけれど、冷めきった感情だった様に思う。深夜に帰って、置かれているのは冷えきった春香の手料理。まるで彼女の心情を表すかの様だった。温めて食べても、疲れ切っているからか味がよくわからなかった。彼女に「おやすみ」の一言も言えないまま毎日眠りについていた。それはとても辛いことだったし、寂しいことだった。同じ家に住みながら、寝顔しか見られないなんて。

 転機が訪れたのは、僕が過労で入院してからだった。思い切って、春香に正直な気持ちをぶつけたのだ。春香は別れを告げに見舞いに来たと後から聞いたが、それを阻止できたのは良かった。プロポーズは、格好悪いことに病院のベッドの上になってしまったが。僕らが正式に結ばれた日は、夕焼けが綺麗な日だった。あの時の光景は、今でもはっきりと覚えている。

結婚式は、大層なものではなかった。だが、三月を含む友人や親族に祝福されるのは嬉しかったし、春香も頬を赤らめ満足気だった。白いドレスが、彼女の性格を表しているようでよく似合っていた。元々美しい彼女を、一層引き立たせていた。人前でキスをするのは恥ずかしかったけれど、これも良い思い出だ。もう一生、人前ではしないだろうな。


結婚してから数年後、春香は僕の子を身籠った。ブラック企業から転職し、定時で帰れるようになった僕は彼女のことを懸命にサポートした。食事を作ったり、部屋を掃除したり。春香の愛情が戻っている実感もあり、産まれてくる子どもの姿が楽しみで仕方がなかった。

出産当日はもう上の空で、我が子を見て泣いた記憶だけが残っている。春香には「修が泣きすぎるから、私が泣くタイミングを失った」と苦言を呈されたが。それだけ嬉しかったのだ、僕に子どもができたことが。僕だけじゃなく、春香の遺伝子も継いだ子が誕生したことが。好きな人と自分の遺伝子の組み合わせって、ワクワクするし言葉に出来ない喜びがそこにはある。

その娘も今や六歳。春香によく似たその顔は、将来美人になるんだろうなと思わせられる。大きな瞳にぷるぷるした唇。幼少期の春香も、こんな感じだったのだろうか。

僕と春香は三十代になっていた。感慨深い。十代から芽生えた恋心は、今でもふとした瞬間に蘇ることがある。彼女の何気ない仕草や言動に心を動かされることは、沢山あるのだ。例えば、髪をかきあげる動作一つとっても春香は愛らしい。僕しか掬い取れない美しさがある。まるで、何処かの神話の女神の様に。いや、女神なんかよりも彼女の方がずっと美しいし可愛い。そう思うのはまだまだ、僕が初々しい証拠なのかもしれない。


一目惚れから始まった恋は、甘く今も続いている。

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